秋元雄史氏の『直島誕生』は、現代アートに関わる全ての人々にとって必読の書である。
直島を舞台に、日本における現代アートがどう生まれ、どう育ってきたのか、そしてそれは世界のアートとどう繋がっているのか。その全貌が、直島プロジェクトの始まりから地中美術館の立ち上がりまで、15年間もの長きにわたってこのプロジェクトを率いてきた秋元氏自身の言葉によって語られている。
直島(なおしま)は、瀬戸内海に浮かぶ人口3千人ほどの小さな島である。以前は銅精錬所と煙害で有名だったこの島は、現代アートの島として生まれ変わり、今では年間約 70万人もの観光客が押し寄せている。
現代アートファンの多い欧米の富裕層相手の旅行会社の多くは、日本旅行の訪問先として京都とセットで直島を選んでおり、場合によっては、日本旅行の目玉が直島そのものということもある。
このアートプロジェクトを中心になって推進するベネッセと福武財団は、瀬戸内海の直島、豊島、犬島において、「ベネッセアートサイト直島」の名の下に、ベネッセハウスや家プロジェクトなど多くの現代アートプロジェクトを展開している。
そして、本書の中心にあるのが、この直島プロジェクトの中核に位置する地中美術館誕生の物語である。
地中美術館の設計は安藤忠雄建築研究所で、直島南部の山の上にある棚田状の立体式塩田跡の地下に埋設されるような形で建っている。
後に秋元氏が館長を務めることになる金沢の21世紀現代美術館、六本木ヒルズの森美術館と並ぶ、日本の現代アートを代表する三大美術館のひとつであり、日本の現代アート発祥の地とも呼べる存在である。
ここでは、クロード・モネの「睡蓮」を中心に、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの3人の作品だけが展示されている。
秋元氏というモネを担当するキュレーター、デ・マリアとタレルという2人の現代アーティスト、そして安藤忠雄という建築家が互いに激しく意見をぶつけ合いながら、ここでしか見られないサイトスペシフィック(場所限定的)な展示が作られた結果、建物全体が巨大な芸術作品として仕上がっている。
私が最初に直島の地中美術館を訪れた頃は、現代アートというものを、そして直島プロジェクトというものを全く理解していなかったが、その時にベネッセの福武總一郎会長から、「現代アートは頭で理解しなくて良いんです。ただ体感してもらえれば良いんですよ」と言われ、目の前の霧が一気に晴れた気がした。
それまでは、どこか取っ付きにくく、苦手意識を持っていた現代アートを、その時に初めて素直に楽しめた。
ブルース・リーの代表作『燃えよドラゴン』で、彼が弟子に向かって”Don’t think. Feel!”と言う有名な場面があるが、正にそういった感じである。
本書のもうひとつの読みどころが、現代アートの世界で秋元氏が歩んできた数奇な半生である。
元々、秋元氏は東京藝術大学美術学部絵画科を卒業したアーティストだったのだが、その後、美術評論家になり、たまたまベネッセに就職することでアートマネジメントの世界に足を踏み入れた。
1991年から2004年まで、ベネッセで美術部門の運営責任者として直島・家プロジェクトを担当したほか、ベネッセアートサイト直島のチーフキュレーター、地中美術館館長、直島福武美術館財団(現、福武財団)常務理事などを務めた。
その後、金沢21世紀美術館の館長を経て、現在は東京藝術大学大学美術館の館長兼教授などを務めている。
本書を読めば分かるが、その人柄は一言で言えば、とても熱く一本気な兄貴肌である。
私が秋元氏と知己を得たのは、彼が金沢21世紀現代美術館の館長に就任して間もない頃だが、その時の印象が、現代アートという悪く言えばスノッブな感じとは真逆の、自然体で飾り気のない人物だったので、今でもよく覚えている。
アートに関する本としては異例だが、本書には写真も図も一切出てこない。ただ、文章だけでもその場の臨場感と秋元氏の現代アートに対する熱い想いが十分伝わってくる。
そうした秋元氏の一途な人柄と熱い想いがあって初めて、直島のプロジェクトは成功することができたのだと思う。
昨年、ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイの前澤友作社長が、ジャン=ミシェル・バスキアの作品を123億円という高額で落札して話題になるなど、今や現代アートは第一線のビジネスマンから熱い視線を浴びている。
世界の超富裕層が新たな投資先としてアート市場に目を付け始めたという理由もあると思うが、起業家精神と現代アートの先進性、特に創造と破壊のプロセスとの親和性が高いことが大きな理由なのではないかと思う。
アントレプレナーシップ(起業家精神)が益々重要になるこれからの世界で、現代アートは一層盛り上がりを見せることだろう。(この辺りの詳細については、『アート戦略 コンテンポラリーアート虎の巻』の書評の中に書いたので、参照して頂きたい。)
本書は、以前HONZで紹介した金沢21世紀現代美術館と金沢にまつわる秋元氏の前作『おどろきの金沢』と合わせて読むと、現代アートに対する理解がより一層深まると思う。
何はともあれ、まずは”Don’t think. Feel!”の気持ちで、できるだけ多くの人々に現代アートを体感してもらいたいと思う。