「企業の密約が世界を変えた」と言えば、ありがちな陰謀説だと思われるかもしれない。しかし、本書はそんな陰謀説を掲げてスキャンダルを暴露しようとする本ではない。むしろ、それとは正反対だ。この本は、今わたしたちをとりまくこの世界が、偶然の産物ではなく、ある意図のもとになるべくして今の形になったことを、歴史的な事実と綿密な取材に基づいてひも解いていく。本書を読めば、ばらばらに見えた点と点がつながり、今目の前にある世界が違う角度で見えてくる。
著者のジャックス・ペレッティは、名門ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業して調査報道の道に進み、ガーディアンやワイアードといった一流紙誌に予言的な記事を掲載してきた、今最も旬なジャーナリストのひとりである。ドキュメンタリー制作者としての実力も折り紙つきで、本書をもとにしたドキュメンタリー番組もBBCで放送され、大きな反響を呼んでいる。
そんな旬の著者が今問いかけるのは、ビジネスが政治を駆逐し、一握りの人たちが世界の大半の富を握り、砂時計のように中間層がなくなって砂粒が下方に収斂され、ロボットが人の仕事を奪うのではなく、人間がロボットの仕事を奪わなければ生きていけなくなるような未来の社会の姿である。金融、食品、薬品、仕事、政治、ビジネス、テクノロジーなど、14の切り口から世界の過去と現在と未来をオムニバス形式で描いたのが、この本だ。
貧富の格差は種の格差に
本書によると、世界は「平等に不平等になりつつある」。途上国はこの30年で着実に豊かになり、絶対的貧困者数は1990年の19億人から2015年の約8億人に減り、貧困率も36%から現在は10%を下回る割合まで改善している。テクノロジーの発達により、インフラのない国でもさまざまな商取引が可能になり、インターネットのおかげで銀行口座を持たずにおカネをやりとりできるようになった。貧しい国ほど古いインフラに邪魔されず、一足飛びに最新技術の恩恵を得られている。
一方で、世界の半分の富を8人の金持ちが所有している。いずれも事業経営者で、そのうちの半数はテクノロジー起業家だ。よく1%と言われるが、実際には0.1%ですらなく、ほんの一握りの実業家だけが世界中で創造された富を自分のものにしている。先進国では、格差は着実に、そして思いのほか速いペースで拡大している。1988年から2011年にかけて、下位10%の収入は年間3ドルも増えていないのに、上位1%は182倍になった。アメリカと日本はG7中最も相対的貧困率が高く、ひとり親世帯の貧困率は50%を上回る。ロンドン市民の28%は貧困認定され、「このままでいくと2030年までにハンガーゲームのような二極化都市になる」と言われる。
貧富の格差は教育格差になり、職業格差になり、健康格差になる。一握りの金持ちは高い教育を受け、いい仕事につき、バランスのいい食事を取り、遺伝子を操作してますます病気になりにくい身体を作る。一方残りの99.9%はこれまでと同じかそれ以下の生活を強いられる。数世代後の人類は、遺伝子操作を受けた「人類A」とそうでない「人類B」に分かれるだろう。貧富の格差は種の分化につながると本書は説いている。
人間がロボットの仕事を奪い合う
人口知能の発達によって今ある仕事の半分以上はロボットに奪われると言われて久しいが、著者の関心はそこにはない。問題は、ロボットより安い人間がロボットの仕事を奪い合う未来がやって来ることだ。その兆候はすでにある。自動洗車機がいい例だ。アメリカではガソリンスタンドから自動洗車機が消え、人間の労働力が機械に代わっている。人間の方が機械より安いからだ。機械が壊れたら修繕コストがかかるが、人間なら代替コストがかからない。クビになりたくない人間はどんな低賃金でもいとわない。AIによって人手が余る未来には、需給はさらに人間の不利になる。一方、ロボットは高度な管理職の役割を学習し、意思決定機能を持ち、経営判断を下すようになる。ロボットが人間の奴隷を使う未来はもうそこまで来ている。
再分配機能は誰の手に?
「自己責任」が資本主義国家のあるべき姿とされるようになったのはいつからだろう? わたしは1965年生まれだが、少なくともわたしの子供の頃は違っていたように思う。市民は税金を納め、政府がそれを受け取り、より恵まれた人の手から少しだけ恵まれない人の手に富が移動することを社会全体が許容していた時代は、それほど昔ではない。
本書によると、「自己責任」の種がまかれたのは1970年代の終わりから80年代にかけてだと言う。1960年代から70年代にかけての市民権運動と企業への規制強化に対する反動から、サプライサイド経済学と結びついた新自由主義が台頭したのがこの頃だった。サッチャー‐レーガン時代に富裕層減税が経済政策の核となり、格差の拡大は景気拡大の副産物ではなく、計画そのものになった。以降、アメリカでは「再分配」という言葉さえタブーになった。「再分配」という言葉を使ったオバマ大統領は社会主義者のレッテルを貼られた。恵まれた人から恵まれない人に富を受け渡すのは、政府の仕事ではなくなった。少なくとも保守派は今も、金持ちをさらに金持ちにすれば、富が自然に上から下にしたたり落ちる(トリクルダウン)という理論に固執している。実際、金持ち企業や一握りの起業家の持つ資産は、国家予算を上回る。再分配を行うかどうか、それをどう行うかを決めるのは、今や政府ではなく企業であり、ゲイツやザッカバーグのような資本家になりつつある。
砂時計型の未来を生きる
著者は未来の社会を砂時計に例えている。上と下が厚く、真ん中は細くくびれている。そして砂は上から下へとすべり落ちる。真ん中にとどまることはない。そしていったん下に落ちた砂粒が重力に逆らって上にのぼることはない。わたしたちの世代にはなんとか上に留まっていたとしても、何もしなければ子供の世代には下にすべり落ちる可能性の方がはるかに高い。
どうしたら上に留まることができるのか、この本に答えはない。ただ、砂時計型の未来に備えるための選択肢はあるのかもしれない。ひとつは、はじめから意図して資本家への道を選ぶということだ。みずから進んで砂時計の下を目指す人はいないと思うが、すべての労働階級(ホワイトカラーの従業員も含めて)が下にすべり落ちるとしたら、上にとどまるにはその反対に向かう、つまり次のベゾスやザッカーバーグを目指すしかない。たとえ失敗しても、何もやらなくても同じ99.9%に入るのだから、起業の実質的なリスクはない。ピーター・ティールも書いていたが、リスクを取らないことがリスクになる。
一方で、再分配機能を資本家に任せることに反対なら、話はややこしくなる。選挙で選ばれた政治家になり、政権を握り、国民の理解を得て、再分配機能を政府の手に取り戻すのか? その場合、ある一定期間政権にとどまる必要があるが、有権者の支持を長期間持続できるのか? 政治家でなければ新しいタイプの活動家になるのか?
では資本家も政治家も目指さない場合は? 革命を起こす? それともいっそのこと砂時計の下でいいとはじめから諦める? 貧困やむなしと覚悟を決める?
著者が描いた未来はSFの世界の出来事でもなければ、遠い遠い先のことでもない。今その未来はすでに目の前にある。それを見るか、目を背けるかは読者の皆さん次第だ。本書が皆さんの世界を見る目を変え、未来を見る目を変える助けになれば幸いである。
関 美和