再生可能エネルギーの躍進で世界中の電力構造は大きく変わろうとしている。太陽光をはじめとする再生可能エネルギー分野で技術革新がすすみ発電コストが大きく下がったことにより、供給量が大きく伸びてきた。
2000年代にも同じように電力構造の変化が起きており、その頃の主役は原子力だった。CO2を輩出しない電源として地球温暖化対策の救世主としてももてはやされ、原子力発電は飛ぶ鳥を落とす勢いで供給量が増えていったのだ。
躍進する電力には、技術者や企業家の夢や希望と同時に、お金や政治も絶妙に絡み合ってくる。この構造はいつの時代も同じかもしれない。そしてそこでは様々なドラマが繰り広げられるのである。
新電力として期待されていた原子力はどのように日本に導入されたのか。導入を進めた政治家・官僚・企業家はどのように絡み合って大きなうねりを作り出していたのか。本書が記録するのは日本の原子力政策のドラマである。
具体名や当時の会話が生々しく記録されているのが本書の醍醐味であり、原子力政策で誰がどのような思惑で推進していったのかが分かる貴重な資料になっている。細部をたどりながら大きな流れが分かるような構成だ。
原子力発電の導入といえば、大物政治家による逸話が数多く残されている。1954年に原子力に関する国家予算が新設された際に、当該予算に反対陳情しにきた科学者に対して、中曽根康弘が札束で頭をはたいたという逸話や、後に大物政治家となる日本テレビ社長の正力松太郎のもとには米CIAがアプローチして原子力の平和利用を触れ込んだという話は有名だ。
ただ本書によるとそのような逸話の裏で絶えず繰り広げられていたのは、原子力発電の主導権をめぐっての官僚と電力会社の争いだった。日本の電力政策においては常に国と民間電力会社間の主導権争いが繰り広げられていたのだ。
政治家が原発導入の音頭をとったわけだが、実際の導入にあたっては国策会社を介すのか民間の電力会社が導入主体となるかによって大きな論争が起きていた。戦前の電力国家管理体制へのアンチテーゼから民間電力会社はなんとしても国家主導による電源開発を阻止しようとしたのである。
自らが建設する火力発電の競合電源となる原発の導入に当初民間電力会社は消極的だったが、新しい電源開発において国家に主導権をとられたくない民間電力会社は、自分たちで原子力も運用することに決め、経産省(旧通産省)による電源開発を退け、次々と自らが原発を建設していくことになったのだ。
戦後の電力・エネルギー政策を振り返えると、常に経産省(旧通産省)と民間企業の主導権争いであり、その争いに勝利しつづけたのは電力会社であった。時代によって電力会社の戦術は変わるのだが、電力会社はうまく政治家を味方につけることで国家管理を免れてきたのである。
この流れが大きく変わったのが、福島第一原発事故であった。電力政策に対して絶大なる権力をもっていた電力会社の雄である東京電力が国家管理に入った事で、民間電力会社の政治力は大きく失われ、国家主導による電力政策が推進しやすい環境となる。電力業界の影響力が低下したことから、電力自由化が急速に進んでいるのはその一例だ。
一方で、民主党政権が目論んだ脱原発や自民党政権が推進する原発再開は、いずれも国家主導を掲げつつ、うまく実現していない。背景には様々な政治的アクターの思惑があり、ここにも色々なドラマが渦巻いている。
本書は、このように過去の原子力政策にとどまらず、近年の民主党政権から安倍自民党政権にてどのように原子力政策が揺れ動いていたかについて細かく事実を追い、原子力を中心として近現代の電力政策の動向をまとめた本として希有な一冊に仕上がっている。
エネルギー業界に関係ある人にとっては一級の資料であることはもちろんだが、ドラマが詰まった読み応えある読み物でもある。歴史の教科書や電力関連のニュースを読むだけでは分からない国家・企業・個々人の奮闘がつまっている。
今後、新しい電力源である再生可能エネルギーのいくすえを予測する上でも貴重な一冊となることは間違いない。
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こちらは原発導入に携わった官僚・電力関係者・研究者らが集まった研究会の肉声を取材した一冊だ。解説はこちら。