本書はアメリカ発祥のスポーツを通して、米国社会の歴史を眺めていく1冊である。焦点が当てられるのは、野球・バスケットボール・アメリカンフットボールだ。これら競技の成り立ちには、その時代のムードが確かに反映されており、後々もアメリカ社会の変化と密にかかわりながら発展を続けてきた。
上に挙げた3競技がその骨格を整えた時期は、19世紀後半に集中している。野球ならばナショナル・リーグの創立が1876年、アメフトの試合が最初に行われたのは1869年で、バスケは1891年に考案された。南北戦争が終結した1865年というタイミングに産声を上げた競技である。アメリカの産業社会が本格的に拡大していく時代の空気が反映されていないことの方が不自然かもしれない。
具体的な例でいうと、アメフトの章ではテイラーの科学的管理法が引き合いに出される。緻密な計画とリハーサルによってプレーの精度を上げ、偶発的なミスを減らしていく。そんな特徴を持つアメフトの普及は、20世紀初頭のテイラー・システムの登場を予告していたかのようにも見える。
バスケは宗教組織によって広まった。キリスト教青年会、通称YMCAである。人々をつなぎとめめる手段のひとつとして、産業社会へのシフトにともない持ちあがった健康問題に目をつけたのが、そもそものきっかけだそうだ。バレーボールも同様に、YMCA内の人物によって考案された。
バスケやアメフトに共通しているのは「アンスポーツマンライク」な行為に対する反則があること。そこには、1890年に制定された反トラスト法に見られるような、規制と改革の時代の精神が宿っていると著者は語る。
そうした近代性だけでなく、前近代的な特徴も含む競技として書かれているのが野球だ。南北戦争時の兵士の娯楽として一気に広まり、国技にまで昇りつめた。南北戦争においては、組織を効率よく運用し、味方の犠牲を最小化しつつ攻撃の成果を最大化しようとする近代戦の特徴と、個人の一騎打ちによって局面を打開しようとする前近代的な戦い方が混在していた。そうした近代と前近代的要素が混じり合う様が、野球のルールからも読み取れるという。
近代的要素としては、野球の元となった英国のクリケットが1試合に数日間費やしていたところを、1ゲーム数時間で終わるように設計し直した点などがあげられる。一方で、ホームランバッターや好投手によって個の力が組織を凌駕する場面も存在するところは、アメフトのように組織性の高い競技と比べると、当時の社会の流れに逆行するかのようで前近代的でもある。
アメリカ発祥の競技が誕生する背景に、イギリス生まれの競技の存在があったことは言うまでもない。だが、スポーツで金を稼ぐことを一段下に見る「アマチュアリズム」のような、当時の英国流の価値観が米国スポーツ界に受け継がれることはなかった。競技に金銭と切り離された純粋性を求める貴族的な発想は、あくまで平等を理念に掲げるアメリカにとって、階級社会の論理としてむしろ避けるべき対象であった。米国のプロスポーツが大規模な成長を遂げた要因を一言で語ることはできないが、源流を辿ると国の根幹にある思想の違いにまで行き着くのかもしれない。
スポーツを通して、アメリカの国際感覚まで読み取ろうとするところも興味深い。米国のプロスポーツにおける地域との結びつきの強さはよく知られている。野球チームの名称ひとつとっても、地域よりスポンサーの社名が目立つ日本に比べ、ニューヨーク・ヤンキースのように本拠地の都市とチーム名からなるメジャーの球団からは地域性の強さがうかがえる。
もともと地域間の対抗試合の側面が強い米国スポーツだが、その中で一番になったチームには即座に「世界一」の称号を与えるあたり、冷静に考えると独特な国際感覚である。メジャーリーグの王者決定戦を「ワールド・シリーズ」と呼ぶのもその象徴だ。「世界的にはマイナーな競技のまま、その競技ではアメリカが頂点に君臨し続けられることを望んでいるように見える」という著者の指摘に頷いてしまう。スポーツを通して、アメリカの不思議なスタンスが浮かび上がってくるのも本書の面白さのひとつである。
繰り出される考察の数々が表層的に聞こえないのは、米国の社会とスポーツ、両方の歴史が丹念に振り返られているからだ。ここまで書いたもの以外にも、人種問題に対するスポーツ界の態度、女子スポーツが社会的地位を得るまでの過程、メディアと結託しながら拡大していくスポーツビジネスの歴史など、多くの事例が積み上げられていく。
時代ごとにどのようなスポーツが、どのように世間に受け入れられたか、または厳しい視線を向けられたか、という立ち位置の変化には、社会の動きが反映されている。色々な競技において世間からの風当たりが強まっている、日本の現状に引きつけて考えるとなおわかりやすい。
スポーツの知識を補助線にしながら読むことで、個人的には今までになくアメリカへの興味がかき立てられる一冊となった。人によっては、政治経済よりも断然とっつきやすい切り口のアメリカ入門としても味わえるだろう。
村上浩のレビュー