古代エジプト、あるいはピラミッドという語句に接して、胸をときめかせずにいられる日本人は、そう多くはあるまい。だが時間的にも空間的にも遠く隔たった魅惑的な異世界に、私たちは勝手な幻想——時に超古代文明から宇宙人まで登場する——を投影してもきた。確かに古代エジプト、そしてピラミッドに謎は存在する。この謎に営々と立ち向かってきた、考古学者たちによる研究の歩みを明らかにしながら、なお残る謎が何なのかを明確に指し示したのが、エジプト考古学者の河江肖剰による本書だ。
「待望のカイロ・アメリカン大学に入学を果たした私は、フレッシュマンながらに『大ピラミッドの謎を解明したい!』と意気込んでいた。しかし、その謎が具体的に何を指しているのか、当の本人にもよく分かっていなかった」。考古学シロートの筆者が心から共感できるスタート地点から、いままさに河江自身が立っているエジプト学研究の最前線へと読者を誘うために、本書では約4500年前に築かれたピラミッドを、「どのように作ったのか」「なぜ作ったのか」「誰が作ったのか」という三つの大きなルートが設定される。
硬く巨大な石灰岩をどこから切り出し、いかにして運び、積み上げて、あの大規模な建造物を作り上げたのか。「どのように」の検証作業には、王のミイラどころか考古学の華たる発掘作業さえ出てこない。だが、三大ピラミッドが聳えるギザ台地全体の精密な測量を続けて地図を作製し、巨石を橇に乗せて引き上げるための手法や人数を実践によって確かめる「実験考古学」などの地道な成果から、ピラミッド建設の過程と技術が少しずつ明らかになっていく。
「何のために」と問うならば、それは確かに王の墓だった。ヘロドトス以来、神秘のヴェール越しに眺められていたピラミッドに、初めて学術的な探索の目を向けて測量を行った、一七世紀イギリスの数学者ジョン・グリーヴズに始まる近代的な研究。そして河岸神殿、参道、葬祭神殿、周壁、衛星ピラミッドなど「ピラミッド複合体」全体から得られた知見を統合し、ひとつの文脈の中に位置づけていった結果浮かび上がるのは、単なる墓ではなく、原初の混沌の海の中から、秩序ある世界が生まれ出る創世の神話を再現し、象徴するものとしてのピラミッドの姿だ。
本書全体を通じて河江が徹底的に重視しているのは(彼が師事するエジプト学の泰斗、マーク・レーナー博士の方針でもある)、「人間」の存在だ。その河江たちが現在、最後の謎として取り組んでいるのが、ピラミッド建設に携わった人々がどこに住み、どのような生活を送ったのかという、建造を成し遂げるための営みすべてを明らかにするはずの、「ピラミッド・タウン」の発掘調査である。ピラミッド建設そのものに従事する労働者、道具や工具を作る職人たち、食料を供給する者など、建設事業に関わった人員は2〜3万人と見積もられている。レーナー博士の指揮下で河江たちは、それまでエジプト学ではほとんど顧みられることのなかったピラミッド建設に携わる人々と、彼らが暮らした町「ピラミッド・タウン」を発見。パン焼き場の跡から激しい労働を支えた主食のパンを再現し、ゴミ捨て場に捨てられた「封泥」(文書などを密封し、そこに印章や手描きの文字を記した)から、そこで暮らした人物の社会的地位を明らかにしていく。
*
黄金に輝く宝物とは無縁の現場で蓄積された「情報」をもとに本書の第11章で描き出される、ギザ台地で生きた人々の日々の営みと建設中のピラミッドが佇む風景に宿るリアリティは圧巻だ。ピラミッド建設の時代が理解を絶した異境ではなく、現代の私たちと変わらぬ喜怒哀楽、生きることの喜びや明日への希望を抱いた人間の暮らす世界であったことを知り、彼らの生々しい息づかいまでを感じた時、私たち読者は、考古学が非現実的な夢を追うのではなく、何よりも人間を知り、深く洞察する学問であったことに、あらためて気づかされるのである。
文庫版の発刊にあたって書き加えられた第12章は、2015年の親本刊行後、エジプト学の領域にもたらされた新たな発見や知見をまとめたものだ。2017年11月の、「ギザの大ピラミッドに謎の空間発見!」報道はまだご記憶に新しい方が多いと思うが、その内容は媒体によって玉石混淆だった。発見された事実と、そこから導き出される可能性とを峻別しながら、研究という見地から重要なポイントがどこなのか、研究者の目を通して公正かつ冷静に整理されたこのパートは、メディアリテラシーやサイエンス(人文科学を含む)コミュニケーションのあるべき姿とは何かを考える上でも、意義深いものだろう。
メディアと学問との関係を考える上で、もうひとつ興味深いのが、河江自身がかかわる、ドローンを利用したピラミッドの3D計測プロジェクトだ。飛行高度と精度は反比例することから、有人機に比べて安価に、精度の高いデータを取得でき、またそのデータを利用して任意の地点の立体地図や断面図をつくるといった、多様な分析が展開できることから、ドローンを用いた三次元測量は、考古学の領域にも、近年積極的に採り入れられている。
一方、良質なエンターテインメントとして、考古学的な知識を含むコンテンツを提供してきた民放のテレビ番組が、こうした先進的な調査の支援を行うことによって、産学+メディア協働の計測・撮影が可能となった。こちらは現在進行形でデータの解析が続けられており、間もなく仮説の提示、データの一般公開が予定されているという。とかくセンセーショナリズムに流されがちなメディアと考古学との関係を、ただ忌避するのではなく、よい相互作用が起こる方向へ変えていくことも可能であると、今回の事例は示唆している。
テレビ、出版物、講演からSNSまで、あらゆる機会を捉えて、エジプト学の面白さを伝えようと積極的に活動する河江は、日本の研究者としては異色の存在なのかもしれない。だが、河江を研究に駆り立てた初期衝動としての知的好奇心は、年齢や属性を問わず、あらゆる人間に宿っている。私たち読者が、高度に専門的な研究の隅々まで理解することは叶わないにしても、世界の地平を押し広げていく研究者=エクスプローラーたちが拓いた道をたどり、未知の光景を共に眺めることはできる。その歓び──汲めども尽きず、分けても減らぬ、知ること・学ぶことの豊饒こそ、私たちが本書から受け取る最大の贈り物なのだ。
(「波」2015年10月号より転載・加筆、ライター・エディター)