表紙のアップルパイに惹かれて、本書に手を伸ばした。甘く煮付けた熱々のりんごと、サクサクのパイ生地が美味しそうだ。洋菓子は、生きていく上で米や塩のように必須ではないが、私たちの生活に彩りをもたらしてくれる。
洋菓子の歴史は記憶によって語り継がれるため、伝説や珍説が生まれやすい。その全てを真に受けないためにも、洋菓子の背景にある文化史を理解することは重要だ。
著者は30年近く、日本洋菓子協会連合会で、洋菓子専門月刊誌『ガトー(GATEAUX)』の編集に携わってきた。フランス料理を中心とする食文化史を研究する中で長年感じていたのは、一般に広まる洋菓子の由来に文献や資料などの根拠が不足しているということであった。本書は、著者が数々の原典に直接あたり、クレープやアップルパイなど、14種の身近な洋菓子の歴史をひもといた一冊だ。
古今東西、文化の根源には宗教が存在する。例えば、フランス菓子にブラマンジェという、白く、プルプルとした、ババロアのようなものがある。現代では卵黄、牛乳、砂糖を混ぜ、ゼラチンで固めて作るのが一般的だ。しかし、本来はアーモンドを挽いて粉末にし、それを煮てから濾した、アーモンドミルクが主原料だった。卵や砂糖は入っておらず、お粥のような食べ物であったという。
このようなものがつくられた背景には、キリスト教の断食期間中、乳製品や卵を食べられないという事情があった。聖書にはキリストが40日間荒野をさまよい、悪魔の誘惑を退けながら、何も口にしなかった、という記述がある。これに基づき、断食期間中は限られた食材で、工夫を凝らした料理がされたのだ。
また、国境を越えて、似たようなものを食べていることがある。ウィーン銘菓のアプフェルシュトルーデルは、薄いパリパリとした生地で、りんごやレーズンを包んだものだ。発展の背景には、ハプスブルク家があり、ウィーン市立図書館には、1696年作成の手書きのレシピが保存されている。驚くことに歴史を遡ると、オスマン帝国が発祥の地であるという。
16世紀以降、オスマン帝国のイスラム勢力と、ハプスブルク家のキリスト教勢力は、ハンガリーを分割統治しながら150年近く争っていた。戦争は破壊と略奪という負の面を持つが、文化の交流も促す。シュトルーデルの原型となったのは、オスマン帝国のバクラヴァという菓子だ。薄いサクサクとした生地を層状に重ね、間にはハチミツ漬けのナッツがいっぱいに詰まっている。戦争のおかげでバクラヴァは、オスマン帝国からハンガリーを経由してウィーンに伝わり、ハプスブルク家の料理人によってシュトルーデルへと変貌を遂げたのだ。
ここで、デザート(仏:dessertデセール)という言葉の意味についても考えてみたい。語源的にディナーの最後を飾るメニューであったことは間違いない。中世フランス語のdesservirとは、「供したもの(servir)」を「取り除く(des-)」という意味だ。つまり、「食卓をきれいに片付ける」ものがデザートであった。ちなみに、フランス料理は、食事に砂糖を使わないので、フランス人はデザートでたっぷりと甘いものを食べる。そんなフランス人が選ぶ、世界で一番のデザートとは何か。これはぜひ、本書で確認していただきたい。
本書を読むと、洋菓子の歴史だけではなく、世界史の意外な一面を知ることができる。また、製菓の知識も身につく。例えば、砂糖の機能は、甘みを与えるだけではない。ビスケットやスポンジケーキなどの焼き菓子では、砂糖は火の通りを良くし、きれいな焼き色をつけるのに必要だ。他の材料を規定通りに、砂糖の分量を半分にしたスポンジケーキは、白っぽく、膨らみも悪くなる。食感もソフトでしっとりとしたものにはならないのだ。
あるものが生まれ育ち、発展するには必ず人の暮らしがある。人の暮らしは歴史や文化と切り離してはありえない。洋菓子の由来や伝説の探求は、ヨーロッパの歴史と文化の探求となる。普段何気なく食べていた洋菓子も、その成り立ちを知れば、一味違った味わいになるだろう。
和菓子にまつわる話はこちらを読みたい。足立真穂のレビューはこちら。
お菓子を切り口として、フランス史を学べる。
身近な材料で簡単に素敵なお菓子が作れるレシピ本。エッセイも読み応えあり。