360年続く稀有で貴重な出版社に乗り込んだHONZ! 大火に見舞われながらも続いてきた版元、その名は「檜書店」。能の謡本を出し続けてきた。江戸時代の大、大、大ベストセラーとなった「謡本」とはどんなものなのか。檜書店の内部にさらに迫ってみよう。久しぶりの出版社訪問レビューは続く。(※前編はこちら)
ここで、実際に謡本を見せてもらうことにしよう。
檜 これです。『高砂』の謡本と小謡本です。こういった和綴じ本を今も使っているのは、仏教関係や、邦楽関連、そして、能の謡本くらいだと思います。
H 確かにそうですね。印刷をした和紙を束ねて、右側の部分を糸で手作業で綴る、というものですね。美しいですね。この表紙のマークは……?
檜 これは「観世千鳥」といって、観世大夫が将軍から拝領された、能の面を入れる「面箱」にあった模様です。
H 薄い布が、背の部分についていますね。
檜 「角裂れ」と呼び、本の補強の役目があります。のりで固めていまして、この布も京都のもので、染めてもらってから取り寄せており、特注です。
この和綴じ本は、綴じ方にもいくつかあり、それぞれまた味わいがあります。この「角裂れ」という部分は、謡の曲によって等級があり、色を変えるんですよ。
H 等級というのは、稽古で上級に上がっていく過程で、級ごとに習うべき曲がある、ということですか。
檜 そうなんです。細かい工夫がされているんです。
H この糸は?
檜 綴じ糸です。染めて撚ってもらっています。昔は普通に入手できたのですが、最近は特注になってしまい、お値段が張ります。
H なるほど。紙は、どういった和紙ですか?
檜 古いものは、手で漉いた和紙を使っていますが、最近は障子紙が多いですね。ただ、印刷をしてくれるところが少なくなって大変なんです。少し古めの機械でゆっくりと印刷をするイメージです。
H 厚みがありますし、柔らかくて手に馴染みがいいので、高速だと巻き込んでしまいそうですね。謡本の曲の数はどれくらいですか?
檜 200曲ほどが現行曲としてありますので、少量多品種です。ただ、最低ロットは和綴じ本の方が少なくて済み、印刷は、300~500部ほど、製本は30~50部単位でできます。
紙を袋とじにして、重ねて、手動のプレス機で押して圧縮します。それを糸で綴じていくのですが、今はこの製本作業をお願いできるのは2人の方でして、ほぼ手作業です。機械を使うのは、穴あけの部分くらいでしょうか。ですから、電気が通じている機械を使うのは、印刷後に断裁する際と、この穴あけくらいです。
H 「電気が通じている機械」(笑)
檜 手作業でできちゃうんです(笑)。
印刷をしたら、①まず折る。②丁合をまとめて、③プレス機で押して、④角裂れなどをくっつけてから、⑤穴をあけて通して、⑥糸をかがる。という流れです。
H この製本には経験が要りますね、できる人は減っているんでしょうか?
檜 東京で数か所、でそのうちの2か所にお願いしています。少なくなっていますよね。ただ、京都ではお寺さんの仏教関係の和綴じ本をつくることが多いので事情は違うかもしれませんね。
H 分厚いものだとどれくらいになるんでしょうか?
檜 これです。204丁あります。1丁が1枚なので、本では2頁分、頁数でいうと2倍の408頁になります。図ると28ミリも厚さがあるので相当です。
H 謡本の判型のサイズは……
檜 標準の謡本で、「半紙判」といい、164ミリ×227ミリです。日本の書店に並ぶ平均的な四六版は188ミリ×130ミリなので、少し違いますね。
こんな豆本もあるんです。「袖珍本(しゅうちんぼん)」といって、文字通り袖にも収まるサイズです(冒頭の写真の「小謡本」とある方)。持ち歩くのに便利なんです。
お稽古で学んだことを書きこんで、思い出とともに、一冊だけの自分なりの謡本を創りあげていただけます。味わいがあるからなのか、こういった和綴じ本が最近は人気で、ワークショップも結構あるようです。
檜 ですが……かつては謡本や関連する参考書が経営の軸でした。稽古をする人たちによって、支えられてきたんです。ところが、ここのところ、減ってきています。
ピークだった昭和30〜40年(1955年〜65年)頃に比べると、謡本の出る冊数が10分の1まで落ち込んでいます。
H 10分の1ですか……。でも、能や狂言の上演はよくやっていますよね。
檜 そうなんです。催し自体は結構多いんです。70年代から80年代、昭和の後半から平成バブルの前まで増えまして、いったん減少したものの、まだまだ多く、あちこちで上演があります。ただ、お稽古をする人が減っている。そういった方々の支え抜きでは、今後発展していくのが難しくなります。
謡本は、和紙や絹糸など原材料の製造から、和綴じ製本の細かい技法まで、多くの職人さんたちが支えてくれています。ほかにも能は、舞台、装束、と多くの手仕事によって支えられているんです。
H なるほど。茶の湯にも千家十職といった、お道具などに関わる職人の方たちがいますね。能も確かに、装束やお囃子の笛や鼓など、特殊な道具が多いですね。
檜 そうなんです。
H 檜さんは何人くらいでやってらっしゃるのでしょうか?
檜 常勤は6人です。営業2人と編集3人と私です。ほかに、能楽堂での販売もあるので、アルバイトも雇っています。
H え、創刊昭和4年!1929年ですか、80年以上ですね。
檜 途中は戦争で紙が悪くなったり、それどころか配給制になったので一時期休刊したりしたそうです。他に謡本を出す版元に、「わんや書店」さんや「能楽書林」さんがありますが、合同で能のお知らせとして出すか、なんていう話もあったそうです。社会全体が大変なことになっていましたから。
よろしければ、出版目録もあるのでどうぞ。
H おお、ありがとうございます。(眺める)。
ご紹介いただいた謡本の「観世流特製一番本(大成版)」ですか、それから拝見した『月刊雑誌 観世』。
『観世流 仕舞・舞囃子形付・手附』、これは舞やお囃子のための参考書ですね。同じように金剛流のも出されているから、それがあって……それぞれCDやDVD、カセットもあって。お稽古のためのライブラリーシリーズに、鑑賞講座シリーズ、英文の参考書や面について豪華本もあるんですね。
檜 和綴じ本では若い方には手が出ないので、お求めやすい「対訳でたのしむ能」という詞章と現代語訳を掲載した本も出しています。まだ200曲すべては出せていませんが、39曲分は揃いました。
H 名演集DVDもあって、能好きには至れり尽くせりですね。
「お稽古用品・付属品」というのも販売されているんですか。へええ。扇や足袋、見台(謡本を置く台)、謡本を入れる本箱まで。やっぱり桐製ですか。座椅子もあって。
檜 いろいろと扱わせていただいています。
H ん? なんですか、これ。
檜 はい?
H 「蜘蛛の巣」って……? 『月刊むし』にも売っていないと思います。
檜 『月刊むし』……??
H なんでもありません。こちらの話です。いったいこれは……?
檜 能に『土蜘蛛』という、源頼光が蜘蛛退治をする曲があります。僧に化けた蜘蛛の化け物、葛城山に住む土蜘蛛が蜘蛛の糸を投げる場面があるんですが、そこで投げる舞台の小道具なんです。手作業で細い紙をくるくるとまいて、きちんと着地するように先に小さな鉛をつけます。これはいくつも投げるもので、使い捨てなので販売しているんです。
H へええ、そんなものまで!
檜 五間五双で税込2376円です。
H 欲しくなってきました(笑)。
檜 ははは(笑)。
H やはり、能は見るよりもやる方が楽しい、と聞きますが、いかがですか?
檜 その通りです!(熱い!)
お稽古をやり始めると、謡が面白くなってたまらないんですよ! 自分でしっかりと稽古した曲は、舞台を客として見たときに、情景が浮かび上がって見えてきます。私自身、稽古を重ねてわかってきました。能は奥深くて楽しみ方もいろいろです。それを伝える本を作っていきたいです。
H そうですね!
檜 初心者の方には、相談があれば先生を紹介するようにもしています。
H なんと、そこまで!
檜 はい。ぜひ一度お電話をいただくか、お店にいらしてください(三軒茶屋と九段下でお稽古教室を月に2回共催しているそうだ)。
H そうでしたか、熱いですね~まさか、編集部でみんなでお稽古をしていたりして(笑)。
檜 当然やってます。
H へ?
檜 このビルの上に和室がありまして、そこで先生をお呼びして、全員で月に一度は謡うんです。
H 謡いまくるわけですか?
檜 「まくる」というほどではありませんが……まあ。それぞれ個人でみんな習っていますしね。
H ははあ~! 今度参加させてください(笑)。
というわけで、360年間謡い続ける(!)出版社、檜書店であった。
興味のある人はぜひ書店に足を運んでみるところから、ないしは、前編で紹介したマンガ以外にも、一般向けに面白い本がいくつかあるのでそこからどうぞ。
世阿弥は、『風姿花伝』ほか、いくつもの能に関する書物を書き記している。「初心不可忘(しょしんわするべからず)」や「秘すれば花」といった耳にしたことのある言葉から、「好色・博奕・大酒。三重戒、これ、古人の掟なり」などなどしみじみ背景を知りたくなる言葉まで、能に関わる人や愛好する文筆家が、世阿弥の残した言葉にまつわるエッセイを寄せている。今にも通じることばかりだ。
人気狂言師、でもあり俳優でもあり、演劇人でもあるあの野村萬斎さんが、写真満載でわかりやすく狂言を解説する一冊。Q&A方式で初心者でもOKだ。
*写真:足立真穂