イギリスの《ザ・タイムズ》紙のアジア編集長および東京支局長のリチャード・ロイド・パリーによる最新ノンフィクションをお届けする。
前作の『黒い迷宮──ルーシー・ブラックマン事件の真実』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)が多くのメディアで取り上げられ、読者から高い評価を得たのは、訳者としては望外の喜びだった。この作品のもつ凄まじい”力”については私も編集者も認めるところだったものの、日本史上類をみない猟奇的性犯罪をテーマとした作品がどれほど読者に受け容れられるかは未知数だった。しかしそんな不安は杞憂に終わり、《本の雑誌》の2015年度ベスト10(ノンジャンル)の8位にランクイン、人気書評サイト〈HONZ〉の「今年のノンフィクションはこれを読め!」の一冊に選ばれるなど大いに好評を博した。
著者のロイド・パリーについて──前作を読んでいない方も多いと思うので、簡単に紹介しておくと、1969年のイギリス生まれで現在は東京在住。日本に興味をもつようになったきっかけは、高校在学中にクイズ番組の優勝賞品として日本旅行を勝ち取ったことだという。オックスフォード大学卒業後にフリーランス記者として活動したのち、1995年に来日し、英《インディペンデント》紙の特派員を7年間務めた。2005年にはデビュー作となる、インドネシアのスハルト政権の終焉を描いたIn the Time of Madness[未訳]を上梓。『黒い迷宮』の原著である2012年発表の二作目People Who Eat Darkness は世界各国で翻訳出版され、多くの賞にノミネートされるなど大きな話題となった。現在は《ザ・タイムズ》紙の記事のほか、ツイッターでも精力的に日本のニュースを世界に伝えている。
さて、そのロイド・パリーが前作から6年の時をかけて執筆した最新作Ghosts of the Tsunami: Death and Life in Japan’s Disaster Zone は、著者の母国であるイギリスで2017年8月末に、アメリカで同年10月に発売された。イギリス各新聞の書評での評価は非常に高く、英《エコノミスト》誌のブックス・オブ・ザ・イヤーにも選出された。さらに、米〈アマゾン〉では2017年のノンフィクション部門と歴史部門のベスト・ブックスにランクインするなど、早くも話題を呼んでいる。日本ではイギリスでの発売前の早い段階から早川書房が出版に向けて動き出し、英米以外では世界で初めて翻訳出版される運びとなった。現在のところ、2018年3月にフランス語版が出版されることが決定しているが、今後もその言語数が増えることはまちがいない。
この作品は、2011年3月11日に起きた東日本大震災についてのルポルタージュである。著者が大きく取り上げるテーマはおもにふたつ。まず、宮城県石巻市の大川小学校の事故。この一件についてはすでにメディアで大きく報じられているため、ご存知の方も多いと思う。地震のあと、児童たちは運動場に50分も待機させられ、避難を始めた一分後に津波に襲われた。結果、児童78人のうち74人、教職員一一人のうち10人が死亡するという、学校での事故として戦後最大の犠牲者を出す惨事となった。この震災における学校管理下の児童・生徒の死亡者は75人で、そのうち74人が大川小の生徒だった。
ほかのすべての学校ではほぼ全員が避難を終えていたのに、なぜ大川小学校の児童だけが犠牲になったのか? 学校の裏には小学生でも簡単に登れる小高い山があったにもかかわらず、川沿いの危険な場所に避難しようとしたのはなぜか? 一部の遺族たちは、その謎を解明して責任の所在をはっきりさせるために裁判に踏み切った。著者のロイド・パリーは、この事故について6年にわたって緻密な取材を行ない、死亡した子どもの家族たちから数々の証言を得た。本書では、事故の背景や経緯、教育委員会と保護者の対立、遺族の苦しみや葛藤、地方裁判所での判決が出るまでの過程が細かく描かれる。
この本のもうひとつのテーマは、東日本大震災後に頻発した心霊現象についてだ。著者によると、地震のあとにたくさんの被災者が幽霊を見たと訴え、除霊が行なわれた事例も数多くあったという。宮城県栗原市にある通大寺の金田諦應住職への取材をもとに、著者はこの”津波の霊たち”の謎に迫っていく。ここでいう心霊現象はいわゆる”オカルト”の類ではなく、「幽霊」「心霊現象」という言葉も必ずしも文字どおりの意味で扱われているわけではない。「心霊現象を体験する」ということはトラウマの吐露であり、「物語を語ること」であるという本文内の指摘はじつに示唆的である。
東日本大震災についての著作はいくつもあるが、外国人記者の視点から描かれているというのが本作のもっとも大きな特徴であることは言うに及ばない。ベテラン報道記者のロイド・パリーは在日期間が22年に及ぶものの、英国人らしい客観的かつ批判的(クリティカル)な姿勢はいまなお健在である。その鋭く冷静な視点から繰り出される指摘と洞察がちりばめられたページを繰るにつれ、日本社会のさまざまな「ズレ」が浮き彫りになっていく。
本書で描かれるのはすべて日本で起きた出来事であり、登場人物は全員が日本人である。しかし、外国人の眼というフィルターを通すことによって、まったく新しい景色がそこに浮かび上がってくる。同時に、俯瞰したような視点で凄惨な事故の様子が淡々と描かれているにもかかわらず、「救済」「慈悲」「愛」が感じられるのは、ロイド・パリーの真摯な取材・執筆姿勢と人間味あふれる人柄のたまものだろう。個人的には、彼の紡ぐストーリーは基本的に”愛”の物語だと感じている。
著者の視点はどこまでも中立的であり、どちらの立場にも与しないし、どちらにもクリティカルであり、かつ肯定的でもある。しかし同時に、自身の政治的スタンスや信念について主張がぶれることはなく、日本の行政組織の在り方(今回のケースでは、とりわけ教育委員会と裁判所)については批判的だ。ロイド・パリーの全著作を読み、日々ネット上の記事やツイートを追う私がいつも教えられるのは、すべての物事が複層的であり、ものの見方や意味はひとつではないということだ。
たとえば本書では、人の死にも多角的な見方があり、多面的にとらえることが大切だと強調される。「死」に決まった定義などなく、死んだ状況、残された者の状況によってその意味やレベルはさまざまに変化する。言われてみれば当然のことながら、大人と子どもの死がもつ意味はまったく異なる。同じように、裁判に参加することとしないこと、大川小学校の校舎の保存を望むこと望まないこと、震災の経験について公の場で語ることと語らないことに、これほど多様な意味や理由があるという事実に驚きを禁じ得なかった。本書には日本人論という側面はもちろんのこと、死生観や宗教観についての哲学書、多様性をもつことを説く啓蒙書という一面もある気がした。
前作と同じように、今作におけるロイド・パリーの構成力とストーリーテリングの技術には卓越したものがある。短い章で畳みかけるようにスピーディーかつドラマティックに進む物語は、あたかもミステリ小説のようでもある。イギリスの文芸・文化批評雑誌《タイムズ・リタラリー・サプリメント》の批評家ギャビン・ジェイコブソンは「ロイド・パリーは文章のなかで”雄弁さ”と”タイミング”の技を多用する。それは、小説家がリズムをいろいろと変化させ、読者に与える情報をあえて控えることによって緊張感と驚きの瞬間を作り出すのと同じだ」と評する。また、著述家のヨハン・ハリは「ロイド・パリーは世界でもっとも才能豊かなノンフィクション作家だと言っても過言ではない」と激賞する。
大川小学校の一件については、この六年あまりのあいだに新聞、インターネット、テレビ、雑誌、書籍などですでに大々的に扱われてきた。また、遺族が起こした裁判の経緯やその結果についてもニュースで大きく報じられ、激しい賛否を巻き起こしてきた。しかし、この事故のことをほんとうに知っている人は果たして何人いるだろうか? 裁判の判決文や学校説明会の議事録を多くの人が精読するとは思えないし、一つひとつの出来事を描く記事はたくさんあっても、それを物語のようにはじめから最後まですべて読み、その記事と相反する内容の記事まで読み込まなければ全体像は見えてこないはずだ。
そういった視点で見ると、本書の「物語性」「読ませる工夫」は、「真実」を多くの人に伝えるための強力な武器になると私は強く感じた。なによりも重要なのは、大川小学校の事故の真相、遺族たちの苦しみ、津波の霊に取り憑かれた人々の悲しみをどのように多くの人に伝えるかということではないだろうか。本書を通して、読者はこの震災の裏に隠された「新たな真実」を知ることになるはずだ。
ところで、本書の副題にある「死と生の物語」が一般的な「生と死」という順番ではないのは、原著のサブタイトルDeath and Life in Japan’s Disaster Zone に準じたためである。なぜ「生と死」ではなく、「死と生」なのか? 本文を未読の方は、そんなことも考えながら読んでみてほしい(この順序に著者の意図があれば、という前提にはなるが……。しかし、死をメインテーマとして扱う本書が、●●のエピソードで始まり、●●のエピソードで終わるのは決して偶然ではないはずだ[本文をまだ読んでいない方のために伏せ字とする])。
本書の翻訳にあたっては、前作同様、著者のリチャード・ロイド・パリー氏と《ザ・タイムズ》紙の東京支局マネージャーの大軒京子氏から多大なる協力をいただいた。編集作業前のミーティングは数時間に及び、その後もおふたりとはメールで数えきれないほどやり取りを繰り返した。私の数々の不躾な質問にも気持ちよく答えてくれた著者と大軒氏に、心から感謝したい。一部、英語版から変更を加えたが、それは著者の許可を得た箇所、あるいは著者自身が希望した箇所である。
翻訳作業中は多くの既刊書に助けられた。とくに、本書内でもたびたび引用される『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社、2012年)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社、2014年)がなければ、本書の翻訳はほぼ不可能だったといっていい。この場を借りて、著者の池上正樹氏と加藤順子氏に厚く御礼申し上げたい。心霊現象の背景については、『魂でもいいから、そばにいて──3・11後の心霊体験を聞く』(奥野修司著、新潮社、2017年)がたいへん参考になった。
本書にも登場する金田諦應住職や大川小学校の遺族の紫桃隆洋さんは、日本各地から招待を受けて東日本大震災に関する講演を行なったとき、無関心の壁にぶつかったという。震災から六年以上がたったいま、東北の被災地のニュースを聞く機会もめっきり減り、被災者への支援や心のケアがこれまで以上に置き去りにされている感が否めない。本書が多くの人にとって、大川小学校や被災地の「真実」を知るきっかけになることを願うばかりである。
2017年12月 濱野 大道