本書は、素粒子物理学の「標準模型」——その名のとおり、現時点でのスタンダードなモデル——がどのようにしてできあがったかを詳細に綴った物語である。さまざまな物理理論の学術的な解説はもちろん、どこの誰がどんな理論を提出して総体的なモデルの完成にいたったかという歴史的な経緯もたっぷりと描かれている。
著者のローレンス・クラウスは、1954年生まれのアメリカの理論物理学者で、その研究分野は素粒子物理学から宇宙論まで多岐にわたる。初期宇宙、ダークマター、一般相対性理論、ニュートリノ天体物理学など、さまざまなテーマの研究によって300本以上の学術論文を発表しており、アメリカの代表的な三つの物理学団体——米国物理学協会、米国物理学会、米国物理学教員協会——の主要な賞をすべて獲得している、ただひとりの物理学者でもある。また、ニューヨーク・タイムズやニューヨーカーなどの新聞雑誌に定期的に寄稿する科学記事(のみならず、時事問題についての記事まで!)でもおなじみで、テレビやラジオへの出演も多い。まさにクラウスは、現在のアメリカ物理学界の「顔」のような存在であるというわけだ。一般向けの科学書も多数出版しており、前著の『宇宙が始まる前には何があったのか?』は、本国アメリカでも日本でもベストセラーとなった。
そのクラウスが、現在の物理学の知識がどこまで進んでいるかを宇宙の最大スケールの観点から紹介したのが前作だったとすれば、今作は、現在の物理学の知識がどこまで進んでいるかを宇宙の最小スケールの観点から紹介した本だということになるだろう。われわれ人間を含む、宇宙のあらゆるものを構成する最小の要素である素粒子についての研究は、20世紀のあいだに飛躍的に進展し、数年前のヒッグス粒子の発見をもって、ひとまず「標準模型」というかたちでの完成を見た。もちろん、まだわかっていないことはたくさんある。宇宙についての理解はこれからもずっと上書きされつづけ、そのたびに新しい宇宙像が見えるのだろう。それでも現在、人間の目では見ることのできない自然の姿がここまでわかったというのは、やはりすごいことである。これをやりとげた人類の探究心の偉大さを、本書は読者にまざまざと見せつけてくれるだろう。
素粒子物理学や量子力学についての一般向けの科学書はいろいろあるが、詳細さという点で、本書に並ぶものはほとんどないのではなかろうか。欧米の著者で、湯川秀樹、南部陽一郎の業績や人物像を、ここまで詳しく取り上げた人がいただろうか。つまり、本書ではそれだけ深く素粒子理論や場の量子論が掘り下げられているということで、内容も決して容易ではない。加えて、「物理学は、教科書で列挙されるように一直線に前進するわけではない」と本文中にあるように、標準模型ができあがるまでには多くの紆余曲折があり、それもまた本書の内容を複雑なものにしている。だが、クラウスはその複雑さをあえて整理しすぎなかったのではないか。これは教科書ではなくて「物語」なのだ。当時の物理学者たちの混乱に、読者もそのままついていくしかない。
それでも先を読ませてしまうのがクラウスの語り手としての力量で、物語の端々を彩るのが、登場する科学者たちの興味深い逸話である。オカルトに傾倒していたニュートン、大衆のためのクリスマス講演を欠かさなかったファラデー、神童だったマクスウェル、寡黙なディラック、闊達なファインマン。グラショウやワインバーグなどとの個人的な交流の話は、現役科学者のクラウスだからこそ語れるエピソードだろう。ヒッグス粒子を予言した二つの論文の査読者が南部陽一郎だったという素敵な偶然も紹介されている。クラウスは、こうした運命的なドラマを「詩的」と表現する。
そうして標準模型が完成し、その正しさを確認されたのちも、なお残る問題について書かれたのが最後の二章である。それらの問題が解決されるかどうかは、現時点では不明だという。物語はまだまだ続くのだ。
ところで本書の原題は、The Greatest Story Ever Told — So Far という。なるほど、「これまでのところの史上最も偉大な物語」か——科学者たちがこれまでになしとげた偉大な知的探求の物語なのだな、と普通に解釈してしまいそうだが、じつは、これはかなり挑戦的なタイトルである。英語でThe Greatest Story Ever Told といえば、それはすなわちキリスト教の聖書のことなのだ。イエス・キリストの生涯を描いた一九六五年のアメリカ映画も同じタイトルで、日本では『偉大な生涯の物語』という題名に訳されている。聖書の記述に一致しないという理由で進化論を信じない人がアメリカにたくさんいるというのはよく知られる話だが、キリスト教圏での科学と宗教の関係は、日本人からするとなかなか理解しにくいくらいに深刻な問題であるらしい。
そしてローレンス・クラウスは、自ら「反神論者」と名乗るほどこの問題に意識的な科学者で、前作『宇宙が始まる前には何があったのか?』でも、神の存在についてのかなり突っ込んだ記述がされていた。本書では、クラウス自身のそうした見解はところどころに垣間見える程度だが、そのぶん書名と各パートの題名に彼なりの思いを込めたのだろう。目次を先に見た人は、これはいったい何の本だと思ったかもしれない。第一部は「創世記」、第二部は「出エジプト記」、第三部は「黙示録」と題されているのだ。
とはいえ、英語では、第一部はGenesis、第二部はExodus、第三部はRevelationとなっていて、たしかにこれらの単語から第一に連想されるのは前述の聖書の書名だが、それぞれに一般名詞としての意味もあり、そちらの意味をとれば本文の内容とみごとに呼応するタイトルになっている。「創世記」を「始まり」と解釈すれば、まさに第一部は、ニュートンからアインシュタインやディラックなどを経てフェルミにいたるまでの、現代物理学の始まりを描いた内容である。「出エジプト記」を「脱出」と解釈すれば、第二部は、袋小路にはまりかけた場の量子論がいかにして対称性の破れという脱出口を見いだしたかの話であり、「黙示録」を「隠れていたものが姿を現すこと」と解釈すれば、第三部は、理論上の存在だったウィークボソンやヒッグス粒子がついに実験で発見されたという話なのである。
ローレンス・クラウスやリチャード・ドーキンスのように、「神を信じる信じない」問題に積極的に切り込んでいく西洋の一部の科学者の弁舌に、喝采を送る読者もいれば、少々うっとうしいと感じる読者もいるかもしれない。だが、彼ら一流の専門的な研究者が、本書のような一般向けの「できるだけシンプルでありながらシンプルすぎない」長大な本をいくつも熱心に書いてくれるのは、そうしたキリスト教圏ならではの問題があるからこそなのだと思えなくもない。古い世界像ばかりを見ていないで、もっと最新の知見を学ぼうよ、と誘うかのごとく彼らが次々と繰り出してくる噛み応えのある作品を、読者としてはありがたく受け止めたいと思うのである。
本書の英語での書名と各パートの題名を紹介したところで、ついでに各章の題名についても触れておきたい。多くの一流の自然科学者がそうであるように、クラウスも人文科学やサブカルチャーに詳しく、本書の各章のタイトルの多くにも、古今の文学作品や映画やテレビ番組からの引用を使っている。英語の慣用句のもじりもある。そしてお察しのとおり、聖書からの引用もある。日本の読者にはなじみのないものも多く(告白すれば訳者にもわからないものがある)、内容に即したわかりやすい題名に差し替えることも考えたが、クラウスの遊び心を尊重して、あえてそのまま逐語訳とした。以下に原題を記しておくので、興味のある方は、元ネタ探しを(某大河ドラマの副題と同じように)楽しんでいただければ幸いである。
Chapter 1: From the Armoire to the Cave
Chapter 2: Seeing in the Dark
Chapter 3: Trough a Glass, Lightly
Chapter 4: There, and Back Again
Chapter 5: A Stitch in Time
Chapter 6: The Shadows of Reality
Chapter 7: A Universe Stranger Than Fiction
Chapter 8: A Wrinkle in Time
Chapter 9: Decay and Rubble
Chapter10: From Here to Infinity: Shedding Light on the Sun
Chapter11: Desperate Times and Desperate Measures
Chapter12: March of the Titans
Chapter13: Endless Forms Most Beautiful: Symmetry Strikes Back
Chapter14: Cold, Stark Reality: Breaking Bad or Beautiful?
Chapter15: Living inside a Superconductor
Chapter16: The Bearable Heaviness of Being: Symmetry Broken, Physics Fixed
Chapter17: The Wrong Place at the Right Time
Chapter18: The Fog Lifts
Chapter19: Free at Last
Chapter20: Spanking the Vacuum
Chapter21: Gothic Cathedrals of the Twenty-First Century
Chapter22: More Questions than Answers
Chapter23: From a Beer Party to the End of Time
2018年1月 塩原 通緒