爆弾が降りしきる中、私と同じように生活を営む人がいる。そんな当たり前のことを、本書を読むまで忘れかけていた。銃撃戦がひどい地域の住民は全員避難して、住居のなかは空っぽになっているというのは自分勝手な思い込み。バナは爆撃と銃撃戦が日々繰り返される街で生活していた。
バナの家族は、お父さん、お母さん、弟のモハメッド、戦争の最中に生まれた弟のヌール(光という意味)、マレクおじいちゃん、サマルおばあちゃん、マーゼンおじさんとヤーマンおじさんなど、総勢20人ほどの大家族だ。住み慣れた街は、シリアのアレッポ。バナのツイッターに反応してバナと家族を救い出した国、そして今住んでいる国はトルコ。
バナは8歳の女の子だ。3歳までは戦争のないごく普通の日常を暮らしていた。お父さんとプールに行ったり、公園で遊んだり、友達とお人形さんごっこしたり。4歳の誕生日を迎える前に空襲が始まった。家が、学校が、病院が破壊された。
ある日、ムハラバードという、シリアの大統領バシャール・アル=アサドのために働いている秘密警察に、父が拉致された。それがバナにとっての戦争の始まりとなる。父は次の日に帰ってきたけど、すぐに爆弾が落ちる日々が始まった。
その後の経緯はバナが、私たちに語ってくれる。銃撃戦があった日。おばあちゃん家が政府軍に占拠された日。アレッポが政府軍に包囲され、食料も水もどんどんなくなっていった数ヶ月。可愛らしい文体と少女の目線、一方で過酷すぎる現実。ストレートな文章だからこそ、その対比に心が痛む。
日本では戦後70周年イベントが行われたばかりだ。私は戦争が過去のものと思い込み、戦時中を生きた人々はご高齢で、これからは彼らの体験や学んだことを伝承することが私たち世代の役目だと思っていた。
しかし、私はただ平和ぼけ状態で、海外に視線を向けると朝鮮半島も中国でも、戦争の傷跡まだが生々しく残っていた。ましてやシリアは現在進行中である。どうして、私は日本のなかでしか想像出来ずに、シリアの子供たちを知らずに、全くの無知で・・・。
バナは、私と同じように何も知らない人たちにツイッターを通じて話しかけた。最初のツイートは2016年6月24日、「I need peace(わたしは平和が欲しい)」
そんなバナの命が狙われた。少女のツイートを憎むほど当時政府軍には余裕がなかったみたいだ。家が爆撃され、軍からの逃避劇が始まった。バナはそれでも発信することをやめなかった。それは、娘が命を狙われても、ツイートすることをやめさせない家族がいたからだ。バナの声は、シリアの子どもたちの代弁者としての役割を担っていたからである。
本書には5回にわたり、母からの手紙が記されている。命がけで家族を守り、バナにツイッターを発信し続ける意義を教えた母。母の言葉がバナにどれほどの勇気を与えたのだろうか。
戦争の経験なんか、させたくなかった。でも、それによってあなたがより寛大で何事にも感謝できる人間、思慮深くて人の過ちを許せる人間になったと信じている。最悪のものを見聞きしてきたあなたは、最高の人間になっているはず。それはすばれしいことなのよ、バナ。それがすべてなの。
そして最後に、本書の素晴らしいところは、暗い話ばかりでは決してないということ。希望が日常を眩しく照らす場面こそが、本書の一番の魅力である。例えば、爆撃が酷く、病院が破壊され、食料や水も十分に確保できないなか、3人目の子どもを妊娠していた母は現実に打ちのめされていた。
そんな中、バナは母に生まれてくる子どもの夢や希望を楽しそうに話す。激しい爆撃が続く地下室の中でバナが喜ぶ様子を見て、母は戦争のなかでも幸福をやっと感じることができた。
そして、赤ちゃんが生まれた。
初めてあの子のぬくもりを胸に感じたとき、あらゆるものが遠ざかっていった。爆撃も喪失も絶望も、私の一部になっていた恐怖も。何年も経験したことがなかった穏やかな気持ちだった。世界のあらゆるものが薄れていき、存在しているのは私の胸に感じる赤ちゃんの鼓動だけ。規則正しい、この子を育んでくれる力。
バナが放つ光は、お父さんとお母さんから受け継いだもの。その光は二人の弟にも受け継がれている。戦争が奪えない、目に見えない希望をバナは本書で私に教えてくれた。バナの現状を、そして希望をもっと多くの人に伝えたく、本書をこれからも勧めていきたいと思う。
高校生と一緒に戦争について考える。何でも考えるきっかけが大事だと思います。