この原稿を書いている最中に、想定外のニュースが飛び込んできた。Facebookが新しい時間の単位を発表したというものだ。人類(のほとんど)は秒を共通の使用しているが、Facebookが提案した新しい時間の単位「フリック」は、7億560万分の1秒で、映像コンテンツを制作する際に、有用な単位となるらしい。
確かに時計の技術的な進歩により、時間の単位は変わっていないが、定義は変わった。はじめは地球の自転により定義され、公転に変わり、1967年に現在の定義であるセシウム原子の固有の周期に基づく秒に変わった。
そして、人類を悩ます問題も同時に誕生した。人工的な原子時計が導入されたことで、原子時間と天文学的時間にずれが生じたことだ。そのズレの影響の被害者は、生活を裏側から支えるシステムやプログラムである。ズレを修正する「うるう秒」が1972年からこれまでに27回導入されてきたが、対応の負荷があまりに大きいため、廃止も検討されている。正確な時間を維持し続けることは、随分と苦労が多い。
余談ではあるが、1キログラムの定義は「国際キログラム原器」であり、100年以上にわたり全世界の質量の基準になってきた。しかし、長期的には原器表面の汚染などによって変動することがわかり、2018年に普遍的な基礎物理定数に基づいた定義に変わる予定だ。有力な候補はアボガドロ定数に基づくものである。
しかし、時間について変わっていない不思議なものがある。それは、1秒までは12進法と60進法で表記され、1秒以下は10進法で表記されることだ。「10秒30」は10秒と1/2ではなく、10秒と3/10である。
昔は、1秒未満が社会問題化になることはなく、現在でも日常生活においては不便はなく、1秒以下を意識することは少ない。しかし、この単位のズレはコンピュータに余分な負担を与え、演算のスピードを落とすなど、仕事や社会の円滑な運営の上では支障をきたす。影響が大きくなれば、この先慣れ親しんできた時間の単位が変わる可能性もある。
とはいえ単位を変えるのはたいそうな仕事で、国家間で歩調をあわせながら、ゆっくりと進んでいく。いっぽう、冒頭で紹介したFacebookに代表される国家と均衡する力を持つ民間側が、独自に特定の利用者に対して有効な単位を定義したことは、時計の歴史において一つのターニングポイントになるのかもしれない。
さて、時計と人の関係史を過去へ過去へと遡っていくと、時間という見えないものの存在を解き明かし、時計として時間を「見える化」してきた5000年以上にわたる人類の工夫の積み重ねを知ることができる。
フランスの思想家ジャック・アタリは、時間の計時具に着目して、歴史を「神々の時」「身体の時」「機械の時」「コードの時」の4つに分け、時間の精度向上が社会制度や人間の行動に与えた影響を書いている。一例ではあるが、日本では、江戸時代までは季節によって1時間の長さが異なる不定時法であり、明治6年から定時法が採用された。今では時間に正確なイメージが定着した日本人も、その当時は、時間に非常にルーズでお雇い外国人を悩ませていた。
長い歴史の中でも、この半世紀に起こった劇的な進歩は目を見張るものがある。まず、時計の小型化により、持ち運びがらくに、そして腕にも装着できるようになった。さらに量産化の成功により、だれもが安価に、しかも複数の時計を手に入れ、正確な時間をいつでも把握できるようになった。電池の小型化と省電力により、時計のゼンマイを巻き直したり、時間を調整することもほとんどなくなった。
そして、なにより時計の精度向上は、生活を徐々に変える通奏低音となり、私たちの時間への価値観を変えた。時計がズレたり、間違って困ることはほとんどなくなった。その分、時間に対して神経質になり、待ち合わせなどではすぐに時計をチェックしたくなる。
そして、日常生活ではほとんど無縁な超高精度の時計が発明された。300億年間に1秒の誤差を実現する光格子時計である。東京大学工学系研究科の香取教授により、理論が発表され、具体的な試作機も作られている。宇宙開闢以来、約138億年、それさえ超える時計の精度は、人間の感覚では認知はできないし、想像の域を遥かに越えている。素晴らしいと思うと同時に、そんな研究になんの意味があるのかと思ってしまうが、想像をはるかにこえる活用の可能性が提示されている。
高度の異なる場所にある光格子時計を2台の時間差を照合することで、時計の置かれている場所の高度差を測定することができたのだ。18桁の精度を持つ光格子時計同士であれば、1センチメートルの高度差でも時計の時間差を測ることができるそうだ。
時計はうるう秒や進法の混在などの課題を抱えながらも、「時を計る」ことを越えて、新たな局面に達している。
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世界一大きな砂時計がある町で生まれ育ち、産総研で光格子時計を研究・開発している著者による時間とその技術の入門書。
剽窃問題を起こしたいわくつきの一冊ではあるが、切り口が斬新で、抜群におもしろい。
理論物理学者である著者の名著。著者の自伝があれば、読んでみたい。