その男は酒もタバコもしない。ギャンブルに手を出すこともない。刺激物はコーヒーすら飲まないのだ。キリスト教の教会に通い、積極的思考(ポジティブシンキング)を実践することで世界一の大国アメリカで人もうらやむ成功を手にした。この禁欲的に思える男の名前は、ドナルド・トランプ。そう、現アメリカ大統領のトランプには奇妙な信心深さがある。
テレビから伝わるトランプのイメージは、禁欲や信心深さという言葉からは対極にある。政敵を口汚く罵り、派手な女性遍歴を誇るトランプに、どのように禁欲的な性質が内在するのか。遠く日本から眺めていると、その存在は矛盾だらけの奇妙なものに思えてくる。しかし、『反知性主義』でトランプ現象を予測したとも言われた著者の森本あんりは以下のように、トランプの存在は特異なものではないと説く。
トランプの奇妙な信心深さは、アメリカ的なキリスト教の文脈ではけっして特殊な例ではないということです。
矛盾だらけに見えるのはトランプだけではない。世界のどの国よりもノーベル賞受賞者を生み出す科学先進国なのに未だに進化論を否定する人々が相当数いて、移民の国であることがアイデンティティであるように思えるのに強烈な排外主義が存在し、大きな政府を毛嫌いしたかと思えば大統領選挙に熱狂する。アメリカには、にわかには理解できない矛盾が数多く存在する。この矛盾を読み解くカギは「アメリカに土着化したキリスト教」にあると著者は説く。
この本は著者が最近行った講演や寄稿した記事をもとに、一般向けに口語体でまとめられているので、大変に読みやすい。「負けを理解できないアメリカ人」、「なぜFBIは悪役になるのか」、「陰謀論を養分とするアメリカ政治」などという興味を掻き立てる数多くの小見出しも、読書のテンポを小気味よいものにするのに大いに役立っている。心地よい読書体験を得ながら、アメリカを動かすロジックが明確になっていくはずだ。
アメリカやキリスト教に限らず、宗教はそれぞれの土地に根付き発展するときに「土着化」という変容プロセスをたどる。アメリカにおけるキリスト教の土着化で最初に挙げられるキーワードは、「富と成功」という勝ち組の理論である。
もともと聖書では神と人間の関係を、神は人間が不服従なときにも一方的に恵みを与えてくれるという、「片務契約」で理解する要素が含まれている。ところが、ピューリタ二ズムがアメリカに移植される過程で、「片務契約」は「双務契約」へと転移していった。双務ということは、人間は神に従い、神は人間に恵みを与える義務があるということだ。これは信賞必罰、ギブ・アンド・テイクの論理であり、神学的な恩恵概念からは逸脱している。しかし、この論理も順調に機能している限りは信仰や道徳を奨励し、強化するのだ。
ところが、この論理の行き着く先には「神の祝福を受けているならば、正しい者だ」という考え方が待ち受けている。
自分は成功した。大金持ちになった。それは人びとが自分を認めてくれただけではなく、神もまた自分を認めてくれたからだ。たしかに自分も努力した。だが、それだけでここまで来られたわけではない。神の祝福が伴わなければ、こんな幸運を得ることはできなかったはずだ。神が祝福してくれているのだから、自分は正しいのだ。
成り上がりや成金を冷やかに見る日本とは異なる論理がここにある。そして、この論理によってアメリカはどのような幸福も正当化し、揺るぎのない幸福の根拠に安寧とすることができるのだ。
「富と成功」の論理にも大きな欠陥がある。「負け」を説明できないのだ。上記の論理を逆回転させると、失敗した自分は神に見放されたということになってしまう。これはあまりに過酷な結論であり、多くの人は受け入れることができない。そうすると、自分の「負け」や「失敗」の原因を自分ではない別のどこかに求めざるを得なくなる。心の内にある説明できないこんな不満が、2016年の大統領選で多くの人々をサンダースやトランプ支持へと向かわせたのではないかと著者は指摘する。アメリカという国自体が負けを経験しておらず、負けを神学的に説明する論理は欠落したままなのである。
「富と成功」に加えて「反知性主義」という伝統から、アメリカのふしぎな論理を解説していく本書が終章で取り扱うテーマは、「正統」とは何か、である。著者は現代を「正統の権威が浸食されている時代」、「異端であることに、特に痛痒を感じない時代」であると感じている。そして、「判官贔屓」の言葉に表れるように異端を好む日本に住む我々が、どのように正統を引き受けるべきかと投げかける。ふしぎな異国の論理を知ることで、自らの輪郭がよりはっきりしてくる。
トランプを支持したラスト・ベルトに住む人々のリアルが、絶望が痛いほどに伝わってくる一冊。1人の男のビルドゥングスロマンとしても読むことができる。レビューはこちら。
矛盾だらけのアメリカを、こちらは「実験国家」をキーワードに読み解いていく。レビューはこちら。
トランプ大統領の誕生を予言した書と言われることもあるが、著者はクリントンの勝利を予想していたという。