「一般企業もマフィアもやっていることは同じですよ」
もしあなたが真面目なサラリーマンで、誰かに面と向かってこんなことを言われたとしたら、どんな反応を示すだろうか。おそらく内心ムッとするはずだ。そして「とんでもない! 反社会的集団と企業を一緒にしないでください」とかなんとか反論のひとつも付け加えながら、納得のいかない表情を浮かべるのではないだろうか。
だが本書を読んだ後でも同じような認識でいられるかはおおいに疑問だ。もしかしたら笑顔で「ですよねー」と同意すらしているかもしれない。なにしろ本書によれば、斯界にその名を轟かす麻薬王は、誰もがみな名経営者だというのだから。
『エコノミスト』誌でエディターを務める著者は、ラテンアメリカで麻薬関連の取材をするうちに、麻薬ビジネスのあり方がグローバル企業のそれと酷似していることに気づく。実際、麻薬ビジネスの規模はグローバル級で、本書によれば麻薬ビジネス全体の年間売上高は約3000億ドル(諸説あり。6000億ドルや8000億ドルという試算もある)。これは国にたとえると世界で40位以内に入る経済規模だという。
たしかに製品を設計、製造、輸送し、市場に流通させ、世界中の消費者へと販売するという一連の流れは、グローバル企業のビジネスと何ら変わりがない。この他にも人材の管理、政府の規制への対応、信頼できる供給業者の獲得、競合組織への対処など、麻薬カルテルのボスたちの悩みは企業経営者が日々頭を悩ませていることとまるで同じである。
著者は命がけの危険な取材で得た成果を最新の学説と結びつけ、本書で麻薬ビジネスを経済学的に分析してみせた。そこから見えてくるのは、これまで各国で行われてきた麻薬対策の誤ったアプローチだ。
その代表例が供給面への偏りである。麻薬問題といえばきまって俎上にのぼるのが供給面(密売組織側)の取締りだ。メキシコ国境付近で麻薬カルテル同士の抗争が起きると検問所を封鎖しろと声があがる。だが著者はそうしたアプローチにはほとんど効果がないと断ずる。
たとえばアンデス地方ではコカインの原料となるコカの葉の供給を断つために、長年にわたって軽飛行機によって除草剤を散布してきた。しかし数十年間にわたる巨額の投資にもかかわらず、コカインの価格にはまったく影響がなかったのである。
本書はその理由を、ウォルマートを例にわかりやすく解説してみせる。ウォルマートが激安価格を実現できているのは仕入れ先が泣いているからで、これと同様にカルテルが価格を維持できているのは、コカの栽培農家にコストの増大分を吸収させているからだという。サプライ・チェーンの活用という点で、コロンビアの麻薬カルテルはウォルマートの天才的な手法を密かに学んだかのようだ。
さらに言えば、コカの葉のコストが低すぎて、コカインの末端価格にほとんど影響を及ぼさないという点も見逃してはいけないポイントだ。たとえ栽培コストが倍になったとしても、悲しいことに最終価格は1%も上昇しない。アメリカのランド研究所によれば、国内でコカインの価格がもっとも急上昇するのは、中間ディーラーから売人にコカインが渡るときで、価格はキログラムあたり1万9500ドルからなんと7万8000ドルにまで跳ね上がるという。
つまりコカ畑をいくら潰しても、貧しい農民がますます苦しむばかりで、組織はすぐに別の調達先を見つけてしまうのだ。実際にグアテマラやホンジュラス、エルサルバドルといった中米諸国は、麻薬ビジネスの拠点となっている。人件費が安く、政府の規制も甘いこれらの国々にメキシコのカルテルが生産拠点を移転させているのだ。事業活動を国外に移転するオフショアリングを麻薬業界もとっくに実践しているのである。
同じように国境の取り締まり強化もほとんど効果がない。メキシコからの密入国ビジネスには昔から「コヨーテ」と呼ばれる斡旋人たちが関わってきたが、アメリカ側が国境警備を強化したことによって、コヨーテは価格を大幅に吊り上げた。コストの増大は個人営業のコヨーテを廃業に追い込む一方で、一部のコヨーテたちがより巨大化し、犯罪集団化するのを促したという。
密入国ビジネスを無くすのに有効なのは、供給面を担うコヨーテを取り締まることではなく、密入国の需要そのものをなくしてしまうことだ。ビザの発給条件を緩和するなどすぐ出来る施策もあるが、著者によれば、経済学が示す解決策は、国境を封鎖することではなく、逆に開放することだという。そうすることでひとつひとつの検問所の価値が下がり、検問所をどちらが支配するかをめぐってカルテル同士が争うような悲劇は減るだろう。
だがここで疑問が生じる。検問所を開けば、メキシコからアメリカへと流れ込む麻薬の量は増えるのではないか? 著者は密売組織に経済的なダメージを与えたいのであれば、貧しいコカ農家ではなく、顧客である富裕層をターゲットにすべきだ主張している。でもどうやって? 著者がここで提示するのは、麻薬の合法化というコンセプトだ。
合法化といっても、もちろん麻薬を自由にしていいということではない。近年、麻薬は安全ではなく危険だからこそ、きちんと法律で規制したほうが効果的にコントロールできるという主張が、麻薬合法化の根拠として唱えられているという。
アメリカのコロラド州ではすでにその実験がはじまっている。デンバーの合法大麻企業では、密造業者が太刀打ちできないような大規模な設備で、安全性や純度、成分などがきちんと検査され、子どもが開封できないような容器に詰められた麻薬が、21歳以上の人々に限定された量だけ販売されている。この結果、コロラド州では年間7億ドルを上回る売り上げが組織犯罪グループから合法企業へと移転したことになるという。
本書を読めばきっと経済学の応用範囲の広さに驚かされるはずだ。麻薬カルテルがグローバル企業と同じように運営されているのであれば、彼らの次の一手を予測し、先手を打ってその企みを挫くことも可能となるだろう。その際、経済学の知見は我々にとって有力な武器となる。
本書は経済学的な視点を学べるだけでなく、さまざまなトリビアでも楽しませてくれる。脱法ドラッグの最新事情や(人口わずか470万人のニュージーランドが脱法ドラッグの先進国だなんて!)、麻薬のオンライン販売事情(なんと薬物検査を切り抜けるための合成尿まで売られている!)などなど、聞けば誰かに話したくなるようなネタ満載で、おススメの一冊だ。