ひとつ考えてみてほしい。あなたはショッピングモールの一角で、そこを行く人々にアンケート調査への協力を求めている。でも、わざわざ時間を割いて調査に協力してくれる人はごくわずかだ。では、もっと多くの人に協力してもらうためには、あなたは彼らにどういうふうに声をかけたらよいだろうか。
本書は、社会心理学者のロバート・チャルディーニによる単著で、あのベストセラー『影響力の武器』の続編にあたるものである。かつてチャルディーニは、さまざまな業界に自ら飛び込み、説得のプロたちが用いる「影響力の武器」を探り当てた。すなわち、彼らが説得の際に用いる特徴的な手法として、「返報性」「好意」「社会的証明」「権威」「希少性」「一貫性」の6つを突きとめたのである。だがその後の研究によって、チャルディーニはいまひとつの事実に思い至る。それは、説得のプロたちが巧みなのはなにも説得の瞬間だけではない、という事実である。
本書『PRE-SUASION』の主題は、「説得上手な人たちは事前に何をしているか」である。チャルディーニによれば、「説得の達人を達人たらしめるのは、下準備、すなわち受け手がメッセージに出会う前から、それを受け入れる気になるようにする行為」にほかならない。説得の達人たちはけっして出たとこ勝負をしているのではない。そうではなく、彼らは説得を行う前からじつに巧妙な下準備を行っているのである。その下準備のことを、「説得(persuasion)の前に行う」という意味を込めて、チャルディーニは「プリ・スエージョン(pre-suasion)」と表現しているのだ。
ならば、説得の達人たちは下準備として何を行っているのだろうか。最大のポイントは、相手の承諾を引き出しやすくなるような「特権的瞬間」を作り出すことにある。ここで、冒頭の問題に戻って考えてみよう。
先に見たように、見知らぬ通行人に調査へ協力してもらうことはかなりの難題だ。だがじつは、多くの人から協力をとりつける単純な方法と、それを裏付ける実験の結果がある。それによれば、人々に協力を依頼する直前にただこう尋ねればいい。「あなたは人助けができるタイプですか?」。実際、そう尋ねたうえで協力を依頼したところ、人々の承諾率は29%から77%まで跳ね上がった(!)というのである。
チャルディーニによると、説得の達人はそうして「ここぞ」という瞬間を作り出し、自らの説得が受け入れられやすくしている。そして、その具体的な方法としてとくに重要なのが、「注意を引くこと」であり、「連想を利用すること」であるという。要は、説得を行う前に相手の注意を特定の事柄へ向けさせ、その事柄が心のなかで特権的な位置を占めるようにすればよい。さらに、その事柄(概念)が心のなかで引き起こす連想を利用し、説得内容に対する肯定的なイメージを喚起させられたら言うことなし、というわけだ。チャルディーニ自身の言葉を見てみよう。
ある状況下で人の選択を最も左右しやすい要因は、往々にして、その場で最も賢明なヒントを与えるものではなく、決定を下す場面でその人の注意を引いていた(それゆえに特権的存在となっていた)ものなのです。
下準備(プリ・スエージョン)の基本的な考え方は、準備段階で注意を戦略的に誘導すれば、メッセージが届く前から受け手を同意する気にさせられるというものです。肝心なのは、まだ出会っていない情報と連想で結びついた概念に、受け手の注意を前もって向けさせることです。
以上の考えのもと、チャルディーニは実際の巧みな説得手法をつまびらかにし、それらがなぜ効果的なのかを解説していく。その議論は、とりわけビジネスにおいてヒントとなるような知見が満載だ。品質で勝負したい家具店は、客にも「価格より品質」という意識を抱かせるにはどうしたらよいか。社内会議で上司に自分のプレゼンをよく聞いてもらうためには、どの位置に座るのが効果的か。そして、ずば抜けた成績を残した生命保険のセールスマンは、顧客に対してどのような表現を用いていたのか、といった具合に。
なお本書では、下準備の重要性が説かれるだけでなく、なんと「影響力の第7の武器」が明かされてもいる。その武器とは「まとまり」であり、「一緒にいる」「一緒に活動している」という思いを相手に抱かせることがそのポイントだ。ウォーレン・バフェットのきわめて説得的な年次報告書や、日本領内のユダヤ人を迫害から救ったラビ・カリシュの訴えなど、その武器と関連して語られるエピソードもじつに興味深い。ぜひ本書自身に当たって、その武器の力を吟味してほしいと思う。
ところで本書は、チャルディーニによる32年ぶりの単著である。その意味で、チャルディーニとしても非常に力の入った本であり、この本こそ『影響力の武器』の真の続編だといえる。またありがたいことに、以前の議論もしっかりおさらいされているので、『影響力の武器』を読んだことのない人(あるいはその内容を忘れてしまった人)でも本書の内容を十分に楽しめるはずだ。注釈を除いた本文の分量は350ページ強。挑戦するうえでのハードルはそれほど高くないだろう。
自らの主張をより説得力のあるものとするために。また、いかがわしい説得にごまかされないために。多くの人に参考にしてほしい1冊である。
上でもたびたび触れたチャルディーニの前著。「返報性」「好意」「社会的証明」「権威」「希少性」「一貫性」という6つの武器について論じた不朽のベストセラーだ。