まずはこの写真を見てほしい。
幼いころ怒られて教えられた記憶がよみがえる。「お葬式の時にすることだから絶対やっちゃダメ」というのはもはや常識ではなくなってしまったのだろうか?
本書は「食ドライブ調査」に基づいて考察された、現代の日本の食卓にのぼる和食の実態である。たくさんの写真とインタビューから描き出される姿に、あなたは驚くだろうか、それとも何とも思わないだろうか。
データの基本となる「食ドライブ調査」とは何か。
調査対象は1960年以降に生まれた、首都圏に在住する、子どもを持つ家庭の主婦である。食卓を定点観測するが「食事や「食品」の調査ではなく、現代の家庭のあり方や、家族の関係を明らかにするのが目的だ。
第1ステップ:意識や実態、趣味や稽古事など質問用紙で細かく尋ねる。
第2ステップ:決められた1週間、毎日3食の家族それぞれが食べたものを写真に撮り、メニュー決定理由や食材の入手経路など、出来るだけ細かく記録する。その際、デジタルカメラは禁止。指定のレンズ付きフィルムによる撮影に限定する。
第3ステップ:このふたつのステップを踏まえ検討し、その後対象者ごとにインタビューしアンケートの回答と実態のギャップや、その真相・背景を明らかにする。
この調査は1998年から原則年1回行われており、2016年末まで21回を数える。総計413人のアンケート、8673食の食卓日記、15000枚以上の食卓写真、面接データは700時間を超すという。この手の調査は長期に行われることで価値が倍増する。包装の仕方一つ、食卓の座り方ひとつで、その時代を象徴することができるのだ。
断っておかなくてはならないのは、対象は「主婦」だが、食事の支度は主婦がすべきということではなく、「主婦」に焦点を当てることから見えることを観察している。視点を固定しているに過ぎない。
このデータをもとにすでに4冊出版されており、私は読むたびに衝撃を受けてきた。1960年生まれ以降、という括りからすれば同年代以下の子どものいる女性の食事に興味もあるし、覗いてみたいという下世話な興味もある。実際、自分の生活と比べてみると、納得することもあれば驚き呆れ批判的な気持ちになったことも否めない。
だが読み進めているうちに、これは稀有で貴重な民俗学調査だと確信するようになった。食卓にフォーカスした考現学だと言ってもいい。最初の調査から19年。今回のテーマは「和食」である。ユネスコの無形文化遺産に認定された「和食」は普通の日本人の食卓ではどのように供されているのだろうか。
「白いご飯があれば何もいらない」というのは妄想で、一汁三菜の意味を知らず、食事に箸を使わずに、季節感は無視し、水やお茶、ジュースでご飯を流し込み、家族で一緒に食事をしない。
それぞれの項目はショッキングだが、家庭の事情を考えれば「そういう家庭もあるかな」と納得するしかない。最近よく聞く「ワンオペ育児」では「とにかく食べてくれればいい」と願うような気持だろうし、それぞれの好みを重視しようとすれば、バイキングのような食卓になるのも仕方ない。もともと大家族で大皿料理から好きなものを取って食べるのと変わらないのだ。
毎回感じていたことだが、首都圏の主婦はコンビニに頼るはもはや当たり前だろう。数百メーター圏内に食べるものが常備されている店を使わない方がおかしい。コンビニの惣菜の充実度は、この数年、格段に上がっている。夫婦共働きで子供のいない私も、ここ数年、おでんを作ったことがないし、魚の塩焼きや煮物は非常に重宝している。
殺伐とした食卓のようでも、お箸の持ち方を気にしないと言いつつエジソン箸に固執したり、野菜を食べたほうがいいとサラダを大量に作ってみたり、子どもが好きなものを優先したり、と母の愛情はふんだんに見ることができる。その分、お父さんはかなり粗略に扱われている。
毎日の食事やお弁当をインスタ映えするように美しく飾るのもいいが、本当の食事は「食べる」だけが目的だ。便利に「食べる」ための食卓の変遷がこのように記録されていることが貴重だと思う。
まあ、これは好みなのだけど、学校給食のような仕切りのあるお皿で夕飯は食べたくないなあ。あと、お箸の置く場所に困って、ご飯に突き刺しておくのは止めないか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
携帯電話の影響による徹底的な個人主義がストレートに出ている気がする。
彩りとか盛り付けとか、そういう意識はない単品のパスタやご飯が喜ばれるというのに驚いた。
このシリーズの発端となった著書『〈現代家族〉の誕生』の文庫化。この調査が無ければ今まできていなかった。
2003年に出た単行本の文庫化。私が初めてこの調査に触れた本。今じゃ私も普通にやっているが、納豆をパックから直接食べている写真が衝撃的だった。