『佐治敬三と開高健 最強のふたり』文庫解説

2017年10月22日 印刷向け表示
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佐治敬三と開高健 最強のふたり〈上〉 (講談社+α文庫)

作者:北 康利
出版社:講談社
発売日:2017-10-20
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赤坂・一ツ木通りが青山通りに突き当たるすこし手前に「木家下BAR」がある。読み方は「こかげ」。雑居ビルの地下一階にある店だ。

専用階段を降りて重い木の扉を叩いて来店を伝えると、マスターが中からドアを開けて迎い入れてくれる。10人ほどが座れるL字形のカウンターと、数人で囲める木のテーブルと椅子があるだけの小体な店だ。カウンターの端にはいつもの巨大なかすみ草の花束。はじめて訪れたのは20年ほど前のことだ。

案内してくれたのは雑誌「ギリー」を創刊したばかりの元サントリー宣伝部渡辺幸裕さんだった。「ギリー」は「pen」と名前を変え現在まで続いている。この店では元サントリー宣伝事業部長の若林覚さんや写真家の高橋曻さんたちとも知り合った。高橋曻さんは開高健とともに大アマゾンでの釣り紀行『オーパ!』を生み出したフォトグラファーだ。

壁には高橋さんが撮影した開高健のダンディな写真が飾られている。カウンターのL字の下辺あたりにはゴールドのプレートが嵌め込まれており、手書きの文字で”Noblesse Oblige”(位 高ければ、努め多し。)/MAESTRO KAIKO’S Memorial Seat.と刻印されている。開高健が若林さんに残したメモを店主がプレートにしたのだ。もちろん、その席は作家の指定席だった。

この店は開高健が愛したバーなのだ。初代の店主は木家下正敏さん。1977年に赤坂にある雑居ビルの5階で開店し、1993年に現在の場所に移転した。正敏さんは2000年に亡くなったが、奥さまが2012年まで引き継いだ。その12年間奥さまは「本当は店を閉めたいんだけど、昔からのお客様が来るのよねえ」とボヤき続けた。昔からのお客とはサントリー関係者のことだ。現在は新しいオーナーがしっかりと往時のまま引き継いでいる。

開高健が58歳という若さで天国に釣りに出かけたのは1989年。私はこの店に漂う開高健の残り香を楽しんだだけだった。それでも幸せだった。開高健の愛読者とはそんなものだ。作家が体験した壮大な現実を、読み手は自分の仮想現実として追体験する。強い酒に浸りながら、孤高の美文に酔う。そして我が道を悠々として急ぐことを決意するのだ。

この木家下BARから青山通りを挟んでサントリー赤坂オフィスがある。大阪堂島で創業されたサントリーだが、1988年の創業90周年を機に赤坂にある東京支店の機能を拡張した。2005年にサントリーがワールドヘッドクオーターズをお台場に移すまで赤坂オフィスがサントリーの事実上の本社だった。

昭和天皇が崩御する1年前のこの年、佐治敬三は69歳。いっぽうの開高健は亡くなる前年の57歳だった。本書によれば二人が知り合ったのは1953年だから、それぞれ34歳と22歳だったことになる。以来35年間、二人は手を携えて昭和という時代を駆け抜けたことになる。

ところで、いまでもサントリーは広告上手である。名優トミー・リー・ジョーンズが宇宙人に扮して出演しているコーヒー飲料の「BOSS」。本木雅弘と宮沢りえが時代劇の装束で登場する緑茶飲料の「伊右衛門」はともに10年以上続いている名作CMシリーズだ。檀れいの「金麦」、菅野美穂の「角」、ミランダ・カーの「黒烏龍茶」など、製造会社名は記憶していなくても商品名と広告は一体としてイメージできる人も多いだろう。

しかし、俳優をイメージキャラクターとして使う前のサントリーはむしろ文学的なイメージを纏っていた。その中核にいたのが芥川賞作家の開高健だった。同僚には直木賞作家の山口瞳や1960年代のキャラクター「アンクル・トリス」を生み出したイラストレーター柳原良平がいる。彼らはのちにサントリーと改名される寿屋の宣伝部社員たちだった。

その彼らを信頼し広告一切を任せたのがサントリー二代目社長の佐治敬三だった。佐治敬三はサントリー創業者・鳥井信治郎の実子だ。鳥井の名言「やってみなはれ やらなわからしまへんで」を体現し、黒字化まで45年もの年月がかけて現在のビール事業を創り出した。しかし、狂気の沙汰といわれたビール事業がなかったら、いまのサントリーはなかったといわれている。危機感が緊張を生み、社内を活性化させたのだ。

本書はその佐治敬三と開高健の二人の物語だ。

著者の北康利さんはこの二人を正確に描き出すために膨大な数の資料を集めた。巻末に主な参考文献がリストアップされている。その数96冊。それゆえに本書は二人の物語の決定版である。

佐治敬三と開高健に共通するのは、ほぼ同時代を生きた大阪人であり、見た目にも、その業績も、そして生き方そのものが、じつにかっこいい男たちだったということだ。

いうまでもなく佐治敬三はサントリーをグローバル企業に育てたあげた名経営者である。2016年のサントリーグループの売上は2兆6千億円。総従業員数は3万8000人を超える。非上場であるがゆえにいまでも「やってみなはれ精神」を発揮しつづけている。

いっぽう開高健は大江健三郎をおさえて27歳で芥川賞を受賞した大作家だ。30歳で毛沢東や周恩来と会見。34歳でベトナム戦争を取材した。最前線での取材中に敵から攻撃を受け、200名中わずか17名しか生還できなかった戦闘の真っ只中にいた。

出会ったときには上司と部下だった2人だが、互いに兄弟よりも近しい、骨肉の関係と認める間柄となっていく。ビジネスパートナーとしてホンダの本田宗一郎には藤沢武夫が、ソニーの井深大には盛田昭夫がいた。しかし佐治敬三が選んだパートナーは、経営者でも参謀でもない、コピーライターの才能を持つ作家だったのだ。

本書のなかにも随所に煌めくような言葉が登場する。「やってみなはれ」はもちろん、この時代を象徴する「人生はとどのつまり賭けや」という言葉は現代のベンチャー経営者も共有できるはずだ。ビール事業を開始するにあたって佐治が語った「日本のビール飲みに“知恵の悲しみ”をあたえる」とはロシア文学からの引用だ。終生つかっていた「エトヴァス ノイエス」というドイツ語は「日に新た」という意味だという。佐治敬三もまた素晴らしき人生のコピーライターだったのだ。

ところで本書によれば、開高健は語学の達人だったが、最後まで大阪弁を手放さなかったという。いまもサントリーの登記上の本社は大阪だ。著者の北康利さんも大阪育ち。編集者の加藤晴之さんもまた大阪出身(共に天王寺高校OB)だ。地盤沈下しつづけている大阪の地底に何かがある。

大阪生まれの佐治敬三と開高健は大阪弁で会話をしていたはずだ。しかし、開高健の作品からも現在のサントリーからも大阪の匂いがしないのはなぜなのだろう。それは明治維新からいまにいたるまで、日本という国は全国から天才、秀才、英才を東京に集め、世界へ飛躍するための巨大装置をつくっていたからなのかもしれない。その過程で地方色は薄まっていく。

しかし、良く考えてみると日本が世界に出ていくためには人だけではなく、東京が地方の文化と伝統を呑み込む必要があったのだろうと思う。その最大の供給地こそ大阪だったのだ。その良い例は人形浄瑠璃だ。大阪の国立文楽劇場には空席があるにもかかわらず、東京の国立劇場で行われる公演の切符はプラチナチケットだ。漫才という大衆芸能でも西高東低である。

ところで2017年5月20日号の『週刊ダイヤモンド』が「関西企業の逆襲」という特集を組んでいる。サントリーはもちろん、宣伝上手な資生堂や日清食品のほか、伊藤忠商事、パナソニック、京セラ、武田薬品工業などがリストアップされている。さらにこの特集では年商1億円以上の企業の社長の出身地と出身大学の組み合わせを調査している。なんと平均売上高で1位は大阪出身で東大卒の社長が経営する会社だったのだ。しかも、従業員一人あたりの売上は3億6000万円とダントツだった。それだけではない。上位6位までのうち、2位の東京出身で東大卒という組み合わせを除く5つの組み合わせで大阪出身か兵庫出身の社長が独占しているのだ。

日本経済を再起させるためには、いまこそ大阪の地底を掘ってみる必要があるようだ。そこにはアップルやフェイスブックなどに肩をならべるようなベンチャーの卵が埋まっているかもしれない。それを発掘するためにも、時代を遡ってこの佐治敬三と開高健の物語を読む必要がある。

とはいえ、もちろん本書の読み方は読者それぞれに任されている。昭和という元気な時代を体感することもできる。経営者と作家の友情を楽しむこともできる。北康利さんの二人に対する思慕の念に身を委ねることもできる。そして珠玉のコピーに酔うこともできるのだ。

「人間」らしく
やりたいナ

トリスを飲んで
「人間」らしく
やりたいナ

「人間」なんだからナ

は開高健の名コピーであり、佐治敬三をして、
「これはもう、一個の文学作品である、といってはいいすぎであろうか」
と言わしめている。サントリーはこの精神を忘れなかった。

その後のコピーライターたちの作品を見てみよう。糸井重里さんはサントリーレッドで「すこし愛して、ながく愛して」や「ロマンチックが、したいなあ」を、小野田隆雄さんはサントリー・オールドで「恋は、遠い日の花火ではない。」、加藤英夫さんは「時々、水気をやらないと 人間、ひからびちゃいますよ」を創り出した。佐治敬三と開高健という大阪人コンビが生み出した粋な広告文化は、大坂なくしては存在しないしなかったのかもしれない。

1989年、開高健は食道がんを患い亡くなった。葬儀では司馬遼太郎などの作家仲間とともに佐治敬三が弔辞に立った。社長の佐治は部下だった開高を「畏友」と呼び、大きな身体を二つ折りにして肩を震わせて号泣してという。この二人の間には何があったのだろう。そして二人はどのような生い立ちだったのだろう。そのすべてが本書に詰まっている。 

佐治敬三と開高健 最強のふたり〈下〉 (講談社+α文庫)

作者:北 康利
出版社:講談社
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