重力波は歌う。アインシュタインがそういう歌が存在することに気づいてからちょうど100年、我々はついにその歌を聞くことができたのである!
重力波の初検出は、物理・天文分野での今世紀最大の発見の一つであることは間違いない。 そして、その大発見が産み出される過程において、かくも複雑な人間模様が繰り広げられてきたことは、読者の方には大いなる驚きであったのではないだろうか? というのも、一般の人が研究者に抱いているイメージは、純粋に研究の事だけを考え、世俗の事にはほとんど興味のないような人物像だからである。
しかし、研究の事だけを考えているからこそ、自分の好きなように研究したいという思いが人一倍強いのである。自分一人で行う場合はそれでよいのだが、重力波検出実験のように大勢で行うプロジェクトではそうはいかない。それぞれの研究者の強い思いがぶつかり合って、ある程度の軋轢が生じることは避けられない。本書はそのような、研究者間の理想と理想のぶつかりあいと、それにもかかわらず最終的には重力波の初検出という偉業を成し遂げた過程を、まさに、「こんなことまで言っていいのか」と心配になってくるほどに忠実に描いたドキュメンタリーである。
さて、本書は、重力波についての解説書ではないため、重力波とその検出実験に関する情報が、いろいろな箇所に散りばめられている。読者の中には、この重要な情報がぼんやりとしか把握できていない方もいると思われるので、ここでごく簡単に重力波の基本事項をまとめておこう。重力の本質は潮汐力(ちょうせきりょく)である。潮汐力というのは、潮の満ち引きを引き起こす力と同じものである。そして潮汐力は空間の潮汐的なひずみによって引き起こされる。重力波とはこの空間の潮汐的なひずみが光速で伝わっていく波である。
重力波は、アインシュタインの一般相対性理論により1915年にその存在が予言され、2015年にLIGOにより初検出された。重力波源としては、ブラックホールや中性子星の連星の合体、超新星爆発、パルサー、初期宇宙などが考えられる。重力波がやってくると物体間の距離が変化するので、それをレーザー干渉計で計測することで、重力波の検出ができる。重力波は空間のひずみとしてやってくるので、干渉計のアーム長が長いほど鏡の揺れも大きくなり検出しやすくなる。 現在、建設されたあるいは建設中の大型レーザー干渉計には、アメリカのLIGOとヨーロッパのVirgo、そして日本のKAGRAがある。2016年のノーベル物理学賞は、その科学的成果の重要性にもかかわらず重力波ではなかったが、2017年のノーベル物理学賞が重力波の初検出に与えられる可能性は極めて高いと考えられている。
ところで、私は1989年〜1992年、1993年〜1997年の計7年間、カルテクでLIGOのためのプロトタイプ実験そして初期のLIGOの設計に携わってきた。その間、定期的に行われていたカルテクとMITの合同会議においてたびたび起こる怒号や、下剋上的ともいえる組織の大改編など、本書で述べられていることをまさにプロジェクトの内側から見てきたのである。そして、アメリカってすごいところだなとそのたびに驚いたものである。また、本書では、当時の私からは見えなかった雲の上の情報までつぶさに述べられており、「あー、そういうことだったのか」と、今さらながらに気づかされることも少なくない。
このように書くと、なかなかに居づらい場所だったのではないかと思われるかもしれないが、 実際には正反対であった。雑用なしで、まわりにいる優秀な研究者とともに楽しい研究をバリバリとできる本当に素晴らしい環境であった。カルテクにいた7年間は自分の人生の中で最も充実した宝物のような期間であり、その頃に一緒に研究を行っていた仲間やボスたちとは今でも研究上のつながりだけでなく、友人や師弟としての個人的な付き合いが続いている。本書ではLIGOの発見にまつわるいろいろな人物が登場するが、その人たちとの関わりを以下に述べてみる。
私がレイ・ワイスの名前を初めて知ったのは、本書でも出てくるMITの内部進捗報告書を読んだ時である。当時、東京大学大学院生として、宇宙科学研究所において日本初のレーザー干渉計型重力波検出器のプロトタイプを作ろうとしていた私は、まずはこの報告書を読むことから研究をスタートさせた。私はこの報告書を干渉計のバイブルとして、完全に理解できるまで何度も読んだものであった。そして、1989年にポスドクとしてカルテクに行き、ついに実物のレイに会うことができた。当時からレイは学問に対して非常に厳しいことで有名であった。カルテクとMITの合同会議においても、研究者の進捗状況の報告に対して辛辣な批評をすることもしばしばあったが、その批評は常に正しいものであった。ある時、私は合同会議において、40メートルプロトタイプで見出された非常に面白い雑音についての理論を発表した。雑音源を特定し、その雑音が干渉計の雑音となって現われたメカニズムを説明するための理論である。それまでに提出してきた数々の理論の中でもこれは相当の自信作だったのだが、果たして発表後にレイから「いつもながらエレガントだ!」と大絶賛されたのである。めったに人を褒めないレイから”エレガント”という最高の言葉をいただき、 非常に嬉しかったことを覚えている。
ロン・ドレーヴァーとの初めての出会いは、私が大学院生だった時にさかのぼる。どういう理由だったのかは覚えていないが、宇宙科学研究所にロンが訪ねてきて、私は当時開発中であった10メートルプロトタイプを見せ、説明をした。その後、博士号を取得した私は、海外派遣援助プログラムに採用され、ロンにメールを書きカルテクで働かせてもらうようお願いし、めでたくカルテクでの研究生活を開始したのである。カルテクの40メートルプロトタイプには、いたるところに、ロンが開発した高度に複雑なシステムが使われていた。しかし、一番驚かされたのは、装置の防振システムの中に、ロンが入れたといわれるラバー製のおもちゃのミニカーが使われていたことである。もちろん、鏡の汚染などの点から真空中でラバーを使うのはご法度であるが、そのユーモアのセンスにはちょっと癒される部分もあった。(ところが、である。なんとごく最近、これをやったのがロンではなかったことが判明した。本解説執筆中、ちょうどカルテクへ赴く機会があり、スタン・ホイットコムと昼食をともにした。その時ロンの話になり、私がおもちゃのミニカーの事を『重力波は歌う』の 解説に書くつもりであることを言ったところ、スタンが「あれを入れたのはロンではなく自分だった」と告白したのだ! やってもいないことまで自分のしわざと信じ込ませてしまうロンはやはり、只者ではない。) ロンは2017年3月、ノーベル賞を受賞することなくこの世を去った。
キップ・ソーンは理論の大家であり、私は実験屋であったので直接の交流はなかったが、理論にからんだ質問がある時はいつもキップに相談した。私の発する荒唐無稽なアイデアに対してもいつも丁寧にそして明確にその理論が正しいかどうかについて説明してくれた。キップからお墨付きをもらえば、私は安心してそのアイデアの展開を考えることができたのである。ある時、キップはカルテクの物理学科のセミナーでLIGOの話をした。その中でキップは大勢の聴衆の前で、「日本から来たセイジが、40メートルの感度を大幅に上げた。 彼はLIGO成功のキーパーソンだ!」と言ってくれ、嬉しいやら恥ずかしいやらで、それはさすがに持ち上げすぎだろうと思ったことであった。
ロビー・フォークト(ヴォート)は、私の恩人であり、師と呼べる人物であった。カルテクに来て半年後、派遣援助の財源が尽き、日本に帰ろうかと思っていた時に、ロビーは私をLIGOで雇ってくれた。また、その後私は一度LIGOを去り日本に1年間いたあとで、 行き先がなくなりどうしたものかと思っていた時に、ロビーは再び私を雇ってくれたのである。ロビーからは、いろいろなことを学んだ。その中でも、今でも自分の研究上の重要な教えとして守っているものがある。それは、「学生から失敗する楽しみを奪ってはいけない」というものである。ロビーは今でも、ほぼ毎年、私がカルテクの彼の部屋を訪ねるたびに、キャンパス内にあるアセニアムという会員制レストランでランチをご馳走してくれる。
最後に、本書の刊行以降の重力波検出の進展についても少し言及しておこう。LIGOは初検出の後も2015年の12月26日に2個目の重力波の検出に成功した。そして、感度を少し上げた、第二期観測が2016年の11月から行われ、すでに2017年の1月4日に3個目の重力波検出に成功している。これらの重力波の発生源はいずれもブラックホール連星であり、その質量は、太陽質量の10〜40倍の間におさまっている。LIGOの感度がまだ改善途中であることを考えると、今後はより頻繁にブラックホール連星からの重力波を捉えることが予測される。
さらに、もう少し感度が高くなると中性子星連星の合体やパルサーからの重力波の検出も期待できる。また、ヨーロッパのVirgoはすでに稼働しており、感度を上げてLIGOの観測にもうすぐ参加するであろう。日本のKAGRAも第一段階の動作と試験運転を完了し、最終段階の動作に向けて懸命に建設を進めている。また、インドにLIGOをもう一台建設する計画も認められた。これらの検出器が加わり、重力波検 出器の世界的ネットワークができれば、重力波天文学はさらに大きく発展するであろう。さ らに、将来は宇宙に重力波検出器を打ち上げることにより、銀河中心にある巨大ブラックホールの形成のメカニズムを明らかにし、また、初期宇宙からの重力波を捉え、宇宙がどのように誕生したのかを解き明かすことも可能である。
重力波は歌う。そして我々は、アインシュタインの想いと共に、これからも様々な新しい 重力波の歌を聞くことができるのである!
東京大学宇宙線研究所教授 川村 静児