これは、名作「朗読者」の作家による新たな至高の恋愛小説であり、人間の再生の物語だ。ドイツから出張に来たシドニーのギャラリーで、主人公の弁護士は1枚の絵に出会う。裸の女性が階段を下りてくる絵だ。
40年前、ある実業家が若い妻をモデルにその絵を描かせた。絵を描いた画家はその女性イレーネと駆け落ちした。実業家と画家の争いは主人公の弁護士のもとに持ちこまれた。そして主人公もまたイレーネに恋をしたのである。しかし、イレーネは、純情な主人公を巧く出しに使って、絵とともに3人の前から忽然と姿を消したのだ。
主人公はドイツに戻る飛行機をキャンセルして、探偵にイレーネの捜索を依頼する。イレーネは孤絶した海辺の家に住んでいた。イレーネは不治の病に侵されている。実業家と画家に会ってみたくなり、あの絵をギャラリーに貸し出したのだと。
思惑通り、大成功した実業家と画家がやってくる。因みに主人公も企業弁護士としては大成功しているのだ。実業家も画家も絵を欲しがっている。そして、イレーネを中心にこの3人の会話を通して、3人それぞれの現在の心象風景が綴られる。絵が入手できないと悟った実業家と画家は帰っていく。主人公は1人、イレーネの看病のために残る。
しかし、この燻銀のように美しい物語が真の輝きを放ち始めるのは、実はこれからなのだ。2人の会話はぎこちない。それは当り前だ。40年前の2人は、一瞬邂逅しただけで、ほとんど時間と空間を共にしたことがなかったのだから。2人のとぎれとぎれの会話の中から、イレーネの過去が徐々に明るみに出る。
そして、まるで合わせ鏡のように主人公の来し方もまた同時に浮かび上がるのだ。それは、おそらく2人の間に、言葉の真の意味でお互いを思いやる心、すなわち愛が芽生えてきたからだろう。40年前、もし駆け落ちしていたら、という前提で主人公が物語るアメリカ逃避行の切なさには胸が熱くなった。
そして、世俗的には成功し一見満ち足りた人生に見えた主人公の来し方が、決して幸せではなかったことが了解される。主人公は、イレーネによって本当の自分を取り戻し再生に向かうのだ。昔、旧家はすべて焼け落ちて滅んでいくと、子守唄の中で祖母に聴いたことがあった。古代エジプトで生まれたフェニックスが、蘇るためには炎の中に飛び込まなければならなかったように。
古稀を迎えた僕の心に、この物語は深く沁み込んだ。40年前、僕は一体何をしていたのだろう。そして、その後、どうやって過ごしてきたのだろう。訳文もこなれていて、とても品があり読みやすい。