『仕事と家庭は両立できない?-「女性が輝く社会」のウソとホント』(原題:Unfinished Business: Women Men Work Family)の元になった、The Atlantic誌2012年7-8月号の論考『女性は仕事と家庭を両立できない!?』(原題:Why Women Still Can’t Have It All)の中で、アン=マリー・スローター教授が訴えた現代社会の「不都合な現実」は、フェミニズム先進国のアメリカ社会で大論争を巻き起こした。
フェイスブックのシェリル・サンドバーグCOOが、働く女性の意識改革を訴えて全米大ベストセラーとなった『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』(原題:”Lean In: Women, Work, and the Will to Lead”)の出版からまだ数か月という時期に、元国務省高官で現プリンストン大学教授にして2人の息子の母であり、同僚の大学教授の良き妻であり、全ての働く女性にとっての模範的存在であるスーパーウーマンが、「キャリアも子育てもなんて、やっぱり無理!」と告白したからだ。
米国の外交関係者にとって国務省政策企画局長のポストといえば、米国の冷戦政策を計画した外交官で歴史家のジョージ・ケナンが初代を務めたことでも知られる夢の仕事であり、スローター教授は、その職に女性として初めて就任した。その彼女が、「政府の要職を担いながら、10代の2人の息子を育てるのは無理」と判断して、わずか2年足らずでプリンストン大学に戻ってしまったのだ。
これに対して、彼女より上の世代の女性の中には、彼女の決断に失望したり蔑んだりする者もいて、かなり腹も立ったそうだが、よく考えてみると、それまでは、彼女自身が「どんな分野に進んでも、仕事と家庭は両立できる」と言い続けてきたのであって、自分でも仕事と家庭が両立できないのは、その女性に責任があるのだと考えていたことに気付いたという。
本書における彼女の問題意識は、ここからスタートしている。つまり、自分自身の経験を通じて彼女が直面したのは、アメリカの経済と社会の構造が今のまま変わらないのであれば、仕事と家庭の両立は、大学教授などの一部の特殊な職業を除いて、女性にとってだけでなく男性にとっても無理だという「不都合な現実」なのである。
上述のサンドバーグ氏が、『何故女性のリーダーは少ないのか』と題するTEDトークなど多くの講演会で語ったのは、組織のトップに立つ女性の数ががっかりするほど少ないことである。そうした現実に対して、彼女は、世の中の働く女性達に向けて、「あなたたちはどうしてもっと頑張らないの?」と強く訴えかけている。
こうした彼女の主張をまとめたのが『リーン・イン』であり、”lean in”という言葉は、女性が仕事の場で何かと謙遜して遠慮(hold back)する傾向があるに対して、そうではなく勇気を出して身を乗り出そう(lean in)ということを意味している。
これに対して、スローター教授は、「仕事と家庭の両立」についてしばしば用いられる常套句、「やる気さえあれば仕事と家庭は両立できる」「正しい結婚相手を見つければ仕事と家庭は両立できる」「タイミングを見計らえば仕事と家庭は両立できる」について、それらが如何に真実からかけ離れた神話に過ぎないかを検証した上で、余りに性急に男社会に適応しようとする女性たちに対して再考を促している。
そして、男女が対等に社会の主役になるには、男性を標準とする考え方から離れる必要があり、むしろ、どうすれば男女の別なく、全てのアメリカ人が、愛する人々を大事にしながら同時に自分の成功も追い求め、健康的で幸福かつ生産的な暮らしを送れるようになるかを考えるべきだと訴えかけている。
本書がこれまでのような女性のキャリア本と違うのは、このように、男社会の中でどうやって女性が地位を確立して行くかという、今の社会構造を前提にした立ち位置からではなく、男性や或いはLGBTも含めて、今の社会や仕事のあり方に根本的な疑念を投げかけている所にある。
日本でも、アベノミクスの「成長戦略」の中で、「女性が輝く日本」と題して女性の社会進出が重要課題のひとつに挙げられているが、これに対して誰かが「女性の社会進出は、女性のオヤジ化を促すことではない」と言っていて、全くその通りだと思った。
本書の日本語版にスローター教授が寄せた文章の中に、次のような一文がある。
この本の核になるのは、男性の平等が達成されなければ女性の平等もないという視点です。
そして、男性の平等には、その役割を作り直し、養い手であると同時にケアの担い手として大切な存在になることが欠かせません。男性は競争の側面が過剰に発達している半面、ケアの側面は発達不足です。現代の社会は、競争に勝ち、多くを成し遂げ、カネを稼いだ男性に価値を認めています。もし日本がこれまでの男女の役割にこだわれば、つまり男性が支配する世界にこだわっていると、他国の成果の上に自分たちの成果を積み上げることも、イノベーションを起こすこともできなくなってしまいます。日本の女性と男性のみなさんが、何千年もの歴史を持つ日本の文化を問い直し、新しいロールモデルを見つけ、男女が平等に働き、愛する人を平等にケアできるような生き方を発見することを願っています。
こうしたアンの主張を、夫であるプリンストン大学のアンドリュー・モラフチーク教授がどう見ているかの論考が、The Atlantic誌2015年10月号に掲載された。
ここに書かれているのも、やはり男性が文化的・歴史的に規定された役割に縛られ、本当の意味で自分の人生を生きることができていない有様である。
一例を挙げると、家庭で子育ての中心になる親を、ここでは”lead parent”と呼んでいるが、男性がlead parentになることに対する世間の目は厳しいとして、以下のように書いている。
The very idea of men as lead parents still makes many people uncomfortable at a deep and often subconscious level. …… Pew polls show that 42 percent of Americans now view the “ideal” family for child-rearing as one in which Dad works full-time and Mom works part-time; about half prefer that she not work at all. Only 8 percent believe children are better off with Dad at home. About two-thirds of Americans believe that a married man should be able to support his family financially, yet only a third say the same about a woman.
そして、男性が人生の最後に最も悔やむのは、周りから期待される仕事中心の人生だけを生きてしまい、本来自分が望んでいた家族のケアと繋がりを中心に持って来なかったことだが、自分はそうした後悔は決してしないつもりだと締め括っている。
本書は、「働き方改革」が議論されている今の日本においても、重要な視点を提供してくれる一冊だと思う。
本書の日本語版解説を書いた、ほぼ日の篠田真貴子CFOのブログ『男性に教えられた「仕事と家庭は両立できない?」』も併せて読んでみて頂きたい。改めて、仕事は、家庭とは、男性とは、女性とは何なのかを考えさせられる内容である。