読むと旅に出たくなる本がある。想像もつかない場所へ果敢に挑んだ旅行記や、街が美しく描かれた小説を読み始めると、旅の妄想が止まらない。本書『世界の広場への旅』は旅行記でも小説でもないが、読み終わったらきっとあなたは旅支度を始めることだろう。
著者は昭和女子大学教授で、これまでに冷戦時代の東欧や青蔵鉄道開通前のチベットなど、延べ86カ国、1,059カ所の広場を調査してきた。一級建築士でもあり、立山町ふれあい農園施設や脇町交流促進施設なども設計していた人物だ。本書は四半世紀の年月をかけ、総走行距離71,354km(赤道一周は40,075km)に及んだ研究成果の集大成である。
見開き半分はスケッチ、1/4は広場のある街の情報、残り1/4が本文となっており、パラパラと眺めているだけでも楽しめる。そして本文は語りかけるような口調で、話が時に逸れながらも広場論を展開されていく。専門的な話ばかりが続くと飽きてしまうことも多いが、街の面白い伝説や豆知識も挟まれているので非常に読みやすい。
本書によると、広場の条件とは1:広がりのある空間があり、2:その空間を特徴づける建物の要素が広場空間に存在し、3:広がりのある空間に人々が目的を持って集合してくることである。散策や休憩の場、市民集会の場、宗教的な儀式や祭りの場として機能するだけでなく、市場のような商業活動にも使われ、戦勝記念のために作られる場合もある。
空間を特徴づける建物がある広場の代表例が、ヴェネツィアのサン・マルコ広場やフィレンツェのドゥオーモ(大聖堂)広場だ。それぞれの広場には、サン・マルコ寺院、花の聖母教会がある。ナポレオンが世界で一番美しいと評した、サン・マルコ広場は、サン・マルコ寺院の広場としてルネサンス期に整えられた。広場を囲む、回廊のある建物の一階は、レストランやカフェとなっており、バンドの生演奏を聴くことができるそうだ。
小説『冷静と情熱のあいだ』で、かつて恋人同士であった2人が、若い頃に他愛もない約束をしたことでも知られるフィレンツェのドゥオーモ。その約束とは、30歳の誕生日にフィレンツェのドゥオーモに登るというものであった。私にはそんなロマンチックな約束はなかったが、小説に憧れ、実際に訪れたこともある。ドゥオーモのてっぺんに上がるには、最後、ほぼ垂直のような階段を登らなくてはならないが、そこからの眺めが美しかったことは、忘れられない思い出だ。
もちろん、広場があるのはヨーロッパだけではない。イスラムの広場も数多く紹介されている。イスラムの旧市街の構造は閉鎖的で、守りの構えを持っている。道はほぼ一定の幅員かつ単調な構成で、袋小路を基本として、薄暗がりが多いため、案内人なしに外来者は目的地に辿り着くことができない。そこに住むイスラム教徒たちは、日に5回モスクに集まって祈りを捧げ、その後、住民同士で交流の時間を持つ。つまり、モスクが住民相互の交流空間として広場機能を担っているのだ。
また、市場広場の興味深い事例としては、モロッコのマラケシュにジャマ・エル・フナ広場がある。昼はオレンジジュースの屋台がポツポツと出ているくらいだが、夜になると連日祭りのように、屋台が所狭しと並ぶ。モスクでの住民同士の交流とは異なり、こちらは外来者との交流の場となるそうだ。
さらに本書では、海外の広場だけではなく、日本の広場についても考察されている。これまで、日本には広場の概念がないと言われてきたが、近年その説が見直されてきている。浅草寺や谷中銀座もある種の広場であるという。これらは大規模な空間ではないが、「みち」がキーワードになる。詳しくは、ぜひ本書を手にとっていただきたい。
本書を読むと、今まで旅先や街中で、なんとなく見ていた風景が違ったものに見えてくる。広場を入り口に、その街の成り立ちや、そこに住む人の暮らしを知ることで、人に語れる旅ができる。イタリアのルッカにあるアンフィテアトロ広場を訪れた際、中心に立つと、周囲の視線を集めるような構造をしていると感じた。この広場がかつて円形劇場だったと知った時、自分の感覚が正しかったことと、旅のエピソードが増えたことを密かに喜んだ。
広がりのある空間に、特徴的な建物があり、人々が目的を持って集まると、いつだってそこは広場になる。だが国が違えば人も異なり、役割や風景も変わる。広場という視点を通して、世界が一つであることも、世界が多様であることも同時に感じることができる一冊だ。