医者はどうしてミスから逃れられないのか。医療には未知や不確実なことがどれほどあって、医者や患者はそれらにどう対処したらよいのか。本書は、そんな問題をテーマとした、アトゥール・ガワンデのデビュー作である。
ガワンデは、現役の外科医であると同時に、雑誌『ニューヨーカー』にも寄稿する文筆家である。その最新作『死すべき定め――死にゆく人に何ができるか』が大ヒットしたことは、まだ記憶に新しいだろう。2014年に発売された同書は、当初から一般読者の圧倒的な支持を得て、アメリカではすでに90万部のセールスを記録しているという。
『死すべき定め』は、「死をどう迎え入れるか」というテーマに対して、円熟した文章で迫ったものである。他方、研修医時代に書かれた本書は、先のテーマを若く瑞々しい筆致で掘り起こしている。そのようにふたつの本には、その年齢でしか書けない魅力(そしてガワンデにしか書けない魅力)がそれぞれに詰まっている。そうした意味で、本書は『死すべき定め』とはまた別の、しかしそれに引けを取らない傑作だといえるだろう。
本書は3部から成っていて、それぞれ「不完全」「不可解」「不確実」というタイトルが冠せられている。そのなかでも著者の若々しさと実直さが際立つのは、第1部の「不完全」だろうか。
医者はけっして完全な存在ではない――それを例証するかのごとく、ガワンデは自らの不手際やミスまでも明らかにする。研修医になったばかりの頃、中心静脈穿刺のコツがつかめず、その処置で失敗を繰り返していたこと。また、研修医としてそれなりの経験を積んだにもかかわらず、技術の未熟さと判断ミスによって患者に命の危険をもたらしてしまったこと。そうしたエピソードをたどっていると、さすがこの人が書いたものだけあって、そのときの緊迫感や焦燥感がページからじかに伝わってくるかのようだ。
そしてガワンデは、それらのエピソードから問題提議を引き出すことも忘れない。研修医は未熟なゆえ、失敗を経ながらもたくさんの経験を積んでいかなければならないことは明らかである。だがその事実と、「患者に最高の診療を行うべし」という命題は、はたしてどう折り合いをつけられるのか。
「医者が成長するために一部の患者を危険にさらしてしまうのは、残念ではあるが致し方ないことだ」というのが、その一般的な回答だろう。しかし、医療関係者を含む一部の人たちは、その回答内容に反するような行動をときとして示す。というのも、彼らやその家族が患者となった際には、彼らはそのように「致し方ない」などとはまず考えないからである。その具体例として、ガワンデはまたもや自らのケースに言及する。
息子が重度の心臓疾患を抱えていたときのこと。ガワンデが息子の主治医として最終的に選んだのは、献身的に世話をしてくれた若手の専修医ではなく、経験豊富な常勤医であった。つまり、研修医である自分自身が、経験不足を理由に専修医を拒否したのである。ガワンデはその葛藤と、そこからたどりついた見解をこう語る。
あの専修医はもっと経験を積む必要があった。だれよりも、研修医である私は、そのことを理解できるはずだった。しかし、私は迷わずに決断を下した。「私の子ども」のことなのだ。選択するときには、私はいつだって息子のために最良の選択をする。そうしない人などいるはずがない。だからこそ、未来の医学界はそれ[患者が練習台としての役割を受け入れること]を当てにしてはならないのである。
[医者を]選ぶ機会が与えられれば、人は当然有利な方に飛びつく。だが、現実を考えれば、こうした選択肢が平等に与えられることはない。つまり、そうした選択肢が存在すれば、コネのある人や内情を知る者、医者の子どもなどにそれは有利に働き、トラックの運転手の子どもには不利なのである。選択の自由がすべての人に与えられないのであれば、最初からそんなものはない方がましなのである。
というようにしてガワンデは、自他のエピソードを素材としながら、医療のあり方について考える機会を読者に提供していく。「良い医者はどのようにして悪い医者へと変貌していくのか」「医者も必ずミスを犯すのだとしたら、医療制度はどのようなものであるべきか」など、そこで提議される問題は、いずれも深刻で悩ましいものである。
とはいえ、やはりこの著者の軽やかな筆致もあって、本書を読んでいて重苦しい気持ちにさせられることはないだろう。実際、わたしなどはその文章にすっかり惹き込まれて、最後の最後まで前がかりの姿勢でストーリーを追ってしまったほどだ。そうした意味でも、やはり本書は『死すべき定め』と並ぶ名作なのではないかと思う。
なお本書は、『コード・ブルー――外科研修医救急コール』(医学評論社)の新版に相当するもので、その訳文にあらためて手が加えられている。前回の訳文も十分に読みやすかったが、今回の手直しでさらにわかりやすくなっているのはたしか。こういった形で名作を復活させてくれたことに、ファンのひとりとして心からの賛辞を贈りたい。
上で言及したガワンデの大ヒット作。仲野徹のレビューはこちら。
「勤勉さ」「正しく行うこと」「工夫」という3つの項目に着目し、それらに真摯かつ果敢に取り組む医療関係者を描いたエッセイ。久保洋介のレビューはこちら。
医者も人の子であり、感情に圧倒されてしまうことがあることを詳らかにした、アメリカの現役医師によるルポルタージュ。レビューはこちら。