どんなときでも冷静で、感情的になることはけっしてない――医師に対してそうしたイメージを抱いている人は少なくないだろう。だがもちろん、彼らも人の子であり、そうしたイメージそのままであるわけがない。ふだんはどんなに冷静な医師であっても、ときとして強力な感情に圧倒されてしまうことがあるはずだ。それならば、医師は現場で実際にどんな感情を抱いているのか。そして、そうした感情は医療行為にどのような影響を与えているのか。本書は、そんな問題に光を当てようとした、アメリカの現役医師によるルポルタージュである。
本書はまず「共感」の話から始まる。ここでいう共感とは、「他人の視点でものを見て、感じることのできる能力」、あるいはもっと限定的には、「患者の苦痛を認識し、理解すること」である。よく言われるように、医師は患者に対して「同情」する必要はないかもしれない。しかし、よりよい診断と治療を行おうというのであれば、患者の視点に立って、その苦痛をきちんと認識することがたしかに必要であろう。そのように、共感という心の働きは医療においてとくに重要だと考えられるが、それにもかかわらず、患者の属性やそのほかの条件次第では、医師やスタッフたちはしばしば共感を抱くことができないのだという。
その象徴的かつ極端な例が、冒頭で披瀝されている、医学部1年生のときの著者の実体験だろう。当時、医療の現場をまだ経験していない頃、著者はボランティアとして性犯罪被害者のケアを買って出た。ある日の午前3時、ポケベルで呼び出され、初めて救急救命室へと向かう。現場の混乱ぶりと緊張とですっかり怖じ気づきながらも、著者はなんとか被害者を見つけ、そちらへ歩み寄っていった。が、その途中で著者の足はぴたりと止まってしまう。
被害者がじつはホームレスで、強烈な悪臭を放っていたからだ。悪臭だけではない。彼女がまとっていたぼろぼろの衣服からはゴキブリが顔を出し、またそのなかへと消えていったのだ。もちろん著者はそのとき、被害者の女性をケアしなければならないと頭では理解していた。しかし、身体の内側から湧いてくる嫌悪感により、どうしても足が動かなかったのである。そして、ようやく足が動くようになったとき、著者が向かったのは、被害者のもとではなく、なんと後方のデスクカウンターの裏だった。つまり、著者は被害者に共感を抱くことなく、その場を逃げ出してしまったのである。
いまのエピソードはもちろん、著者が未熟な学生だった頃の話であり、プロフェッショナルな医師の話ではない。だが他方で、たとえプロフェッショナルな医師やスタッフであっても、患者に共感を抱くことができないケースが少なからずあるようである。
著者が具体的に指摘しているのは、患者が薬物やアルコールの依存症、病的肥満、文化的・言語的に異なる人、特殊な性格の持ち主、といったケースである。そうしたケースでは、医師と患者の間に大きな隔たりがあって、医師は患者の立場に立って考えることができないのだという。たいていの医師は、医師となるために長らく自己抑制を続けてきた人たちである。それゆえ、たとえば依存症患者は、彼らの目には怠惰や自堕落なものに映り、なかなか理解の対象とならない。また、痛みに対する言語的表現が過剰な人(いつも「今までで最悪!」と表現するような人)も、医師の共感をなかなか得られないようだ。
というように、熟達した医師やスタッフでさえ、患者やそのほかの条件次第では、患者に共感を抱くことができない場合がある。そして、その事実がとりわけ看過できないのは、「共感できる/できない」が患者の健康へ影響を与えると考えられるからである。
著者は、「医師の共感が患者の健康に実際与える影響についての研究はまだ新しい分野である」と断ったうえで、その興味深い予備研究結果について言及している。ここで、そのうちのひとつを引用しておこう。
この種の調査としては最大規模のある研究においては、糖尿病患者2000人以上を対象に、入院や昏睡という結果をもたらす最重度の血糖値の揺れ(高血糖あるいは低血糖)についての分析が行われた。一方、彼らの主治医242人全員はJSE共感力テストを受け、そのスコアによって高、中、低の3つのグループに分けられた。その結果、高スコアグループの医師の患者が重篤な糖尿病の合併症を発症する率は低スコアグループの医師の患者よりも40%低かったという。この効果は、糖尿病の最も強力な治療を行った時に得られるものとほぼ同等である。
著者も指摘するように、どのような因果関係により以上のような結果が生み出されるのか、その点を明らかにするにはまだ時間がかかるだろう。ただ、とくに治療を受ける患者の側からしてみれば、以上のような結果が出ていること自体は、それほど不思議なことではないかもしれない。
さて、以上が「共感」について著者が論じている内容である。ここでけっして誤解してほしくないのだが、著者はなにも「医師には共感力が欠けている」などと主張しているわけではない。そうではなく、著者が強調しているのは、事実として医師も生身の人間であり、自らの感情に衝き動かされることもある、という点である。そして、やたらと理想論や精神論をふりかざすのではなく、その事実をきちんと受け入れたうえで、よりよい医療のための建設的な議論ができないか、と問題提議しているのである。
その意味でも、本書でたびたび言及されている、医師の「燃え尽き症候群」などの問題は深刻であろう。ときには自らの責任にとてつもない怖れを感じ、ときには死の悲しみに打ちひしがれ、そしてときには医療の現実に幻滅し、医師がパンクしてしまうことがある。それらについても、本書では濃密なストーリーが語られているから、ぜひ該当箇所のページを繰ってみてほしい。
ところで、本書ではジェローム・グループマンの『医者は現場でどう考えるか』がたびたび言及されている。学問的な見地からすれば、本書は、グループマンの著書に比肩するほど洞察力に富んではいないだろう。だがその一方で、その流れるような文章で、医師と医療の現実をありありと示してみせる著者の筆致には、思わず舌を巻いてしまう。本書を読んでいると、まさに原題のいう「医師は何を感じているのか」(What Doctors Feel)が、彼らの息づかいや胸の鼓動とともに伝わってくるようだ。
訳者の卓越した訳出もあって、本書は最後までストレスなく読むことができる。良質な読み物として、医療関係者のみならず、広く一般読者にもおすすめできる1冊であろう。
たびたび言及されているグループマンの本の原題は、How Doctors Think。そのタイトルからして、ダニエル・オーフリがいかに影響を受けているかがよくわかる。村上浩のレビューはこちら。
グループマンの本はこちらも秀逸。患者の意思決定を扱っていて、そこに認知心理学の知見を持ち込んでいるのがとりわけ刺激的。内藤順のレビューはこちら。
最近出た本で、こちらも医師の内面を包み隠さず語っている。その見事な文章は読んでいて気持ちがいい。仲野徹のレビューはこちら。