今年これまでで、もっとも面白かった本である。書評を書くと決めた本を読むときには、引用したいページに付箋を張りつけるのだが、今回は付箋を張りすぎて、読み終わった後にさらに厳選して別の付箋を張りつけるはめになったほどだ。今年の金融読み物ナンバーワンだろう。
リーマン・ブラザーズ破綻に端を発した世界金融危機。これまで幾多もの書籍が出版されているが、そんな中でも必読書と言えるのが『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』と本書だ。『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』は、世界金融危機の内幕を詳細に観察した稀有な書だったのに対し、本書は、金融危機を長期的で俯瞰的な目線で分析する卓越した一冊である。
本書を読めば、市場経済が何を間違ったのか、どう対処すべきかがよく理解できる
ノーベル経済学者ジョセフ・スティグリッツの評価だが、その他にも欧米メディアや識者から本書は絶賛を浴びている。研究者・実務家でありながら、20年にわたりフィナンシャル・タイムズ紙の人気コラムニストを務めている著者は、金融問題に関する分析力とその文筆力は業界で一・二位を争う経済学者である。本書でも、専門用語使わず金融の仕組みや金融化の歴史を紡ぎ上げた上で、金融危機の根本分析と解決策を提示しており、膝を何度も打ちながら読んだ。
リーマン・ブラザーズが経営破綻した当時、時の経済財政担当相は「日本にももちろん影響はあるが、ハチが刺した程度」と発言し、金融危機の影響を見誤った。投資銀行の一つであるリーマン・ブラザーズ関連の不良債権を、多くの金融機関・個人が、仲介者を何重にも介したかたちで保有しているとは想像できなかったのだ。リーマンと直接的な関わりがなかった企業もが影響を受けるほどに、金融システムは複雑に絡み合っていた。
この複雑性が増幅して弊害をもたらした経緯は、古代ローマ帝国の崩壊の経緯と類似する。しかし、ローマ帝国崩壊の教訓は、現代の金融システムには活かされなかった。「不必要な複雑化を避けると同時に、避けられない複雑性については、注意深く管理にあたるべき」だったのに。
トレーディング文化の台頭が、金融システムの複雑性を増す直接的な要因になったと、著者は分析している。銀行の基本業務といえば、大半の人はものづくりやサービス業に携わる企業や個人に対する貸し付けを思い浮かべるが、今日ではこれは銀行資産総額の数%ほどにすぎない。銀行資産の大半は他銀行に対するトレーディング債権なのである(金融業界内の売り買いが大半を占める)。金融機関同士でのトレーディングを活発化させることにより債権は複雑に絡み合っていったのだ。
新たな資産を創造する(新しい事業へ融資する)という伝統的なビジネスモデルは端に追いやられ、既にある資産の組換えによって収益をあげるトレーディングがいつの間にか金融機関の中核事業となっていった。しかも世界金融危機の前後は、長期ファンダメンタルに基づく投資ではなく、短期的なトレーディングが時代を謳歌していた。そこではバフェット流の企業価値を分析する賢さは軽視され、マーケットの空気感を予想する賢さがもてはやされていた。
当時、自由市場主義者はこの流れを賞賛し、またグリーンスパン、サマーズ、ガイトナーといった影響力ある政府関係者も、金融工学に支えられたこのトレーディング文化を「金融機関のリスク分散・測定・管理方法が進化した」とか「市場の流動性を担保することになった」と祀り上げた。
ただ現実世界は、洗練されたリスク管理とはほどとおい無責任なギャンブルが横行し、また、一般人には必要のない千分の一秒単位の流動性が確立されていったのである。有効な管理がなされないまま、複雑性だけが増幅され、そしてついには破裂した。
「金融は誰のためにあるべきものか」というのが著者の根源的な問いかけである。金融機関はブルームバーグのニュースに一喜一憂するのではなく、実体経済に根差したビジネスを展開すべきであるとの至極まっとうな主張だ。では今ある金融システムをどのように正していくべきなのか。著者は、よくある「規制強化」という陳腐な提言ではなく、問題を掘り下げた上での納得感ある提言を本書の第8章にて行っている。中身は本書を読んでからのお楽しみだ。
本書の土台となっているのは、著者であるジョン・ケイ教授が2012年に英国政府の依頼でまとめた証券市場改革案「ケイ・レビュー」だ。提言内容は同じだが、本書では「受託者責任」や「スチュワードシップ」という専門用語は使わずに、誰もが分かりやすい平易な文章でその内容を説明している。また、より広範で俯瞰的な視点で書かれており、専門家でなくとも理解しやすい。
次なる金融危機に立ち向かう政治家に本書を読んでもらいたいというのが著者の希望だ。むろん、政治家でなくても楽しめる。ビジネスマンにとっては、本書を読んでおけば、世界金融危機のことを一丁前に語れるようになるだろう。家に置いておいて損のない一冊だ。
リーマンショックが起こっている最中の当事者たちに焦点をあて、当時の危機に対応した一握りの彼らが、オフィスや家で何を考え、何をしたのかを克明に記録している人間ドラマ。書評はこちら。
『ブラック・スワン』の著者タレブが大絶賛したのが この『金融に未来はあるか』だ。タレブ最新刊の書評はこちら。