本書は、19か国で刊行され日本でも大きな反響を呼んだ『ぼくはお金を使わずに生きることにした』の著者による第二作 The Moneyless Manifesto の全訳です。
著者のマーク・ボイルは、1979年生まれのアイルランド人。英国のブリストルで働いていた20代の終わりごろ、現代社会の多くの問題の根底に〈お金〉があると気づいた彼は、お金のいらない相互扶助の社会をめざすフリーエコノミー運動を立ちあげます。運動の一環として、金銭をいっさい介在させずに生活する実験を2008年にはじめ、国内外の注目を集めました。お金がなくても生きのびられるどころか豊かに生きられることを、身をもって証明しようとしたのです。思いきった選択にいたる道すじと公式実験期間の1年をユーモラスに描いたのが、初の著書『ぼくはお金を使わずに生きることにした』でした。
第二作の『無銭経済宣言』は、カネなし実験の後日談ではありません。〈グローバルな貨幣経済〉から〈ローカルな贈与経済〉への方向転換に読者をいざなう、ラディカルな提言の書であると同時に、お金に頼らない生活の知恵をふんだんに詰めこんだ、便利な道具箱のような実用マニュアル――と言えるでしょうか。
第1部の〈理論編〉では、合計3年近くにおよぶ完全なカネなし生活をへてさらに深化した無銭哲学が、前著同様率直かつ親しみやすい調子で、縦横に語られます。著者によれば、「お金がなければ生きられない」というのは私たちの文化が創りだした「物語」「錯覚」にすぎません。「人間は自然界とは無関係な独立した存在」というのもまた、さらに根ぶかい錯覚と考えられます。自然界や地域社会とのつながり、生きるに値する人生、持続可能な地球を取りもどすには、私たちがとらわれている〈お金〉と〈自己〉の神話を解体して、〈無銭経済〉(=ローカル経済+贈与経済)に移行するしかない。彼はそう訴えます。
第2部の〈実践編〉では、衣食住、健康とセックス、交通手段、教育、娯楽など、日常生活のさまざまな側面ごとに章を立て、金銭の必要性をなくす(へらす)ための具体的なノウハウや、英国内外における実際の試みを多数紹介しています。ほんの一部を挙げると、不用品を無償でやりとりする「フリーサイクル」、蚤(のみ)の市ならぬ無料市「リアリー・リアリー・フリー・マーケット」、服の交換パーティ「スウィッシング」、空き地を勝手に耕作してしまう「ゲリラ・ガーデニング」、廃棄された食料を救出する「スキッピング」、野草で作る植物性タンパク質「リーフカード」、廃物利用の「ロケットストーブ」に、併用すると便利な保温調理箱「ヘイボックス」、家賃ゼロの「スクウォッティング」、わらで建てる「ストローベイル住宅」、簡単に栽培できる万能せっけん「サボンソウ」、花粉症を緩和する「オオバコ」のお茶やチンキ、無料で宿泊するには「カウチサーフィン」や「エスペラント話者の国際ネットワーク」、生活の知恵を無料で教えあう「フリースキルのつどい」、路上パーティで近所の人と知りあう「ストリート・アライブ」、などなど。読んでいるだけでも無限の可能性にワクワクさせられます。著者が力説するとおり、「貨幣経済だけが唯一選択可能な経済モデルではない」のです。
自然界の植生にしても、社会の習慣や法律にしても、当然ながら英国と日本では事情が異なるため、すぐそのとおりにマネできるアイデアばかりとはかぎりません。また、言及されたプロジェクトや参考図書の多くは英語使用者のみを対象としています。それでも、自分に合った方法をさがすヒントと意欲なら、少なからず与えてくれそうです。地域性や各自の状況に応じて創意工夫すること、受け身の消費者ではなく人生の積極的な参加者になることこそ、無銭経済の精神なのですから。
日本国内においても、特に2011年の東日本大震災以降、資本主義や貨幣経済に疑問をいだき、そこから「降り」て豊かに生きはじめる人びと、自分たちの手でもっとちがった経済圏を創りだそうとする試みを、ますます見聞きするようになりました。いまだに「経済成長」信仰による暴力が幅をきかすなか、海の向こうとこちらで同時多発的にこうした動きが広まりつつある様子に接すると、希望と、勇気と、現状に抗う力がわいてきます。
さて、前著の終盤でフリーエコノミーの長期的構想を語っていた著者は、第二作執筆のかたわら、無銭経済の拠点の設立準備に奔走していた模様です(この時期には、すでに街で最低限のお金を使う生活に戻っています)。その後、仲間とアイルランド西部のゴールウェイ州に著書の印税で購入した1万2000平米の土地をAn Teach Saor ――アイルランド語で「自由の家」――と名づけ、パーマカルチャーの設計原理にもとづく食・住環境整備に励んできました。さらに、クラウドファンディングで調達した資金とボランティアの助けも借りて、荒れはてた豚舎を全面改築し、世界初のカネなしパブ「ザ・ハッピー・ピッグ」(無料のイベント会場や宿泊場所を兼ねる開かれた場)も完成させています。カネなし経済を実現するためにカネを使うという、矛盾しているようにも見える行為に対し、当初フリーエコノミー運動の内外から批判も出たようですが、本書(第6章)および前著(第14章)でそうしたジレンマを論じたくだりからは、著者の誠実な人柄とすぐれたバランス感覚がうかがえます。
この間、2015年に第三作『モロトフ・カクテルをガンディーと』(Drinking Molotov Cocktails with Gandhi)を発表しています。ゴミ減量の三つのR(リデュース、リユース、リサイクル)ならぬ、新時代の三つのR「レジスト(抵抗せよ)、レボルト(反乱せよ)、リ= ワイルド(再野生化せよ)」をかかげた、真摯で謙虚で過激な〈暴力〉論です。こちらも遠からず翻訳紹介できればと思います。
また2016年の末には、「複雑なテクノロジー」をすっかり手ばなすと宣言し、世間をおどろかせました。PCも、インターネットも、電話も、電気も、水道も、ガスも、銅や石油の採掘やらプラスチックの製造やらを必要とする何もかも、という意味です。「テクノロジーは自然界とのつながりを破壊し、場所を、コミュニティを、人間を破壊するから」という動機は、彼がお金を問題視する理由とほぼ変わりありません。『ガーディアン』電子版の連載コラム(手書き原稿を郵送)で現在の暮らしぶりを知ることができます。
なお、本書の原書と連動したウェブサイトでは、著者に関連する記事や映像などを参照できるだけでなく、原著(英語版)の全文も無料で公開されています。
これは、贈与経済の理念にもとづく著者の意向により、クリエイティブ・コモンズと呼ばれるライセンスが適用されているためです(自身がテクノロジーを断ったあともサイトは閉鎖されず、有志の手で運営されています)。
もちろん、複雑なテクノロジーを駆使したコンピューターを介さずとも、図書館を利用すれば日本語版もお金を使わずに読めますし、それ以外にも無料で本を分かちあう楽しい方法が第5章で何通りも紹介されています。そのようにしてひとりでも多くの読者に無銭経済のメッセージが伝わるのは、訳者としても大歓迎です。
ただ、いま現在ほとんどの人は貨幣経済の枠内で暮らしており、書籍が世に出るまでにはさまざまな経費がかかっている事実も否めません。本書の購入代金は、出版関連産業を支え、著者らがアイルランドで展開中の活動を支えることとなります。おサイフに余裕のある方はぜひ、応援したい書店で購入いただけるとさいわいです。支援したいけれども(訳者同様)お金に余裕の少ない方は、この本の存在と無銭経済の考えかたを口コミで広めてくだされば、これまた望外の喜びです。
2017年7月 吉田 奈緒子