こ、この本のレビューを書きたい。
先日クマムシ博士がめちゃくちゃ面白いレビューをアップしていたので、私立文系かつファーブル昆虫記を1巻で挫折した私ごときがレビューする意義は見いだせなかった。HONZには虫担当の塩田もいる。生物偏差値100超(!)の学生メンバー篠原だっている。浪速大学医学部教授だってレビュアーだ。とにかく虫に相応しいのは私ではない。
しかし、書きたいのだ。この胸いっぱいお腹いっぱいの気持ちを誰かに伝えずにはいられない。
本書を読み返す。そしてクマムシ博士のレビューも読み返す。1つだけ、それも大事なことに触れられていないではないかっっ! 今回私はその点だけに絞ってレビューをしたいと思う。
面白い本というのは何パターンかあると思う。ひとつは目を通すだけで笑えるもの、電車の中で広げたら最後あふれる笑みを回収しきれずに不審者としてツーホーされるタイプだ。今話題の『鳥類学者だからって鳥が好きだと思うなよ』はこれだと思う。それから、読み始めてしばらく眉間にシワが寄ってるけど読めば読むほどスルメのごとく味わいが深まるもの、難しい系の本に多い。そして本書のように笑いの中に涙がいっぱいで島倉千代子の如く人生色々を紙の上で堪能し尽くせるタイプだ。
そう、本書は実は泣ける本だったのだ。
そもそも本書を手に取ったのは、バッタ博士こと著者前野ウルド浩太郎氏のバッタコスプレ姿の表紙にズギュンと撃ち抜かれたからだ。ただのバッタではない。バッタのくせに虫取り網を持って鋭い目つきでこちらを睨んでいるのだ。その緑色の姿に私の親指が勝手にポチッとリンクをクリックしていたのだった。
はたしてどうだろう、クロネコさんが届けてくれたそれは期待通りの代物だった。まえがきはいきなりこんな調子で始まる。
100万人の群衆の中から、この本の著者を簡単に見つけ出す方法がある。
さすが生物学者は違う。個体(著者)の識別方法から伝授してくれるのだ。既に判明している事柄とまだよく分からない事柄をきちんと仕分けするのは研究の基本のキなのだろう、巻頭ネタには持ってこいだ。まずは自分とそれ以外を識別できるようにしたところで話が始まるなぞパンチが効いている。このお方は恐らくただのバッタ男ではないのだ。恐らく(再)これから抱腹絶倒のスペクタクルが始まるのだ!!
そう思って私はドキドキしながらページをめくる。するとどうだろう、面白いのに読めば読むほど目から水があふれそうになるではないか。おかしい。この本は笑うための本ではなかったのか? あんなバッタコスプレ姿で泣かせにかかろうというのか。
なぜ胸熱目から水ジャージャーになるのか、ページをめくりながら考えた。人が目から水を流すのは、自分の心のコップの容量を超える何かが注がれた時だ。本書では何がそうさせるのだろう?
それは著者前野ウルド浩太郎氏のバッタにかける誠実さと必死さとしか考えられない。ミドルネームのウルドは、彼がバッタのフィールドワークを行うために単身渡航したモーリタニアのバッタ研究所のババ所長から授かったもので、「だれそれの子孫」の意味があるのだという。いくら世話になった人から貰った名前とは言え、本名として名乗るというのはそうそう出来ない(戸籍は変えてないとのことではあるが)。著者は所長への心の底からの忠誠心を見せるためにやってのけたのだ。
例えるのもおこがましいが、HONZデビューのきっかけとなった恩師ブルマー教授にちなんで「小松ブルマー聰子」を名乗るところを想像してみた。が、全くできる気がしない。会社で上司や同僚になんと説明するのか。ムリだ。名前とはそういうものだ。
著者は博士号を取ったものの、正規の研究職に就いていないいわゆるポスドクの立場でモーリタニアに向かった。そこでバッチリ研究してその成果を引っさげて職を得ようと目論んでいたのだ。
しかし、研究対象のサバクトビバッタは現れない。バッタが現れなければ論文は書けない。書けなければ職にありつけない。ありつけなければ大好きな大好きなバッタの研究とお別れしなければならない。資金はどんどん目減りしていく。日本から持ち込んだ大事な麺つゆのストックもどんどん消費されていく…。もう、泣きたい。いつの間にか私は著者に同化していた。モーリタニアの砂漠の真ん中で途方にくれながらバッタを探していた(的な妄想に陥っていた)。
ババ所長はそんな著者をこう励ます。
お前は無収入になっても何も心配する必要はない。研究所は引き続きサポートするし、私は必ずお前が成功すると確信している。ただちょっと時間がかかっているだけだ。
ああ、もう。これが泣かずにいられようか。ババ所長、大好きです。一生ついて行きます!!
そして物語は最大の泣き所を迎える。資金も底が見えてきた頃、著者は研究を続ける為に京大の白眉プロジェクトという若手研究者育成プログラムに応募する。最終選考まで残った著者に面接官である京大総長がこう語りかけたのだった。
”xxxxxxxx。”
(注:ガチのクライマックスなので伏字にしました)。
電車の中でまたまた目がシバシバする。だめだ、私の目の堤防は決壊だよ。丸々2年も砂漠に暮らしてバッタを追い続けたことをこんな風に認めて貰ったら泣くしかない(いやだからあなたじゃなくて著者だからね、言われたのは。同化するにも程がある)。ババ所長のみならず京大総長までも!!
そして30倍以上の狭き門をくぐり抜け、プロジェクトに採用される。再びバッタの研究を続ける道が拓けたのだ。
本書の後半、著者は念願のサバクトビバッタの大群に出会うことができた。そしてさらに子供の頃からの夢だった全身緑色の服を纏ってバッタにその身を捧げる儀式をしめやかに執り行う。
笑いの中に涙があるのではない、涙だらけだからこそ笑いが引き立つのですね、と裏表紙の緑色の全身タイツ男(つまり著者)に私は語りかけたのだった。