人生の大半を、犬と過ごしてきた。
だから心の底からの実感としていえるのだが、犬ってのは良いものだ。つらい時は慰めてくれるし、楽しい時間はさらに楽しくなる。撫でているとあっという間に時間が過ぎるし、心地がよい。というわけで僕は10でも20でも人類が犬を飼うべき理由を挙げられるが──、本書『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』を読んだら、また犬を飼いたくてたまらなくなった。
本書はその名の通りに、極限レースを走った犬についての一冊である。極限レースを走った犬ってなんじゃそら、犬をわざわざレースに連れて行ったのか? そりゃ無茶だぜと最初疑問に思ったが、そういう話ではない。エクアドルで行われた、登山からサイクリング、マラソンにカヤックの川下りまでなんでもありの約700キロ耐久レース。そのレースにスウェーデンから参加したある4人のチームに、道中餌をもらったことから”勝手に”ついてきた野良犬の話なのだ。
僕たちは約七〇〇キロものレースにのぞもうとしていた。一五八キロをトレッキング・登山・懸垂下降で、四一二キロをサイクリングで、それから一二八キロをカヤックで進む。想定では、勝者で一一〇時間を要し、ゴールにかかる標準的な時間は最大で一九〇時間。昼夜八日間にわたるレースということになっていた。
極限レースとは何なのか
本書が犬についての一冊なのは確かだが、特にその前半部は”犬が走ることになった極限レースとは何か”という話でもあり、臨場感あるレース描写がやけにおもしろい。700キロものコースだから、数日がかりの旅である。迷うし、天候が味方してくれるとも限らない。時には不足した物資を現地で臨機応変に調達しなければならない。あらゆる状況に対応できるように準備/計画していく必要もあるが、このエクアドルのレースを含め不測の事態は常にいくらでも発生する。
その対応方法も無数にある。ぬかるみを走った自転車を洗うため、現地の住民によく知りもしないスペイン語で話しかけ、ぼったくられる。レース中に使用不能ルートなどが記された重要なマップを紛失してしまった時は他チームに話しかけて正規ルートの情報を引き出そうとする。ある時は話しかけて敵チームの弱点をさぐったり、相手が負っている怪我について質問することで傷を意識させるなど、卑怯ととられてもおかしくはない様々な戦術がとられるのだ。
犬との運命の出会い
そんな過酷なレースの最中、著者のミカエルをリーダーとしたチームが犬に出会うのは、困難が予想されるジャングル地帯へと踏み込もうと休憩をとっている時である。
食事をしている彼らを見つめる一匹の野良犬がいる。エクアドルでは野良犬は珍しくはないが、大抵身体のどこかを怪我していて、現地住民から殴られたり蹴られたりの虐待を受けていることもある。後にアーサーと名づけられることになるこの犬も例外ではない。背中に大きな傷を受けており、身体は傷と血だらけで、歯もボロボロ。そして当然、お腹が減っているようだった。
そこで、著者は犬に持っていた食事を一部分けてやることにする。与える側からしてみれば一時の気まぐれだっただろうが、このままでは死ぬしかない犬の視点からすれば、ここで逃すわけにはいかない神のように見えたことだろう。特に犬のことを連れて行こうともせずにジャングルを進むチームに、必死に食らいついてくる。過酷なレースだ。犬にかまってやる余裕なんてあるはずがない。しかし犬は離れないし、道中でチームはアーサーという名前までつけてしまう。
ジャングルを踏破するまではスピードもそんなに出るわけではないし、犬がついてくるのも、困難ではあるが不可能ではないといえる。しかし、その次にくるのは200キロを超えるカヤックでの川下りだ。勝手についてくるに任せるというわけにはいかないし、連れていけば多大な困難が予想される。普通犬をつれていくなんてありえないと、誰もが当然そう判断する。犬はここで置いていこう、エクアドルの犬なのだから、自分でちゃんと家まで帰れるに決まっている。
シーモンが前に乗り、パドルの準備を整えてから、僕たちは出発した。そのころには、橋の上や川岸にさらにたくさんのアスリートたちが集まっていた。カヤックの上でバランスを取っているさなかにも、人々のざわめきが聞こえてくる。後ろを振り返るなと自分に言い聞かせた。無意味なことだ。振り返っちゃだめだ。
そのとき、ばしゃんという水しぶきの音が聞こえた。
アーサーの身体は死にかけといってもいいぐらいに傷だらけで、泳ぎも得意じゃなかったからチームが引き上げなかったら死んでいたかもしれない。それでも犬は川へと飛び込み、もうこうなったら仕方がないと著者らチームもこの過酷なレースへと、アーサーを連れて行く覚悟を決める。『このレースは僕らにとっても厳しいものだった。だから、アーサーの傷と体調がすごく心配だった。でもアーサーは離れようとしなかった。チームの一員になっていたのだ。』
アーサーの写真はレースの最中の物が本書に幾つも載っているが、使い古された雑巾のようにボロボロだ(それは人間も同じだけど)。過酷なレースに同行し、その上死にかけていたはずなのに、どの写真でもアーサーの目はらんらんと輝いており、チームの後にきっちりとついている。映画のラストシーンみたいにチームの4人がゴールへ向けて横に並び歩いている、その足元で得意げに先導するアーサーの姿が写った写真など、チームの一員どころかまるでリーダーのようだ。
おわりに
本書の後半はレースを終えた後、エクアドルからアーサーをスウェーデンへと連れ帰るまでの騒動や、状態の悪かったアーサーの治療の道のりについての話であるが、メディアの爆発や一匹の野良犬を国を超えて連れ帰ることの大変な困難さなどこちらも大変読み応えがある。
レース中からレースが終わった後まで含め全てが感動的な話だ──とはいえ、アーサーはお腹が減っていて、死にかけていたから、食事をくれる相手に必死でついてきただけといえる。それを助けたミカエルも、スポンサーのついたプロの耐久レーサーとして、上位を目指せなくなったレースで宣伝になりそうな美談を見つけ、利用したのだと穿った見方をすることもできる。
しかしそれでもなお、読み終えて沸き起こってくるのは、”犬ってすごいな”、という純粋な感嘆だ。アーサーはどんな理由にせよ、ジャングルを走破し、川に飛び込んでまで、確かに人間についてきて、最後まで離れることなく走りきったのだ。それは、事実なのである。そして、本書を最後まで読めば、ミカエルとアーサーの絆が本物であることは嫌でも理解できるだろう。
ちなみに、その後のアーサーの姿は著者のInstagramで確認できる。めちゃくちゃかわいい。www.instagram.com/mikaellindnord/