本書は、鎌倉時代の「踊り念仏」で知られる時宗の開祖・一遍上人の評伝だ。
開祖といっても本人は死ぬまぎわまで、こんな活動は一代限りでやめろと門弟に釘をさしている。
仏教本でお堅いのかと思いきや、全くそんなことはなく、著者は口語で語りかけてくるので読みやすい。そして一遍の怒涛を体感するだけでもエンターテイメントとして成立している。
一遍は、伊予水軍で名高い河野家の元武士だった。しかし他人を殺してでも家を守れ、財産を増やさねばと働くうち、身内同士で所領争いになり、挙句のはて殺し合いにまで発展してしまう。こんなのやってられねえ!と家も土地も、奥さんも子供も、財産をぜんぶ捨てて旅に出てしまった。
一遍の思想における究極は、「捨てる」ことにある。彼は富も地位も権力もすべて捨て、空っぽになり、生きながらにして往生しようと考えた。
しかし実際に家を出ると、奥さんと娘も出家して旅についてきてしまった。一遍は南無阿弥陀仏の念仏札を配る賦算(ふさん)によって教えを広めていたが、旅をすれば仲間がふえ、教団が立ち上がりそうになる。
坊さんになればなったで、修行して自分はこれだけ仏に捧げているから救われるだろう。なんて感覚はあったろうし、もっと他の坊主より功徳を蓄積しよう、そうすれば必ず極楽浄土に往ける。とエゴや執着が生まれてしまう。それでは武士だった時の自分と同じではないか。
一遍が壮絶なのは、自分のこの身体に現世が染み付いているのならば捨てよう、と決心しトコトンやりきる点だ。踊って、跳ねて、振り落とす。念仏を何時間も唱え続け、あたまが空っぽになり、自分はなんのために踊っているのか、どうでもよくなってくる。身体が痛くなっても、それでも続ける。
そして食器用の鉢をもって、棒切れをもち、それをガンガンたたく。そして人間の限界を超え、痙攣するようなありえないうごきをみせはじめた。フオオオオオ、と寄声を発しながら、荒々しく飛び跳ねる一遍。そして一晩中踊りあかし、時には何十日間も、ぶっとおしで念仏を唱えおどり狂ったそうだ。
迷ってるんじゃねえ、とにかくハネろ!
まわりもつられて、男女根を隠さず、うひゃあと山猿のように騒いでいた。騒ぐだけなら、いまでも縦に飛び跳ねるクラブカルチャーはあるが、彼らはもはや人間すら捨てて畜生になっている。さすが一遍だ。南無阿弥陀仏。
ちなみに一遍は、自分の服も捨て半裸で諸国を遊行したが、寒さで風邪をこじらせ死にそうになる。ありがたいことに他の宗派の坊さんから、いらないボロ袈裟をもらい、それから服は仏の慈悲であるとして必需品となった。その後、時宗の戒律に私欲を捨てる12の道具があるが、この中のほとんどは衣ばかりである。
読み進めていくと、すさまじいエピソードがいくつも登場する。屋敷の主人の話は興味深い。
いつものように一遍達が踊りほうけた晩、ある地頭の屋敷を訪ねたところ、主人が留守だったので、奥さんが丁寧に対応してくれた。そのとき一遍は奥さんに、浄土の教えをおしえを説いた。するとすっかり奥さんは感動し、私も出家したいと申し出た。
一遍は、いいよ、いいよ、すくわれちゃいなよ。といった調子で、出会ってすぐその場で、奥さんの髪を切ってあげた。それを見た女中は涙を流している。それはそうだ。まだ若くて女ざかりの奥さんが、とつぜん出家してしまったのだから。よし、いいことをしたと一遍たちは奥さんを出家させると意気揚々とひきあげていった。
しばらくすると、家の主人が帰ってくる。家に帰るなり奥さんが尼さんになっているではないか。しかも「ナムナムナム…」って念仏を唱えている。
「坊主、ぶち殺してやる!!」
当時の価値観では、女は家の財産であり、主人の所有物とみなされていた。もちろん、そうでない今でも主人の気持ちは充分に理解できる。主人は馬と郎党を引き連れ、福岡市(現在の岡山県)で札を配っていた一遍にたちはだかり、太刀を抜こうとした。
ところが一遍は、突如、
「おぬしは、吉備津宮の神主の子供じゃあ!」
と叫ぶのだ。これには主人も驚いた。なんでわかったんだ!?という主人の驚きもあるが、鎌倉武士にとっての通例で「我こそはなにがしなり」と、決闘の前は名のりを上げて周囲に知らしめるものだ。一遍も元武士だったので、それは知っていたのだが、あえて破った。そして主人の出身はというと、さっきまで家にいたから知っているだけである。
驚いた拍子に一遍は迫力満点で、刀でひとを殺すなんて大間違いだと主人を言いくるめた。もうムチャクチャである。
全編を通してこんな調子だ。ただ一遍は、くだらないルールはかなぐり捨てて、いまこの一瞬にすべてを賭ける生き様が一貫している。クソみたいなプライドは捨てろと常に思っていたのだろう。
寝ないで踊れととまではいかないが、本書を通じて少しでも一遍のいう言葉に耳を傾けても損はないはずだ。
著者の自由闊達な生き方の提案。一遍もそうだが、テーマは「自由に生きる」か。栗下直也によるレビューはこちら