著者は35歳、独身。職業は大学の非常勤講師。借金は635万円。日本学生支援機構から借りた奨学金だ。年収は80万円だが、これでも収入は上がってきた。大学院を出た09年から13年までは10万円だった。もちろん、現在も自力では暮らせない。埼玉県の実家で、親の年金に寄生して生きている。
「ろくでなし」、「ひとでなし」、「いいかげん働け」
と批判が飛んできそうだが、著者は拒絶する。やりたくないことはやりたくない。はたらなかないで、たらふくたべたい。合コンに行きたい。もてたい、もてたい、もてたい。本を読んでごごごろしたい。通勤電車はいやだ。完全にだだっ子なのだが、著者は自らの生のうめきを過去の歴史上の思想と結びつけ、なんだか心地の良い生き方を示してくれる。
本書の中で頻繁に登場するのが大杉栄だ。「アナーキストで関東大震災の後で虐殺された人」程度の認識しかない人も少なくないだろう。
赤ん坊になりたい。おぎゃー、おぎゃー。だだをこねたい。ちやほやされたい。しゃぶりつきたい、素っ裸の女の胸に。わたしは大杉栄の思想はそういうものだと思っている。
大杉は確かに自分のやりたいことしかやらない。お金のためにやりたくない仕事をするなんてとんでもないし、金がなければ、愛人に貢がせる。ぶち切れた愛人に刺されても反省しない。別の愛人の伊藤野枝なんて出会ってから28歳で死ぬまで妊娠が可能な期間はほぼ毎年妊娠している。6年で5人。どんだけ、やりたい放題なんだ大杉栄。
そんなに自由に振る舞ったら生活が立ちゆかなくなるのではと思うのだが、大杉に拠る著者は相互扶助があれば大丈夫と説く。
著者は東日本大震災の時に愛知県の友人から連絡があり、お世話になったという。カネも持たずに出かけ、一日にゆでたまご20個くらいごちそうになり、焼酎までいただく。「大五郎」でべろべろになりながら、相互扶助の概念を身体で掴んだとか。
役に立つとか役に立たないとか、見返りを求めるとかでない。こまったときにありがたみを感じる生の無償性。それさえあれば、信じられれば社会の目を気にせず、自分の思うように自由に生きられる。大杉が生きた時代から100年近く経つわけだが、現代に照らし合わせても、いつ傾くかわからない会社に寄りかかるよりは、よほど生の基盤になりうる。
恋愛だって本来はそうだ。制度や役割にとらわれるものではなく、自由なものなのだ。働かずにもてたいと叫ぶ著者もかつては婚約者がいた。
合コンに行って、家が近くという共通点があり意気投合。小学校の保健の先生だ。なぜか東日本大震災の当日に呼び出されメロンパンを渡され、すっかり、惚れてしまう。メロンパン焼いちゃうなんて、けなげ、かわいい。年収10万円(当時)の著者を虫けら扱いしない。結婚を前提におつきあいしてくださいと告げられる。
だが、幸せな日々は続かない。彼女の周囲は猛反対。夢を追うな、その年でポストがないなら研究者の素質はないのだからあきらめて職探ししろとお節介にも著者に迫る。
「ゼクシイ」を買って式場を見学し、年収の3分の1相当ということで、清水の舞台からダイブって感じで3万円の婚約指輪を買う。だが、就職は依然として決まらない。著者を急かす彼女。非常勤講師の募集にも立て続けに落ちる。博士論文も書き直しだ。おれ、研究頑張ると誓っても、彼女の目には真面目に仕事を探しているようには映らない。そもそも、非常勤講師ってバイトじゃねーかと。ついに彼女の堪忍袋の緒が切れる。
研究なんてやめろっていってんだろ。わたしを愛しているなら、家庭を大事にしたいとおもうのなら、そのくらいはできるはずだ
なんだか人ごととは思えない、と感じた人もいるだろう。著者は自身の恋愛の破綻を振り返りながら、大正時代を生きた伊藤野枝の結婚観を紹介する。相手のためを思っていたはずなのに、結婚を想定することで、相手に同化して、いつのまにか相手を所有物のように振るまい、ひたすら固執してしまう。夫や妻の役割をおしつけ、生をすり減らす。
伊藤は親に決められた結婚を足蹴にして、女学校時代の教師の辻潤の下に走り、結婚。辻は教え子に手を出したとクビになるも働かない。辻が伊藤の妹と浮気したこともあり、大杉栄と恋愛関係に陥って子供をぽこぽこ生む。
伊藤は当時の感覚ではアバズレ。今もか。とはいえ、女性に制約が多かった時代、自由の生をかちとってきた彼女たちに賛辞を送る。男性が仕事をやめるとかそんなレベルの話ではないと。ちなみに、著者の結婚破談と伊藤野枝を扱った章のタイトルは「豚小屋に火を放て」。他の章やあとがきにも頻繁に出てくる。
でも、大正時代の女性たちは、ほんとうにすごい。豚を囲うとかいて家とよむのだ、それが人間らしさだというのであれば、人間じゃなくて豚のままでいい、火を放ってでもなにをしてでも逃げ出すのだ、なんじ真っ黒な大地の豚であれと、直球でいいはなつ。まわりの迷惑かえりみず、ほんきで生の負債をふりはらう。
ちょっと怖いのだが、著者がいいたいことは単純だ。
わたしたちのなかに、これがおもしろいとおもってわれをわすれ、なにかに夢中になってのめりこんだ経験のないひとなんているのだろうか。あとは、それがやましいことだとおもわなければいいだけのことだ。高等遊民、あたりまえ。そろそろ、消費の美徳とむすびついた労働倫理に終止符をうつときだ。
過激なフレーズと自虐的な文章にあふれた本書は思想に興味がなくても、抱腹絶倒は必至。生きる勇気がわいてくる。ちなみに、本書の写真を見る限り、著者はイケメン。「豚小屋に火を放て」、「黒いネズミたちよ、狂気を喰らえ」とはとても言いそうにないギャップが女性にはたまらないかも。