ノンフィクション作家、杉山隆男の代表作といえば「兵士シリーズ」だろう。このシリーズは国防と言う重大な任務を背負いながら、国民にあまり知られることの無かった自衛隊、とくに兵士たちの生の姿を追い続け、見事なまでにその姿を浮き彫りにしてきた。第一作の『兵士に聞け』は1996年に新潮学芸賞を受賞、同作品はこれまでに6作目まで出版されている。そして今回ついにその続編にして完結編である7作目『兵士に聞け 最終章』が出版された。
24年という長い年月で著者がインタビューした自衛隊員の数は、ゆうに千人は超えるという。さらにその家族を含めると膨大な数の自衛隊関係者と接触している事になる。これほど深く自衛隊にコミットしたノンフィクション作家は他にいないのではないだろうか。
著者は自衛隊と言う巨大な組織の断片である兵士たち一人ひとりの背景にスポットを当て、自衛隊員という匿名な存在から名前を持つ一人の人間としてその姿を浮かび上がらせる。そこから、自衛隊という組織の本質や問題点と国と国民が戦後、安全保障と言う問題にいかに向き合ってきたかを鋭く問いかけてきた。
90年代に出版された第一作は、日陰者の軍隊として、常にメディアに叩かれないよう細心の注意を払い、世間の空気を読むことが習い癖になっている自衛隊の姿を私たちに伝えた。同時に、そのような環境におかれながらも、自らの技量を極限まで高めようとする自衛隊員たちのプロとしての矜持を伝えるのである。
冷戦崩壊によってもたらされた平和が、泡沫の夢であることが次第にハッキリし、世界中に紛争やテロ、そして新たな覇権争いが繰り広げられるようになる中で、「兵士シリーズ」は巻を重ねるごとに自衛隊が、より実戦的な軍隊としての能力を身に付けていく過程を克明に描き出している。その一方でいわゆる「平和憲法」と言う足かせと政治的な駆け引きにより、満足な装備や訓練を受けることなく、硝煙の臭いがまだ残っていそうな危険地帯へと派遣される若い兵士たちの葛藤と、彼らの命を預かる将校たちの重圧を世間に知らしめてきた。
そして7作目である今回は、中国の海洋進出により、いま世界でもっとも熱い空と海になりつつある沖縄の部隊を取材し、国防の最前線で何が起きているのかを伝えている。防人の島である沖縄から遠く隔てた本州に住んでいると、中国の海洋進出はただの知識とニュース番組の中の世界でしかないという感覚になってしまう。しかし、中国の進出は日本を巻き込みつつ進むリアルな問題なのだ。
2012年9月11日に日本政府が尖閣諸島の国有化を宣言してから主力戦闘機F15を擁する第二〇四飛行隊ではスクランブルの回数が2・5倍にもふえた。2012年の4月から尖閣国有化にいたる5ヶ月間のあいだのスクランブルは平均すると1日おきに一回程度であったが、9・11以降から翌年3月末までは一週間に9回のペースでスクランブルがかかったというのだ。一日一回以上のペースで隊員たちは空に飛び立っていた。二〇四が2008年まで駐屯していた茨城県百里では、冷戦終結以後のスクランブル回数が年に15回ほどであった事を考えると、いかに沖縄の空が異常かという事が見えてくる。
多くのパイロットは沖縄に派遣されるまでスクランブルで空に上がっても実物の「国籍不明機」を目にする機会はまれなのだという。二〇四飛行隊でも中堅から若手のパイロットの多くが今まで国籍不明機を目にした事がない。部隊のナンバー2である田中三佐は見事な技量が認められ、飛行教導隊というエース中のエースしか入る事の許されない部隊に所属していたエリートパイロットだ。
この部隊はかつて仮想敵国ソ連の戦闘技術を分析し身につけ、各基地に出向き、模擬戦を行うことを任務としている部隊だ。その技量は他のパイロット連中から「モンスター」といわれるほど卓越しているという。「モンスター」と呼ばれる田中三佐ほどの男でも、沖縄の空で初めて国籍不明機を目の当たりにしたとき、足の震えが止まらなくなったという。戦闘機や軍の艦船とはそれ一個が国家なのだ。もし不足の事態が起きてしまえば、たちまち事態がエスカレートする危険性がある。彼らはその緊張感を感じつつ日々、操縦桿を握っているのである。それは、たとえ砲火を交えていなくとも「実戦」の世界といっても過言ではないであろう。
ところで本作では今までに比べると、杉山隆男にしか、なしえないと思わせた取材力が感じられない場面が多々あることに気づく。ページをめくるうちにその理由が次第にはっきりとしてくる。自衛隊はかつての自衛隊と驚くほどに多くの部分で変わってしまったのだ。
かつては意外なほどすんなりと「関係者以外立ち入り禁止」とされている区域に入り取材することができたし、極秘中の極秘の潜水艦に乗り込み、第三者の立会いなしで隊員に取材する事ができるという、おおらかな一面を持っていた自衛隊であったが、今回の取材では様変わりしていた。広報担当が常に著者に張り付き、隊員との一対一のインタビューも許されず、自衛隊員の家族へのインタビューも実現できなかったのだ。自衛隊が置かれた状況と米軍との一体化が進むにつれ、より本格的な軍隊となりつつあると同時にその存在は秘密のベールの中へと包まれようとしている。
それが、良い事なのか悪い事なのか判断はしづらいものの、軍隊がわりと身近な存在である諸外国とは違い、自衛隊と国民の距離が決して近くない日本と言う国において、そのような状態は、あまり好ましくないのではないか。そして、著者は自衛隊の中でも災害派遣など国民に寄り添う姿に憧れて入隊した非幹部の若い隊員と、米軍と共に秘密のベールの向こう側にいこうとする、幹部たちの間に一種の断層が生まれつつあることに気づく。「兵士シリーズ」はいまひとつ釈然としない形でピリオドが打たれた。著者が感じた疑念がどのような帰結を迎えるのか。それを知るすべを私たちは持ち合わせていない。