子どもの頃、ラジオパーソナリティーの軽快なトークに夢中になった。なにより憧れたのが、ゲストを気安く呼び捨てにするところだ。不思議なもので、それだけで親密度が増す。アイドルとまるで友だちのように語らうパーソナリティーを心底羨ましく思ったものである。もっともそれも演出の一環であったと後に知ることになるのだが。考えてみれば当たり前だ。アイドル全員と友だちのパーソナリティーなんているわけがない(いたらいますぐにでもラジオパーソナリティーに転職したい)。
だが宮沢賢治の愛読者となると話は別である。誰もが親しみを込めて「賢治」と呼ぶ。それも「ケンジぃ~」と嬉しそうに手を振る眩しい青春ドラマみたいな友人関係とはちょっと違う。「賢治……」と愛おしそうにつぶやいてそっと手を握るような、そんな初々しさがどこかにあるのである。それはきっと、賢治の生き方や作品がぼくたちの魂の柔らかい部分に触れてくるからに違いない。
だから賢治を愛する者は、誰もが「自分だけの賢治像」を大切に持っている。ぼくの場合は「超一流の教師」「歩く人」「大正の煩悶青年」の3つだ。
今野勉氏はこれまで4人の宮沢賢治に出会ってきたという。「生命の伝道者」「農業を信じ、農業を愛し、農業に希望を託した人」「野宿の人」「子供のお絵描きのように詩を作る人」の4人である。同じ賢治ファンとしてとてもよくわかるし、氏の個性も感じられて面白い。「そうそう、賢治ってそういう人でもありますよね」と盛り上がれそうだ。だがある時、氏は思いがけず5人目の賢治と出会ってしまう。
あるきっかけから賢治の全集を読み直していた氏は、これまであまり読んだことがなかった文語詩の中に奇妙な詩を発見する。「猥れて嘲笑めるはた寒き」で始まる四連の詩には、「猥」や「嘲笑」の他にも「凶」「秘呪」といった字句が使われ、ただならぬ気配を発していた。しかも意味もわからない。「猥れて」なんて読み方すら不明で、ただ不穏な雰囲気だけが伝わってくる。友人の隠れた一面を目にしてはっと身構えるような、そんな異様さを感じさせる詩だった。
賢治関連の蔵書百数十冊を繰ってみても、この異様な詩を論じているものはなかった。ここで氏の心に火が灯る。これまで数々の傑作ドキュメンタリーを世に送り出してきた名ディレクターが、賢治が遺した異形の詩の解明へと動き始めるのだ。
本書で読者は、凄腕のドキュメンタリストの調査を目の当たりにすることになる。その徹底した取材には圧倒されるはずだ。ある時は城跡を歩き回り、賢治がその場所に立った日の風速まで計算して、賢治が目にした光景を確かめようとする。またある時はタイタニック号の事故当時に刊行された雑誌をすべて入手し、賢治がいつこの事件を知ったかを解明しようとする。またひとつ、またひとつと謎が解明されていく。この過程がとてつもなくスリリングで、ページを繰る指が止まらない。
読みながら「再現性」という言葉が浮かんだ。優れたドキュメンタリー作品と同じように、事実の欠片を辛抱強く集めることによって、氏は歴史の彼方に消え去ってしまっていた、あの日あの時の「現場」を、ぼくたちの目の前で再現してくれるのだ。
異形の詩の背景には、最愛の妹とし子の恋があった。その恋はとし子に生涯消えない傷を負わせるものだった。とし子が亡くなった朝の、あの名篇「永訣の朝」の現場は、庭の松の木の下である。あなたはそこで霙にうたれ悄然と佇む賢治を目にするはずだ。
とし子が何を抱えたままこの世を去ったかを明らかにした後、氏は「銀河鉄道の夜」の謎の解明に向かう。「銀河鉄道の夜」の執筆中、賢治は陸中海岸への旅に出る。この時、大正14年の1月5日から6日にかけて、夜通し海岸線を歩きながら賢治が見た光景が「銀河鉄道の夜」のある謎に関係するのだが、驚くことに氏は、この日の天空の星の配置も再現してみせる。賢治とともに海岸線を歩きながら、あなたが目にすることになる夜空は、息をのむほどに美しいはずだ。
秘められた真実が明らかにされた時、そこには誰も見たことがない賢治が姿を現す。まさかこんな新しい宮沢賢治と出会えるなんて思ってもみなかった。最愛の者の死、喪失の悲しみ、そして孤独。それらと賢治はどう対峙したのか。多くの命が理不尽に奪われる時代だからこそ、広く読まれてほしい一冊だ。
※『波』3月号より転載