このタイトルだけに色物系かと思われるかもしれないが、奥深いメッセージが込められた、笑いあり涙ありの痛快エッセイである。
冒頭、このような一節から始まる。
いきなりだが、夫のちんぽが入らない。本気で言っている。交際期間も含めて20余年、この「ちんぽが入らない」問題は、私たちをじわじわと苦しめてきた。周囲の人間に話したことはない。こんなこと軽々しく言えやしない。
もちろん書かれている内容自体はシリアスなのだが、「こんなこと軽々しく言えやしない」と言いながらも書籍で大々的に発表してしまっているあたり、そこはかとない面白さがあり一気に読み終えた。
夫のちんぽが入らないーーこの肉体的に異物を排除してしまうということがまるでモチーフであるかのように、私自身が世間から排除されてしまったり、自分が大切な人を排除してしまったりと、信じられないくらい不思議な出来事が次々に起こっていく。
主人公は、人よりクマのほうが多く住んでいるとも言われる片田舎の出身。集落の全員が顔見知りという狭い世間の中で、周囲の目と厳しい母親という抑圧のもと、子供時代を過ごす。
大学へ入学し一人暮らしを始めると、驚くことに住民票を移すよりも先に恋人ができる。やっと他人に受け入れてもらえる人生が始まるかと思った矢先に、以下のような肉体的な排除を経験するのだ。
でん、ででん、でん。まるで陰部を拳で叩かれているような振動が続いた。なぜだか激しく叩かれている。じんじんと痛い。このままでは腫れてしまう。いまそのふざけは必要なのだろうか。彼は道場破りのように、ひたすら門を強く叩いている。
受け入れたいものを排除してしまい、受け入れて欲しいものに排除されてしまう。そのズレを当事者視点として面白がったり、苦しんだり。本書は私小説という名を借りているが、あくでもプライバシーの問題によるものであり、正真正銘のノンフィクションである。
やがて二人は結婚し、それぞれが教師の道を歩み出す。しかしセックスレスの影響からか旦那は風俗へ通い出し、自分自身が担当する小学校のクラスは崩壊へ。悩める彼女はあろうことか出会い系サイトのようなものにハマっていき、いつのまにか不倫を始めてしまう。
なぜか相手のモノが入ってしまうこと以上に驚くのが不倫相手の不可思議な生態だ。中には山に萌える人も登場するのだが、山頂で山と情事を繰り広げる光景は衝撃だ。
最終的に彼女はメンタルダウンし、仕事を辞めてしまう。肉体的にも原因不明の病に悩まされ、死に直面しているおばあちゃんから「かわいそう」とまで言われてしまう始末。それでも周囲からの「子供はまだか」のプレッシャーを受けつづけ、今度は旦那がストレスからメンタルダウンしていく。
子供のいない主婦、仕事をしていない社会人。見た目からくる常識や正論が、押し寄せるようにプレッシャーをかけてくる。周囲に何の悪気もないことが、なおさら残酷だ。集合的無意識によって排除されてしまうことの恐ろしさが、まざまざと伝わってくるだろう。
普通ならこうあるべきと考える私、なぜか逆方向へ行動してしまう私、そのズレを俯瞰して眺める私。3つの私が入り乱れながら、様々な感情が交錯していく。
本書で描かれる「普通」とは、冷静に考えれば化石のような時代遅れな考え方と切り捨てることだって出来る。だが、その時代遅れが時に「正義」として利用されるケースがあり、その場合に「普通」は暴力のように襲い掛かってくるのだ。
25歳までに結婚して、30歳までに子供を産んでーーそんな「普通」はもはや崩壊しているはずだ。それが、たとえば少子化対策のような社会課題と結びつけば、容易に「正義」となる。本書ではそんな不条理な存在としての「普通」が、これでもかと描かれている。
「不通」という私事を通して、「普通」という公を鮮やかに斬ってみせる。20年に及ぶ身の回りの出来事を、大きな物語へと昇華させた手腕は見事だ。本書を読み終えた後は、きっとあなたの心の中に眠っていた「ほっといてくれ感」が、溢れ出して止まらぬことだろう。特殊な事情を起点としながらも、多くの人の共感を呼べる一冊に仕上がっている。