入試の季節が巡ってくるたびに高校時代を思い出す。もう少し努力していれば違う未来があり得たかもしれないあの時代。
もしタイムマシンであの頃に戻れたら、今より30キロ以上もスリムな自分に、成毛眞の『AI時代の人生戦略』でも渡して、「未来の合言葉はSTEAMだぜっ!」と全力でアドバイスを送ってやるのに……。女の子のことばかり考えているうちに(「つきあっているうちに」ではないところがいかにも10代男子)瞬く間に貴重な青春時代は過ぎ去り、気がつけばこんな大人になってしまった。ハァ……。
なぜ勉強に身が入らなかったかといえば答えは簡単、つまらなかったからだ。特に苦手だったのが国語である。読書量と国語の成績は決して比例しない。清水義範の『国語入試問題必勝法』というパスティーシュ小説があるが、国語が苦手だった理由は、その冒頭に出てくるこんな問題文を見ればわかってもらえるはずだ。
●次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。
積極的な停滞というものがあるなら、消極的な破壊というものもあるだろうと人は言うかもしれない。なるほどそれはアイロニーである。濃密な気配にかかわる信念の自浄というものが、時として透明な悪意を持つことがあるということは万人の知るところであろう。
どうだろうか。頭がくらくらしませんか? こんな文章を読まされたうえに問いに答えろと言われても土台無理な話だ。何が書いてあるのかさっぱり理解できないからである。
ちなみにこの小説の中で清水は、「長短除外の法則」(いくつかの選択肢のうち文章の一番長いものと短いものは自動的に捨てよ)や「正論除外の法則」(いかにも立派なことが書いてあるほうを捨てよ)といった極意を挙げている。もちろん虚構なのだが、高校時代はマジでこれらの法則に頼っていた。
このように小説でからかいたくなるのも無理はないくらいに、国語の入試問題というのはわけがわからない問題が揃っている。
戦後教育がはじまった年から2016年の春までに、わが国の最高学府の2トップをなす東大と京大で出題された国語の入試問題を読んでみたというのが、『東大vs京大 入試文芸頂上決戦』永江朗(原書房)である。
本書を読むと、国語入試問題はやっぱり昔もわけがわからなかったことがわかる。
たとえば戦後教育のスタート地点である1947年(昭和22年)の東大入試をみてみよう。この年の国語問題は3問からなり、その第1問はこんな感じだ。
日本文學史上に於ける價値高き作品もしくは作家を十えらびその理由を簡單に述べよ
おい!日本文学史上のベスト10だなんて、いくらなんでも大雑把過ぎるだろう!
永江はこれを「中年編集者の酒場のおしゃべり」と評しているが、いるいるたしかに。酔ってそういう正解のない議論に熱くなっているオヤジが(ハッ!もしやHONZの飲み会もそうだったりして!? 戦後ノンフィクションのベスト10を各自挙げていくとか?それで熱くなって掴み合いになるとか?)。
時代は飛んで、1966年(昭和41年)の京大の問題もなかなかだ。この時は、土井晩翠の詩『荒城の月』が出題されたのだが、設問がすごい。
この歌すべてを通じて流れる『思想』を、四字の漢字で示せ
知っている人は、物悲しい滝廉太郎のメロディとともにぜひ脳内再生してください。18歳の前途洋々たる若者に対していかに無茶振りしているかがわかるはずだ。「栄枯盛衰」「諸行無常」「栄華零落」「一盛一衰」「会者定離」……思いつくままに解答してみたが、出題者にぜひ聞いてみたい。なにか悩みでも抱えているのか?
面白いのは、そういうわけのわからない問題もある一方で、世相を反映した入試問題も数多いという事実である。
たとえば、1960年(昭和35年)の京大入試問題。この年の出題は5問。その第1問目は、交通事故が増えていることについて書かれた小学生の作文を並べ替えるという問題である。
1955年に通産省が「国民車構想」を発表して以来、わが国ではモータリゼーションが加速する。それとともに交通事故も社会問題となっていく。みどりのおばさんが初めて東京に現れたのが59年。シートベルトの設置義務は69年を待たなければならない。この入試問題はそんな高度経済成長まっただ中の時代の空気を反映している。
時代がバブルにまさに向かわんとする1986年(昭和61年)はどうだろう。この年の東大の文理共通の問題は、精神医学者・木村敏の『異常の構造』から出題された。1973年に講談社現代新書から出版された本だが、「異常」「例外的」「不安」といった単語が頻出する文章をバブル前夜に出題するというのはなんだか予言めいている。
一方、京大はといえば、柳田國男の『昔話覚書』(1943年)からの出題である。一見、時代と関係ないように思えるが、出題文は現代の価値観と江戸時代のそれとは違っているということを述べた内容で、なかでも笑いのルーツがあざけりにあるという説が述べられた箇所だった。
80年代はじめの漫才ブーム以降、笑いがどう大きく変わったかを考えると、実はこの京大の問題も時代の空気を見事にとらえているように思えるのだ。
この他にも「全共闘と入試」「冷戦の終わりと入試問題」「バブル経済の崩壊を入試問題はどう受け止めたか」「1995年のあとで」「東日本大震災と国語入試問題」といった興味深い項目が並んでいる。入試問題と世相との関係はぜひ本書で確かめてもらいたい。
それにしても国語入試問題を通してここまで時代の流れが見えるとは思わなかった。だが、国語というものが国民国家の成立に深く関わっていることを考えれば、むしろ当然なのかもしれない。
大学入試はいま変革の波に見舞われている。グローバル化への対応を迫られているからだ。後世の人々がみたとき、さて今年の入試問題には、どんな時代が刻印されているだろう。