記憶がえてして頼りないものであることは、いまではよく知られている。その象徴的かつ重大な例としてすぐに思い浮かぶのは、記憶違いにもとづく冤罪事件だろう。国際的な非営利団体の報告によると、2015年にDNA鑑定によって受刑者の無実が証明された事件は325件あった。そしてそのうち、じつに235件もの事件で目撃者の誤認が関わっていたというのである。
記憶違いの問題はけっして他人事ではない。妻と行った初デートの場所を間違って記憶していたこと、あるいは、他人のやった仕事を自分がやったかのように勘違いしていたこと、そのような経験に誰しも思い当たるふしがあるのではないだろうか。しかしそれならば、わたしたちの記憶はどうしてそのように頼りないのか。また、記憶がときとして大きく歪められてしまうのは、いったいどうしてなのだろうか。
本書は、そのような問題にイギリスの若手研究者が迫ったものである。著者のジュリア・ショウは、「過誤記憶(false memory)」を専門とする心理学者である。サービス精神を垣間見せながら、彼女は自身についてこう語る。
私は記憶ハッカー。私は起こっていないことを起こったと人に信じ込ませる。
といっても、先に断っておくと、過誤記憶を作り出すうえで彼女はなにか新奇な手段に訴えているわけではない。たとえば彼女は実験で、「かつて罪を犯して警察官から取り調べを受けた」という偽の記憶を被験者に植えつけている。しかし、そこで彼女が用いている手段といえば、偽の出来事を視覚的にイメージさせ、それを繰り返させる、といったことだけである。そのように、記憶はそれほど移ろいやすく、いともたやすく間違いが混入してしまうのである。
では、記憶はどうしてそれほど変わりやすいのだろう。それは、記憶を支える神経的基盤(具体的にはシナプスを介したニューロンどうしの結びつき)が可塑的で、けっして固定的なものではないからである。だがそもそも、その神経的基盤が可塑的だからこそ、記憶の内容どうしに新たな結びつきが生まれる。その神経的基盤が可塑的だからこそ、わたしたちはそこに新たな記憶を蓄えることができる。というように、記憶の脆弱性はいわば脳の創造的な能力の代償なのである。著者の言葉を用いれば、「過誤記憶は、強力な結びつきを形成できることのマイナス面」なのだ。
という議論を下敷きにしながら、記憶とその変わりやすさについて著者は縦横に論じている。乳児期の記憶を主張する人の話から始まり、驚異的な自伝的記憶を持つ「ハイパーサイメシア」の話、そして、言語化するとかえって記憶の質が低下するという逆説など、そのトピックはあちらへこちらへと広がっていく。2010年代の研究もよくフォローされていて、本書のトピックの充実ぶりにはたしかに目を見張るものがあるだろう。
そのなかでも個人的に思わずニンマリしてしまったのは、フロイトの流れを汲む精神分析に対する著者の厳しい態度である。人は「抑圧された」記憶を持っていて、なおかつ、その抑圧は「退行療法」によって解くことができる、というのが、ここで問題とされている精神分析のアプローチである。しかし著者に言わせれば、抑圧された記憶の存在が実証されたためしはないし、そして何より、退行療法(抑圧の対象になっていると仮定されるトラウマ的出来事を繰り返しイメージさせること)を施せば患者の記憶はほぼ確実に歪められてしまう。その点において、上記のような精神分析のアプローチは、著者自身が行っている過誤記憶の植えつけと、あるいは冤罪を生む悪質な取り調べと、なんら変わるものではない。エリザベス・ロフタスの影響を受けているせいか、このあたりの著者の記述は論争的な性格も持っており、読んでいてついつい引き込まれてしまう。
「脳はなぜ都合よく記憶するのか」というミスリーディングな邦題がつけられている本書であるが、その中身は意外なほど手堅い心理学書である。上で述べたように、新しい文献もよく渉猟されているし、わからないことはわからないと率直に認める著者の姿勢も潔い。あえてないものねだりをひとつすれば、著者自身の研究と実験についてもっと詳しく書いてあったなら、本書はさらにおもしろい読み物になったと思うのだけど。
いずれにしても、邦題や宣伝文句から喚起されるイメージをいい意味で裏切ってくれる本だと思う。記憶にまつわる興味深いトピックを知りたいと思ったなら、おそらく本書がよい導き手となってくれるだろう。
神経科学における記憶研究の大家であるエリック・カンデルが書いた教科書。仲野徹によるレビューはこちら。
記憶や知覚の不正確さを、その表象の移ろいやすさと柔軟性から論じている認知科学の教科書的読み物。「ビジネス書グランプリ2017」のリベラルアーツ部門でノミネートされている。
今回の本でも触れられているように、過誤記憶は知覚のエラーとも関係している。知覚のエラーについて楽しく読める本といえばこれだろう。成毛眞による解説はこちら。