著者のマリー・カーペンターは米国でも環境や食の安全に対して住民意識が高い先進地域に在住するジャーナリストで、ダムを取り壊した川にサケが還ってきた事例など、環境問題に関する報道も多く手掛けている。
本書ではまず、もともとは呪術者や王侯貴族専用の「魔法の薬物」だったチョコレートやコーヒー、お茶など、カフェインの入った飲食物が一般大衆にも嗜好品として普及するようになった歴史的過程をたどる。古代には神官や呪術者など、一部の限られた人たちが伝承された専門知識や経験に基づいてカフェインを使いこなしていたと思われるが、現代では一般の人たちも手軽に利用できるようになり、カフェインにまつわるさまざまな問題が生じている。著者はそうした悲喜劇を数多くの事例を交えて取り上げている。現代社会でカフェイン問題が生じている根本的な原因は、誰もが魔法の粉を簡単に手に入れることができるようになったにもかかわらず、私たち一般大衆がその適切な使い方をいまだに身につけていないことだと言えるだろう。
コーヒーに代表されるカフェイン飲料は人体に必須なものではないのに、世界中で多くの人たちが買い求める人気のある嗜好品だ。著者はその人気の源をカフェインの刺激だと考えている。春秋時代の中国で「衣食足りて、礼節を知る」(管氏)と言われたが、人間というものは、衣食住が足りて物質的に満たされた後には、さらに精神的満足を求めていくようだ。そして、コーヒーのようなカフェイン飲料はその精神的満足を与えてくれる嗜好品の代表と言えよう。「良いコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い」と、フランスの政治家タレーランが言ったそうだが、背徳の欲求のように思える。カフェインに限らず、かくも欲というものは限りなく拡大していくものらしい。人間は自分たちの欲を今後どのように制御していくのだろうか? 本書はカフェインを切り口にした文明論とも言えるかもしれない。
カフェインの使用について、カナダやオーストラリアといった消費者保護の先進国は注意を喚起し、その規制に着手したことが本書に挙げられている。日本では、カフェインはどのように扱われているのだろうか?
カフェインは厚生労働省により食品添加物として使用することが認められており、既存添加物名簿に収載されている。「既存添加物」とは、「我が国において既に使用され、長い食経験があるものについて、例外的に指定を受けることなく使用・販売などが認められたもの」(平成7年)のことだ。既存添加物名簿の収載品目リストによると、「カフェイン(抽出物)」とは「コーヒーの種子又はチャの葉から得られた、カフェインを主成分とするもの」とされている(「既存添加物名簿」平成8年4月16日 厚生省告示第120号)。ここでいうコーヒーの種子とはアカネ科コーヒーノキの種子のことで、チャの葉とはツバキ科チャノキの葉を指している。またカフェインは苦味料に分類されている。本書の中で、日本で認可されている食品添加物はコーヒー豆か茶葉から得られたカフェインを主成分とするものなので、合成カフェインが嫌な人は日本のカフェイン飲料を買うとよいという旨が述べられているのは、この件を指していると思われる。
厚生労働省は「食品添加物の安全性を確保するために、食品安全委員会の意見を聴き、その食品添加物が人の健康を損なうおそれのない場合に限って使用を認めて」おり、新たな食品添加物が販売される前に、それが「人の健康に悪影響を生じないかどうかを確認するとともに、必要に応じて規格や基準を策定し、安全性を確保して」いるという(厚生労働省「食品の安全確保に向けた取組」平成25年3月)。
しかし、日本では、カフェインは長い食経験があることで、例外的に指定を受けることなく使用・販売などが認められている既存添加物の扱いなので、新たな確認を受けなくても利用できることになる。そうなると、2000年代以後に登場した新規な製品に含まれるカフェインが天然原料から抽出されたものに限られているのか、実際の状態が調べられているのかどうかはわからない。この点は、今後、消費者運動などを通じて明らかにしていく必要がある分野かもしれない。
本書で示されたように、カフェインはさまざまな問題をはらむ物質なので、消費者が賢い使用法を身につけて付き合っていくことを著者は訴えている。さらに、人によって、またそのときの健康状態によってもカフェインの効き方が異なることから、一度に摂れる分量も大きな課題となると思われる。日本でも、カフェインを含む栄養ドリンク剤が長年販売されてきたが、容器も小ぶりで、特に成人男性向けの販売戦略をとっており、重大な健康問題が起きたという話は聞かない。
こうしたことを考え合わせると、カフェインの賢い利用法とはせんじ詰めれば、消費者は自分の体質や健康状態に見合った摂取量を知って利用することと、製造・販売者は米国で売られているような大容量の製品の製造・販売を控えることと言えるかもしれない。
薬物を摂ることが習慣になり、それをやめられない状態を一般的には「~中毒」と言うことが多い。しかし、医学の分野ではこうした状態は、「dependence(依存)」、「addiction(依存症)」、「poisoning(中毒)」のように区別して使用されている。このうち、「依存」は主に身体的に依存している状態、「依存症」とは心身ともにその物質なしでは過ごせない状態、また「中毒」とは過剰摂取などによって生じる急性の心身的症状を指すようだ。専門家が述べた内容の訳語としては、上記の区別をするように心掛けた。しかし、著者は「意図的にaddiction という用語を使う」と断っているので、広義の意味で使われている場合には、「~中毒」という一般的な用語を使用したときもある。
原書では、重量や容量は米国で使用される単位(ポンドやオンス)で記述されているが、本書ではイギリス版を参考にして、国際単位系(g、㎖など)に換算して表示した。そこで、換算した値に多少の誤差が生じている。また、註に示されている計算式に基づいて算出した合計の値が繰り上げの仕方の相違から、表示されたポンドの換算値とズレが生じている場合もある。そのため、本書で示されている合計値や換算値は近似値として捉えて、詳細を知りたい方は註にある原著にあたっていただきたい。