大病というのは人生の意味を明確にするはずだったが、私にわかったのは自分が死ぬということだけだった。でも、そのことは以前から知っていたのだ。
誰もがうらやむような経歴を持つ若き脳神経外科医が、不治の肺がんとの診断をうけた。それまでに学んできた哲学と医学を最大限に活かし、自らの人生と病いを深く洞察し、奇跡など決して信じることなく、行く末にある死を冷徹に見つめ、生き抜いた。闘ったという言葉はあてはまらない。恐れず、あきらめず、愛と共に生き、未来への希望を残した。とてつもなく優秀で素晴らしい男の記録である。
ポール・カラニシ、36歳。循環器内科の開業医を父に持ち、アリゾナ州にある教育レベルの低い砂漠の町に育つが、きわめて優秀でスタンフォード大学へと進み、英文学とヒト生物学の学位を取得する。さらに、まだ学び終えていないと感じ、英文学の修士号を取得する。
ある日、啓示のごとく「本を脇に置き、医業を営め」という声を聞く。すぐさま決断、医学進学課程のプログラムを履修し、メディカルスクールに出願する。入学審査を待つ一年の間にケンブリッジ大学へ赴き、科学史・科学哲学史の修士号を取得して帰国。そして、東海岸の名門イェール大学のメディカルスクールに進む。
イェールでの同級生であるルーシーと結婚し、「生きるか死ぬかといった単純な点ではなく、生きる価値があるのはどんな人生か」を左右する脳外科に興味を持ち、その専門医となるべく西海岸のスタンフォード大学に移る。インターン、レジデントとしてトレーニングを積みながら、基礎医学の研究もおこない、いくつもの論文を発表し、アメリカ脳神経医学会の最高賞を受賞する。そのすぐれた業績と才能から、スタンフォード大学の教授職をはじめいくつもの大学からポジションのオファーをうける。
私の人生の第一章はすでに終わったように思えた。ひょっとしたら、本全体が終わろうとしているのかもしれなかった。
誰もがうらやむような経歴のポールであったが、その半年ほど前からの体重減少があった。激烈な腰痛でうけた検査の結果は、肺全体に広がるがんと、転移による脊椎の変形、そして肝臓への転移であった。ここまでが、本の前半。まるでドラマのようだ。しかし、真のドラマが始まるのはここからだ。
ルーシーが「愛している」と言った。
「死にたくない」と私は言った。
主治医になったエマは素晴らしい腫瘍内科医だ。ポールと病気について話す時、普通の医師がするような、統計的な生存曲線から考えるとあとどれくらい生きられそうです、といったような話は絶対にしない。そのかわり、ポールにとっていちばん大事なことをたずね、それに基づいた治療法を決定する。そしてその結論は、脳外科医としての仕事、手術を続けていくことだった。
ポールの肺がんにはEGFR(上皮細胞増殖因子受容体)の変異が認められ、その分子標的薬タルセバによる治療は著効を示す。一時は脳外科の手術に再び携わることをあきらめかけていたポールだった。しかし、エマの励ましを受け復帰をめざし、体力をつけるため、理学療法に励む。そして、その大変さに衝撃をうける。
医師として、病気になるのがどんな感じなのかなんとなくわかっていても、実際に経験するまではほんとうには理解していない。
手術に復帰したが、長くは続かなかった。7ヶ月後、タルセバに対する耐性が生じて腫瘍が増大していることがわかったのだ。おそらくは最後になるであろうとの覚悟を持って手術をおこなった日、7年間の研修医生活の間にたまった私物をまとめて帰路につく。
私は運転席に坐り、鍵をまわした。涙があふれてきた。ゆっくりと道路に出た。家に着き、玄関からなかにはいり、白衣をかけて、IDバッジを外した。ポケベルから電池を抜いた、手術着を脱いで、長い時間をかけてシャワーを浴びた。
こうして、ポールの医師としての生活が終わった。そして、あらたに化学療法剤による治療が始められた。しかし、残念ながら、大きな効果はなかった。それどころか、一時は副作用のために生死の間をさまよった。その退院から二日後、ルーシーに陣痛がはじまり、女の子ケイディが生まれた。はじめての子どもである。ルーシーと熟考を重ね、治療中に人工授精で子どもをつくっていたのだ。
ありえない奇跡を除いては過去しか持たない私の人生とつかのまの時を重ね合わせた、未来しかないこの子に言うべきことが、ひとつだけあるかもしれない。
それはシンプルなメッセージだ。
そして、幼くて何もわかっていないケイディが、どれだけ「死にゆく男の日々」に大きな喜びを与えてくれたかを伝えるための、愛と感謝にあふれたメッセージがしたためられる。ここでポールの手記は終わり、ルーシーのエピローグへと引き継がれる。
ケイディと幸せな時をすごすことができたが、8ヶ月後には病状が悪化して緊急入院する。補助呼吸装置のマスクごしに「ケイディ」という言葉を発する危篤状態のポール。ケイディが家から連れてこられ、ポールの右腕にだかれた。そして、静かだけれど揺るぎない声でポールはルーシーに言う、「用意ができたよ」と。呼吸器を外してくれ、モルヒネを開始してくれ、すなわち、死んで行く用意ができたという意味だ。そして、静かに息をひきとった。
死から目をそらさないというポールの決意は、死という問題を回避する文化のなかで生きるわたしたちがいくら賞賛しても足りないほどの精神力をよく表している。彼の強さの本質は野心と努力だけれど、そこには辛辣さとは正反対の優しさも含まれている。彼は人生の多くの時間を、どうしたら意味のある人生を送れるかという問題と格闘しながら過ごしたが、本書はまさにその本質的な領域を探っている。
この本の真髄は、ルーシーのこの言葉に言い尽くされている。
ポールの経歴から想像がつくように、手記の内容は思索的であり、医学的な内容も多く含まれている。医師の田中文-あの名著『がん-4000年の歴史(「病の皇帝」から改題)』の翻訳者だ-のおかげで、英文学を専攻したポールの原文の美しさが損なわることなく正確に、そしてわかりやすく訳されている。日本の読書界からいうとまったく信じられない数字であるが、この本は全米で100万部も売れた。トランプが大統領に選ばれたりで訳のわからないところもあるけれど、こんな数字を見るとアメリカ国民はあなどれないとつくづく思う。我が国においても、できるだけたくさんの人がこの本を手に取り、その勇気ある希望に満ちた生きざまから死について考えてもらえたらと思っている。
ポール、ルーシー、ケイディの映像はこちら
訳者である田中文のあとがきはこちら
ハーバード大学教授の外科医ガワンデが、高齢者医療と末期癌に切り込んだ。これも全米75万部のベストセラー。ほんまですか?と言いたくなる売れ行きだ。レビューはこちら。
脳外科医のお仕事を詳しく知りたい人はこの本を。英国の素晴らしい脳外科医、マーシュ先生のご本。レビューはこちら。
脳外科つながりでこの本も。ロボトミー手術の歴史です。ずいぶん前ですがレビューしました。