麻木久仁子さんがHONZでグラフィック社の『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴著)の書評を書き、自身でもfacebook に「本日の一汁一菜」の写真をアップしているのを見て、これ美味しそうだな・・・HONZでこういうのもありなんだな・・・と思っていたら、ちょうどダイヤモンド社から『まいにち小鍋』(小田真規子著)が出版された。
ダイヤモンド社が料理本を出すんだ⁈・・・と驚いていたら、恐らくプロモーションなのだろうが、ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー(DHBR)の岩佐編集長が毎日毎日このレシピで作った小鍋をfacebookにアップしているので、さすがに料理好きの自分としては我慢しきれなくなって、思わず買ってしまった。
岩佐編集長の作った「豚肉とねぎのさっぱり肉吸い鍋」や「オイルサーヂィンのレモン鍋」などは妙に美味そうだったが、本当に自分で作っているのか、実は著者の小田真規子さんに作ってもらっているのではないかと疑っている。これもfacebookをうまく使った、新手のマーケティングなのではなかろうか?
それはさておき、「小鍋」という言葉には、何だかワクワクする響きがある。言葉としては単に「鍋」で済むところを、わざわざ「小鍋」と言い換えることで、何か全く違った世界が開けていく感じがする。
「鍋」だと普通に「食べる」という感じだが、「小鍋」だと「つつく」という表現がしっくりくる。そして、小鍋をつつくのであれば、やはり熱燗をちびりちびりと飲りながら、それもコタツで・・・という連想になる。小鍋を一緒につつく相手は、同性であっても異性であっても構わないが、同じ小鍋をつつきながら、相手との距離感が一気に縮む感じが良い。宴会で大声で喋りながらというのではなく、小声でポツリポツリと話す・・・そんな感じである。
そこに広がるのは、池波正太郎の時代小説の世界観である。池波正太郎と言えば、『鬼平犯科帳』『仕掛人 藤枝梅安』など多くの代表作があるが、自分としてはとりわけ『剣客商売』の大ファンである。「不二楼」「元長」「鬼熊」といった、主人公の秋山小兵衛の馴染みの料亭や小料理屋で供される料理の中に、鴨鍋、どじょう鍋、大根鍋、まる鍋、湯豆腐など、数々の小鍋が登場する。
特に小兵衛が大好物なのは「鴨ネギ鍋」である。小説中には何度も登場するが、例えば『剣客商売十 春の嵐』の描写は次の通りである。天明元年(1781年)の大晦日、鐘ケ淵の秋山小兵衛宅に遊びに来た息子の大治郎と妻の三冬(田沼意次の娘)に、小兵衛が軍鶏をご馳走する場面である。
つぎは軍鶏である。これは、おはるが自慢の出汁を鍋に張り、ふつふつと煮えたぎったところへ、軍鶏と葱を人れては食べ、食べては入れる。
醤油も味噌も使わぬのだが、
「ああ・・・」
三冬が、何とも言えぬ声を発して、
「私、このようにめずらしきものを、はじめて口にいたしました」
「うまいかな?」
と、小兵衛。
「何とも、たまらずにおいしゅうございます」
なるほど、田沼意次邸では、このようなものを口にすることはできなかったろう。
すっかり食べ終えると、鍋に残った出汁を濾し、湯を加えてうすめたものを、細切りの大根を炊きこんだ飯にかけまわして食べるのである。
「うまいな。久しぶりじゃ」
「この出汁は、どのようにして?」
「はあい、三冬さま。今度、教えてあげますよう」
『鬼平犯科帳』にも軍鶏鍋屋の「五鉄」が出てくるが、このモデルとなったのは、宝暦十年(1760年)創業の日本橋人形町「玉ひで」、或いは文久二年(1862年)創業の両国「かど家」であると言われている。両店とも長い歴史を乗り越えて、今でも繁盛している人気店である。
他にも、『剣客商売』には、小兵衛が浅草寺門前の並木町にある「山城屋」でどじょう鍋を食べる場面があるが、この時は思わずつられて、合羽橋の「飯田屋」に行ってしまったことがある。
このように、食通でも有名だった池波正太郎の小説には、料理の場面が数多く出てきて、それ自体がひとつの世界を築いている。関連の料理本は沢山出版されているが、特に『剣客商売 包丁ごよみ』には、小兵衛が舌鼓を打った四季折々の江戸の料理の数々が出てくるので、料理好きにはお勧めの一冊である。
話を『まいにち小鍋』に戻すと、色々な鍋料理を作るために必要な小鍋のバリエーションも紹介されている。ひとつは基本の土鍋(鍋の種類に応じて白色と黒色の2種類)、それから何にでも使える万能のホーロー鍋、そしてアヒージョ、オイル鍋、すき焼きなどに使えるフライパンとスキレットである。ホーロー鍋がひとつあれば、基本的にはどんな鍋でも作れるが、鍋と料理の組み合わせで味も変わってくるので、できればこの3種類は用意しておきたい。
自分で小鍋をやってみて気付いたのは、普通の鍋だと具材の種類が多ければ多いほど味に複雑性が増して美味しくなるのだが、小鍋の場合は逆だということ。湯豆腐に代表されるように、食材を少しだけ入れて温めて食べるという感じで、むしろ大鍋のような複雑な味わいを楽しむのではなく、食材の味ひとつひとつを吟味しながら少しずつ頂くという感じである。
本書が出版された経緯を読むと、核家族化が進行し、お一人さまも増える中で、一家四人で鍋を食べるというよりは、一人か二人で鍋をつつくのがスタンダードになった時代背景があるそうだ。
そう聞くと少々寂しい感じもするが、コンビニ弁当を電子レンジで温めるのと違って、一人で食べても心が温まるのが小鍋の良いところなのである。