「見通しが甘かった……」。仕事でもプライベートでも、そう言ってほぞをかんだ経験のない人はおそらくいないだろう。もっと先を読む力があれば、他の人より早く正確に将来を見通す力があれば、人生の想定外が減り、成功や幸せをたぐりよせることができるのではないか。みなさんが本書を手に取られたのは、そんな期待からかもしれない。その一方で疑念も抱いておられるのではないか。将来を予測する力というのは、特別な水晶玉を持って生まれた幸運な人だけに備わった才能ではないか、 と。本書はその期待と疑念の双方に、明確な答えを提示する。
本書『超予測力』(原題はSuperforecasting)の土台となっているのは、「ソ連で赤軍がパレードをしていたロナルド・レーガン政権時代」から一貫して予測力を研究してきたペンシルバニア大学教授、フィリップ・テトロックの研究成果である。テトロックの率いる研究チーム「優れた判断力プロジェクト(GJP)」は、2011年から15年までアメリカ国家情報長官直属の組織であるIARPAが主催した予測トーナメントに出場、圧倒的な成績を収めた。予測する内容が「金相場は暴落するか」「朝鮮半島で戦争が勃発するか」といった複雑で重大な世界的問題であったにもかかわらず、GJPの予測の正確性は他大学の研究チームはもちろん、CIA(中央情報局)などの諜報機関で働くプロの情報分析官のそれさえも上回った。原動力となったのが、テトロックが「超予測者」と名づけた一群のボランティアだ。
超予測者はどのような人々か、彼らはどのように予測を立てるのか、徹底的に分析した結果、テトロックがたどり着いた結論はこうだ。「予測力は生まれつき備わった神秘的な才能などではない。特定のモノの考え方、情報の集め方、自らの考えを更新していく方法の産物である。知的で思慮深く意志の強い人なら、だれでもこの思考法を身に着け、伸ばしていくことができる」。超予測者の流儀をつまびらかにするのが本書であり、2015年のアメリカでの刊行後、「意思決定の領域における、 ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー──あなたの意思はどのように決まるか?』以来の秀作」(ウォール・ストリート・ジャーナル紙)などと各メディアで絶賛されている理由はここにある。
超予測者はどこが特別なのか
GJPにボランティアとして協力した数千人の一般人のうち、上位2%の成績を収め、「超予測者」の称号を得た人々の顔ぶれはさまざまだ。職業は技術者、法律家、芸術家、科学者など多岐にわたり、ウォール街のエリートや大学教授もいれば学生や退職者もいる。傑出した予測力の持ち主というと、おそろしく頭が良いのだろうと思われがちだが、数千人のボランティアの平均と比べて超予測者の知能や知識は格別高いわけではなく、いわゆる天才(IQ135以上など)の領域にははるかに及ばない。つまり地頭の良さは超予測力の必要条件でも十分条件でもない。またテトロックは「数学は苦手という超予測者にはまだお目にかかったことがな」いとは言うものの、彼らは予測をするうえで複雑な数式を駆使するわけではない。
では彼らのどこが特別なのか。テトロックによると「優れた予測を立てるのに確立された方法はないが、超予測者はだいたい同じ手順を踏む」という。まず質問を分解し、知りえる情報と知りえない情報に選別する。また、一般人が予測すべき事象そのものに注目する傾向があるのに対し、超予測者は事象と距離を置き、それを同じような現象の一つの事例に過ぎないととらえ、発生確率の「基準値」を導き出そうとする。さらには自分の見解をほかの人々の見解などと比較・統合し、結論にまとめる。その後も新たな事実が判明するのにしたがい、予測はアップデートしていく。
詳しくは本文を参照していただくとして、厳密にやろうとするととても手間のかかるプロセスだ。 だが、それを繰り返すことで超予測者たちの成績は向上しつづけ、トーナメント開始から4年後には 一般のボランティア予測者を60%上回るまでになった。一般の予測者の視力を0.2だとすれば、 超予測者のそれは0.5になる。テトロックはこれを「人生を変えるような変化」と語る。
また超予測者には人生に対する基本姿勢においても、いくつか共通項が見られる。まず知的刺激へ の欲求(認知欲求)が高く、常に異なる視点に対してオープンであろうとする「積極的柔軟性」があ る。また努力をいとわず自らを向上させていこうとする強い意思、いまどきの言葉で言うと「やり抜く力」がある。そして運命論的ではなく「確率論的にモノを考える傾向」がある。事象が起きたとき に、それを「そうなる定めだった」ととらえるのか、「さまざまな展開がありえたなかで、特定の条件が重なった結果、たまたまその事象が起きた」ととらえるのか。テトロックの研究では予測者の運命論的思考の度合いと予測の正確性を比較したところ、両者のあいだに有意な相関がみられた。正確に将来を予測するには、さまざまな選択肢を比較検討する確率論的思考が欠かせない。
このような超予測者のモノの考え方の特色は、巻末の付録「超予測者をめざすための10の心得」にまとめられている。予測トーナメントの参加者にこの心得を読ませたところ、その後一年間の予測 の正確性が10%向上したという。わずかな差に思えるが、蓄積すれば人生に大きな違いが生まれる だろう。
予測の正確性に無頓着であることの社会的弊害
とはいえ本書の真の目的は、単に予測力を高めるノウハウを伝授し、読者の人生を豊かにすることではないようだ。テトロックは予測の正確性への鈍感さが、社会全体におよぼす弊害についても鋭く指摘する。
たとえば2008年の金融危機のあと、政府の積極的な財政支出を支持する「ケインズ派」と、インフレを警戒して緊縮財政を支持する陣営のあいだで激しい対立が起きた。だがそれから何年経っても、結局どちらの言い分が正しかったのか検証されることはない。どちらの陣営も自らの見通しが正しかったと主張して譲らない。テトロックは最大の原因は、世の中で流布する予測の曖昧さにあると見る。「FRB(連邦準備制度理事会)による資産購入はインフレを引き起こすリスクがある」という場合、「インフレ」とはどの程度の物価上昇率を想定し、「リスク」とは何%の発生確率を意味しているのか。曖昧な言葉遣いは予測が外れた場合の隠れ蓑になり、誰もメンツを失わずに済むが、どちらの政策が正しかったのか、社会が教訓を学ぶことはできない。
問題は予測を消費する側にもある。「企業経営者、政府高官から一般人まで、有効性や安全性の確認されていない得体の知れない薬なら絶対に飲まないが、こと予測については行商人が荷台から出してくる不老不死の薬と同じぐらい怪しいものでもさっさと金を払う」とテトロックは指摘する。われわれは自らの予測力を高めると同時に、政治家、評論家、学者など権威とされる人々の予測を無批判に受け入れる前に、「この人物の過去の予測は正確だったのか」と問いかける必要がある。それが空疎な議論を防ぎ、予測と検証のプロセスを通じて社会が賢くなることにつながる。
本書がその一助となることを訳者として祈念している。
2016年9月 土方 奈美