ジビエレストラン「LA CHASSE(ラシャッス)」がどこにあるか直ぐに分かる人はかなりの通である。住所は港区六本木三丁目で、泉ガーデンの首都高環状線を挟んで向い側の、先日オープンしたばかりの六本木グランドタワー(六本木三丁目東地区計画)の直ぐそば、六本木通りから少し入った寄席坂の上の方にある。この都会の喧騒の中にポツリと佇む隠れ家レストランをわざわざ訪れるのは、かなりのジビエ好きである。
「ジビエ」とは野生の鳥獣のことで、転じて、それらの料理を指す言葉としても用いられる。つまり、鴨、山鳩、山鶉、雉子、雷鳥、蝦夷鹿、熊、兎、猪など野生の食材を使った料理が「ジビエ料理」である。高タンパク低カロリーで肉の旨みの詰まったジビエ食材は、日本でもここ最近急速に人気が高まっている。
ワインとの取り合わせをソムリエ試験的に言えば、「羽のジビエはブルゴーニュの高級な赤ワイン、毛のジビエの煮込みは南西地方かローヌ地方の濃厚な赤ワイン」ということになる。つまり、羽の付いている野禽類にはブルゴーニュの高級赤ワイン(ブドウはピノノワール)が相応しく、毛の付いている四つ足の獣の煮込みは濃厚な味わいなので、南西地方やローヌ地方の濃厚な赤ワイン(ブドウはシラー、グルナッシュ、カベルネ、カオール、ムールヴェードル、タナ、コットなど)が合うということである。
ジビエというと、日本にも支店があるパリの三ッ星レストラン「トゥール・ダルジャン」でも使われているフランスのシャラン鴨(カナール・シャランデ)が有名で、これは血を抜かずに窒息させて絞めるので身が赤いのが特徴であり、これを取っ手の部分にシンボルの蠅(或いは蜜蜂)が付いた、フランスのラギオール製のナイフを使って頂くという具合である。
世の中にはこういった上品なジビエ料理もあるが、この『ジビエ教本:野生鳥獣の狩猟から精肉加工までの解説と調理技法』の著者である依田誠志シェフの特別な所は、自分で獲ったジビエを「ラシャッス」で提供していることである。自分で撃って自分で捌くというのを信条にしているので、メニューに牛や鶏は一切ない。
オーナーシェフである依田氏は、散弾銃だけでなくライフルも所持しているベテランハンターで、シーズンとなれば、趣味と実益を兼ねて、ほぼ毎週末狩猟に出かけるそうだ。しかし、サーブする肉が全て自分で獲ったものなどという店が、東京で他にあるのだろうか。
10年ほど前に葉山から西麻布に移転してきた「またぎ」も、その名の通り、昔猟師だった大島衛氏がやっている、知る人ぞ知る有名店で、ご主人はかつて漁師もやっていたことがあるそうだが、今はさすがに肉や魚を自分で獲っている訳ではない。
「ラシャッス」にコースメニューはなくアラカルトのみ。夏や秋には新鮮なキノコを採取してきて、ジビエ料理に合わせてくれる。富士山麓では、シメジ、ハナビラタケ、ヤマブシタケなど沢山の種類の高級キノコに加えて、フランス料理に欠かせないジロール茸も採れるらしい。
本書と同時期に、天現寺のフレンチ「アラジン」の川﨑誠也シェフなどによる共著『ジビエ・バイブル』(9月1日発売)も出版されているが、こちらはレストランでよく使われる野生鳥獣を中心に、それぞれの肉の特徴と豊富なレシピが紹介されている、いわゆる料理本である。川﨑氏は、かつて『料理の鉄人』で坂井シェフを破った程の腕前で、以前、ここで頂いたジビエ三種盛り合わせ(確か鴨と兎と鹿だったように記憶している)は超絶品だった。
実は当初この『ジビエ・バイブル』の書評を書こうかと思ったのだが、やはり自分で獲って自分で捌くという依田シェフの『ジビエ教本:野生鳥獣の狩猟から精肉加工までの解説と調理技法』の方が、本としては遥かにインパクトが強く、結局、こちらを選んだ次第である。
依田シェフの一年は、10月1日の北海道の解禁を皮切りにスタートし、ほぼ毎週末、猟場に出かける。ジビエ料理の季節と猟期が同じだから、大変な忙しさだそうだ。
北海道で鴨、蝦夷雷鳥、蝦夷鹿などを撃った後、11月15日の本州の解禁を待って猟場を本州へ移す。茨城や千葉などの里山で、雉やその他の野鳥を狙い、鴨が完全に冬毛に変わり、猪に脂が乗り始める頃、佐賀へと向かう。年明けからは暖かい千葉や静岡を中心に、野鳥や兎などを撃つ。そして、猟期の終わりにはミカンをたっぷり食べて丸々太ったヒヨドリを仕留め、シーズンを終える。こんな具合に一年が回っているそうだ。
本書は料理の教本なのだが、写真集としても十分楽しめる。鴨だけで8種類もあり、それぞれの個体と料理のきれいな写真が載っている。写真を見せられなくて残念だが、「茨城県で仕留めたカルガモの丸ごと1羽ローストサルミソース」などを見ていると、無性にジビエ料理が食べたくなって、おもわずお店に電話してしまった。
先日、養殖鰻をスクール水着を着た少女に見立てた某市のふるさと納税のテレビCMが大炎上していたが、依田シェフにはそうした緩いところが一切ない。
「本来はどんな材料でもすべて、命をいただいているわけで、そのことには深く感謝しなければならないのだが、わが手で仕留めた獲物であれば、尊い命そのものを食しているということを、いやでも意識せざるをえない。だからこそ、1頭1羽の命を余すところなく料理に使い、食べなくては、その命に報いることができないと思うのだ。・・・自然の環境そのものを味わうことがジビエをいただく醍醐味であり楽しみなのである。同時に、ハンターとして、料理人として、豊かな自然を残すために、今、できることをしなければいけないと痛切に感じている。」という依田シェフのジビエ料理は、背筋をきちんと伸ばして頂かなければならないと思うのである。