ハコフグ帽子と白衣のいでたちに、甲高い声と大きなジェスチャーで魚の素晴らしさを伝え続けるさかなクンの自叙伝だ。絶滅したと思われていたクニマス発見の偉業は天皇陛下にも言及され、東京海洋大学の客員准教授を務めるまでになったさかなクンの人生が、さかなクンの手によるかわいい魚のイラストとともに語られる。本文の漢字にはルビがついており、小さな子供でも楽しみながら読み通すことができる。もちろん、大人も飽きさせない。本書には、本当に何かを好きになることの苦しさ、そして、それ以上の楽しさが凝縮されているのだ。
どんな困難を前にしても、さかなクンは夢中であることをやめない。魚との毎日をとことん楽しむさかなクンの生き方に触れると、この世界が喜びに満ちたものに思えてくる。何かを好きだった熱い気持ち、最後まで全力を尽くせずに投げ出したもの、さかなクンのように生きられなかった自分が省みられて、心が揺さぶられる。ページをめくるたび、色々な感情がかきたてられる。
さかなクンは生まれた瞬間からさかなクンだったわけではない。ハイハイを覚える前にお絵描きにのめり込んだ。この頃はトラック、妖怪と興味の対象をどんどんと変えながらも、夢中になる度合いは当時から人並み外れていたという。小学2年生の時に同級生がたまたま書いたタコの落書きに衝撃を受けて、さかなクンの道へと突き進んでいく。
タコに夢中なさかなクンは、魚屋で実物のタコを観察し、図書館や書店でタコに関する情報に可能な限り触れ続けていた。もちろん、暇をみつけてはタコの絵を描き、水族館に通い詰め、夕食は母親にねだって毎日タコ料理。さかなクンのタコに対する溢れんばかりの愛情は、自然と皆の知るところとなり、周囲の人間関に変化をもたらすこととなる。
あるとき、乱暴者の幼馴染の少年がさかなクンに近づいてきた。「小突かれる!」とさかなクンが身構えたそのとき、幼馴染は祖父がタコ獲り名人であることを伝え、いっしょにタコ獲りに行こうと誘ってきた。この幼馴染は、タコのことを熱く語るさかなクンを見て、ついタコに興味を持ったのだろう。魚のことばかり喋るさかなクンをバカにしていたその他の同級生たちも次第に、「そんなに魚って面白いのかよ!?」と寄ってきたという。さかなクンにはこんな調子で仲間が増えていく。夢中に突き進む姿は、人を強く惹きつける。
魚のとりことなったさかなクンのランドセルは、魚図鑑でいっぱい。教科書など入る余地はない。授業中は魚のお絵かきに忙しいので学校の成績はどん底。教師からさかなクンの授業態度改善を指摘された母親は、こう言い返した。
あの子は魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だからそれでいいんです。
成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんなが一緒だったら先生、ロボットになっちゃいますよ。
魚ばかりを追いかけ、普通のことをどんどん取りこぼしていくさかなクンに、母は不安や焦りを感じなかったのだろうか。その真意は分からない。しかし、さかなクンの夢中を応援し続けた母親がいなければ、さかなクンはさかなクン足りえなかったはずだ。
好奇心で突き進むさかなクンも、小学6年生のときに他者との繋がりを意識し始める。宿題で提出した魚のレポートの出来栄えに教師が目をみはり、新たに学級新聞をつくるよう提案したのだ。この学級新聞(さかなクンの当時のあだ名から『ミーボー新聞』と名付けられた)をみんなが食い入るように読んでいる姿をみてさかなクンは、感動を覚えた。
絵を描くということは、誰かに見てもらうためでも誰かのために描くものでもありませんでした。ただただ絵を描くのが好きで、大好きなものを描きたい。そんな自己満足だけで描いていたのです。ところが、そんな自己満足のかたまりのようなミーボー新聞を、たくさんの人が毎回楽しそうに読んでくれる。そのことに、おどろくとともに、言葉にしつくせないほどのうれしさがこみ上げてきたのでした。
自分の物差しで満足していたはずなのに、いつしかそこには他者が立ち現われ、より大きな喜びがもたらされる。夢中であることは、孤独であることではない。
中学生となったさかなクンは“水槽”学部に入るつもりで、吹奏楽部に入部しトロンボーンにも取り組むことになるが、カブトガニの人工ふ化に成功するなど、魚への思いは弱まることはなかった。人間関係に悩み始める年頃でも、さかなクン最大の武器はやっぱり魚だ。いじめられている友達を気遣っては釣りに誘い出し、ヤンキーにからまれれば釣りに誘い出す。釣りに行って魚と触れ合えばモヤモヤしたものなどどこかに消えてしまう。さかなクンは「自分のお魚への強い思いが、自然とまわりを和やかにさせていたからなのかもしれません」と当時を振り返る。
高校生のときTV番組の魚通選手権に出場し、さかなクンはお茶の間の人気者となるのだが、高校卒業から社会人へとなっていく過程で大きな困難にぶち当たる。学校の勉強をおろそかにしてきたさかなクンは魚を研究したくとも大学進学の学力はなく、魚と関わりながら生きていくための自分だけの道を模索し始める。しかし魚以外に集中できない不器用なさかなクンは、水族館で働いても掃除や機械の点検作業を覚えることができず、寿司屋では寿司がおにぎりになってしまう。魚が大好きだというだけでは、定職に就き、食べていくことは難しい。それでも、さかなクンは魚以外のことは考えられない。夢中で居続けることは、ときに大きな苦しみももたらす。
さかなクンは最後に、夢中になることの素晴らしさを語りかける。
好きなことを追いつづけるのはすばらしいです。ひょっとしたら将来の道にはつながらないかもしれません。途中でスーッと気持ちが冷めてしまうこともあるかもしれないし、まったく別の道を歩むことになるかもしれません。それでいいと思います。夢中になってひとつのことに打ちこんだという経験は、けっしてムダになりません。
どこにもたどり着かない道かもしれない。その道を歩いているのは一人だけかもしれない。それでも、その道を歩くことが最高に楽しいなら、どこかにたどり着くことが目的ではなく、歩くこと自体が目的になるはずだ。
ロバート・サポルスキーは大好きなゴリラになりたくて、でもなれなくて、ヒヒ研究者となった。今ではハーバード大学で教授で教鞭をとっている。これは「ゴリラクン」がアフリカで経験した幸せなヒヒと過ごした記録である。レビューはこちら。
園子温は抑えきれない衝動を表現し続けていたら、学校では怒られ続け、道なき道を進み続けて日本を代表する映画監督となった。これは「映画クン」が非道な人生をつづった一冊だ。レビューはこちら。
Eテレの対談番組『SWITCHインタビュー達人達(たち)』で、さかなクンと対談した歴史クンこと磯田道史の代表作。さかなクン×磯田の対談は最高にスイングしていた。