カッコウ、である。見たことがあるような気もするが、記憶は定かでない。しかし、「♪静かな湖畔の森の陰からもう起きちゃいかが」と鳴くという童謡のおかげで、その名前はよく知られている。なんとなく爽やかだが、そんなイメージとは裏腹に、カッコウは『托卵』という眉をひそめたくなるような方法によって繁殖することで有名な鳥でもある。
托卵というのは「鳥が他種の鳥の巣に産卵して、仮親に卵を抱かせひなを育てさせる習性(ウィキペディア)」のことだ。カッコウは、ヨシキリなど他の種類の鳥の巣に卵を産み、自分では卵を温めたり、孵った雛に餌を与えたりすることのない、勝手な鳥なのだ。最近では、好きな男の子どもを産んで、金持ちの男に育てさせる托卵女子とかいうのもいるらしい。托卵女子も悪魔っぽいが、カッコウの雛もまるで悪魔だ。
カッコウは、宿主の巣、すなわちカッコウの雛を育てさせられる鳥の巣、に卵をまぎれこませる。産み落とされたカッコウの卵は、宿主の卵より早く孵ることが多く、なんと、孵るとすぐに、せっせと宿主の卵を巣の外に放り出す。それだけではない。先に宿主の卵が孵っている場合には、その雛さえも放り出してしまう。
リンク先の写真を見るとわかるように。カッコウの雛は、背中に卵あるいは雛を乗せて、巣から押し出すのである。近縁の鳥類の雛に比較して、カッコウの雛は背中の両羽根の間隔が広くて、こういう行為を容易におこなえるようになっているらしい。恐ろしい話である。そう聞くと、カッコウの雛の姿がいっそう悪魔っぽく見えてくる。
この現象をはじめて記録したのは、ワクチンの父として知られるエドワード・ジェンナーだ。ジェンナーは種痘の前にこの研究を発表し、王立協会会員に選出されている。しかし、この観察記録は、あまりの内容のために、長い間、多くの人に信じてもらえなかったらしい。
自分の卵や子どもを殺された宿主は、あわれ、多大なる労力を使って、まったく血縁のないカッコウに餌を運ぶことになる。踏んだり蹴ったりである。それも、自分の体よりもはるかに大きくなるまで続けさせられるのだ。カッコウの雛が育ってくると、本のカバー写真やこの写真にあるように、餌をやる宿主の鳥の頭がほとんど飲み込まれるかのような大きさにまでなる。
おい、アホとちゃうか。宿主の鳥!気ぃつかんかい、と言いたくなる。が、カッコウは、親鳥が雛鳥に餌を運ぶという、鳥類にごく当たり前に備わっている本能を巧みに利用している。だから、宿主側の親はあらがうにあらがえないのである。
宿主の巣に産み落とされるカッコウの卵は一個だけだ。そこから育った一羽のカッコウの雛はえらく大きくなるが、その鳴き声は、宿主の一腹の雛、すなわち、托卵されなかったら育っていたはずの数羽の雛たちの合唱、鳴き声の総和にそっくりなのである。そのために宿主の親はせっせと餌を運んでしまう。そして、宿主の雛と同じようなオレンジ色の喉によって、カッコウの雛はさらに親鳥の本能を刺激する。宿主を操るカッコウの雛のおこないもやはり悪魔のようだ。
宿主も手をコマネチ、じゃなくて、手をこまねいている訳ではない。当然、自分の卵と色や模様が異なる卵を排斥しようとする。それに対して、カッコウはさらに上手な偽物を作るように進化する。さらに、それに対抗して、宿主は自分の卵であることを示す『署名』のような模様を進化させる。このような、次々と相手のウラをかくような現象は、『進化的軍拡競争』と名付けられている。
もしかすると、現時点では、宿主側の進化が十分でないためにカッコウに上前をはねられているのかもしれない。しかし、卵をめぐる宿主の軍拡競争には限界があることも知られている。あまりに突拍子もない色や模様をつけてしまうと、カッコウによる托卵を防げるかもしれないが、他の捕食者に卵を食べられてしまう危険性があがってしまうのだ。
カッコウの雛とヨシキリの親鳥の大きさの違いからわかるように、カッコウはヨシキリのような宿主よりもずっと大きい鳥だ。しかし、カッコウの卵はその成体に比べるとはるかに小さく、宿主の卵よりもわずかに大きい程度にすぎない。そして、孵卵期間は宿主の卵よりも短く、より早く孵って、宿主の卵を放り出しやすくなっている。ここまでいくとすごすぎるではないか。
宿主はカッコウを見つけると、カッコウの卵が巣に産み落とされていないかを強く警戒し、卵を排斥する傾向が強くなる。それに対抗して、カッコウは、ものすごいスピードで宿主の巣に卵を産み落とす能力を有している。また、カッコウの卵は、宿主の親が排斥のためにつついても壊れないように、同じサイズの他の鳥の卵に比べて壁が厚くなっている。
体が小さいとはいえ、宿主はカッコウの雌を見つけると、自分の巣に産卵させないよう果敢に攻撃する。しかし、これに対して、カッコウは、姿をタカに似せて宿主を怖がらせるように進化している。いやはや、かくもさまざまな方面にわたる仁義なきエンドレスな闘い、まさに壮絶な軍拡競争である。
こういった現象を擬人的にとらえるのはよくないのかもしれないが、どうしてもそのように考えてしまう。鳥と違って考える能力があるとはいうものの、人間とて、本能的な行動にはあらがいにくい。「儲けたい」とかいうような本能的欲望を突くような詐欺が、モグラたたきのごとくわいてくるのはそのためだろう。そして、騙しのテクニックに対して、防衛策がたてられると、さらにその防衛策を逆手にとったような騙しが編み出される。やっぱり似ている。
進化的軍拡競争を考えると、欺される側が完全に防御するのは、不可能とはいわないまでも、相当に困難なのかもしれない。しかし、騙す方がいつまでものさばるかどうかはわからない。ヨーロッパでは、近年、カッコウの数が減ってきているというのだ。温暖化の影響とかも考えられているようだが、本当の原因は不明らしい。おぉそうか、悪は滅びるのか、などと考えるのはよろしくない。カッコウとて、悪意があるのではなく、種の存続という生物すべての定めにしたがっているにすぎないし、生物多様性の一角をしっかり担っているのだから。
この本の著者、ニック・デイビスは、イギリスのウィッケン・フェンという保護区で30年にわたってカッコウの托卵を研究してきた一流の生態学者である。長年にわたり、根気強い観察や、いろいろと工夫に富んだ実験をおこなってきたライフワークとも言えるのがこの本だ。もちろん、他の研究者の成果も詳しく書かれていて、高度な内容だが決して飽きさせない。
訳者あとがきで、デイビスの本を読んだことがあることに気がついた。『行動生態学』という、この分野での定評ある教科書だ。私が読んだのは前の版であるが、昨年、改訂版の翻訳が出版されている。進化的軍拡競争や、それにまさるともおとらぬ面白い概念である『進化的に安定な戦略』などなど、行動生態学のおもしろい事実や概念がていねいに説明されている刺激的で面白い本だ。高価な本であるが、新版を思わず購入してしまった。興味のある人はぜひ、あわせてお読みいただきたい。
この分野で定評のある教科書。高いけれど、絶対的面白さを鉄板で保証!
『進化的に安定な戦略』を提唱した、生物学の巨人ジョン・メイナード=スミスによる生物学のすすめ。最近、ちくま文庫から再版されました。英国生物学の素晴らしさを感じ取れます。