2010年に本書の日本語版が発売された頃、「シェアリングサービス」における現在の状況を、ここまで明確にイメージできた人はどれくらいいたのだろうか? 「Airbnb」「Uber」といった昨今のサービスの躍進とともに、かつて本書で投げかけられたシェアの意義は、より現実的な課題としても捉えられつつある。このような状況から、本書は内容もそのままに再びペーパーバック版として刊行された。新しく書き下ろされた小林 弘人氏の日本語版解説を掲載する。(HONZ編集部)
<メルカリ>というサービスをご存知だろうか? 日本の若い世代を中心に大躍進を遂げている同サービスは、計120億円以上の資金調達に成功。大手オークションサイトが売上に翳りを見せるなか、リユースのサービスにもかかわらず、本書で言うところの「サービス・エンビー(誰かが使っているのが羨ましくて、思わず加入したくなるようなサービス)」なスマホアプリとして若い世代から支持されている。
アメリカではネットを介して労働力を提供するクラウドソーシングの<oDesk>が有名だ。日本でも<クラウドワークス>が株式公開し、ベンチャーキャピタルはこれに続けとばかりに、シェアリングエコノミーを謳うスタートアップ企業を物色中だ。物流では、運送会社の隙間時間を利用し、軽荷物を集荷、配送するサービスが登場した。また、子どもの託児・保育園への送迎などを会員によって行なう子育てのシェアサービス、家事代行の人材マッチングサービスほか、「ライフスタイルのシェア」も枚挙にいとまがない。わが国でもオリジナリティ溢れるシェアサービスが続々誕生し、支持を集めている。
また、民間のみならず、自治体もカーシェアに目を付け、東京都福生市などは公用車のカーシェアリングを実施。東京都では一部鉄道会社と連携し、自転車のライドシェアも始めた。その流れは大都市に限らず、日本中で活発化している。
教育に目を向けてみると、大規模オンライン公開授業(MOOCs)が話題となった。もともとこの流れをつくったのは、サルマン・カーンというアメリカ人が始めた教育ビデオの投稿サイト<Khan Academy>だ。その後、本物の大学も授業をシェアし始めた。日本でも東京大学を筆頭とする国立大学から私立大学まで多くの大学が、無料でMOOCsを展開している。
本書冒頭で紹介された<Airbnb>の時価総額は未上場ながら2兆円を超えるとされ、世界の有名ホテルのそれを上回る。ライドシェアの雄<Uber>は時価総額5兆円以上となり、日産自動車の時価総額をも上回る。現在は2社とも日本語でのサービスを提供中だ。そう、いまやシェアリングエコノミーはメインストリームを巻き込むうねりとなったのだ。
急成長するシェアリングエコノミー
世界的なコンサルティング企業デロイトがスイスのシェアリングエコノミーについてまとめた資料によれば、世界のシェアリングエコノミーに関するスタートアップ企業への投資額は、本書のハードカバー版が刊行された2010年には、およそ年間300億円だった。それが、2014年には6000億円相当に急増している。また、プライスウォーターハウスクーパース(PWC)は、シェアリングエコノミーを主な5つの分野に定義したレポートを作成した。それらは、1.ソーシャルレンディングを含む個人間金融 2.物々交換 3.不動産 4.カーシェアリング 5.音楽・動画シェアリングとなる。PWCによれば、これらは2025年に全世界でおよそ30兆円以上の総収入をたたき出すものと予測している。現在の1.5兆円規模の20倍だ。米のビジネス誌『ファストカンパニー』の記事では、本書共著者の一人、レイチェル・ボッツマンがシェアリングエコノミーの潜在的な市場規模を約13兆円以上と見積もっている。PWCの予測を鑑みると、実際にはさらに上をいく可能性も出てきた。
そんな急伸するシェアリングエコノミーを取り込むべく、国や自治体も参入の機会をうかがっている。韓国のソウル市は、「シェアリング・シティ」宣言を行ない、市場創出の後押しから、脱大量消費・大量生産社会への転換を打ち出した。日本では、安倍首相が民泊やライドシェアを軸とした規制改革を打ち出す。国家戦略特区を設けることで、東京オリンピックなどに向けた宿泊施設の確保や、過疎地域の「交通空白地域」での住民の移動手段確保を目指すものだ。
拡大する民泊に対しては、旅館業やマンションオーナーらからの反対が生じている。ライドシェアの規制緩和に対しても、タクシー業界が強く反発するなど、他国で起きたシェア企業と既得権益との衝突は、いまや日本にも巡ってきている。
昨今では、シェアリングエコノミーを指して、「デマンド・エコノミー」と呼称する声もある。つまり、利用者の「要求(デマンド)」に応えるという意味だ。特定の目的を「いま」適えるべく、仲介業者を排除してダイレクトに提供者と利用者を繋げるサービスであるといったニュアンスが色濃い。このあたりは、シェアによる市場規模が拡大しつつあるなか、受け止められ方も多様化していると見るべきだろう。また、シェアリングエコノミーは臨時的、あるいは副業的な雇用を創出するが、一方でフルタイムで働く労働者たちの権利や保護と鋭く対立するため、新たな争点が浮き彫りとなってきた。
本書を2010年当時に読んだ多くの人々は、シェアリングエコノミーがここまで社会の中心となって話題になるとは予想もつかなかったはずだ。事実、「日本人はきれい好きなので、他人が使ったモノは使いたくないはず」「シェアはけしからん。モノが売れなくなる」「シェアはせいぜいニッチな市場しか形成しない」といった声は、私がシェアリングエコノミーについて語る度に必ず耳にしてきた。特に「モノが売れなくなる」という声は、いまだによく耳にする。多くはわたしと同世代か、それより上の世代の声だ。最近では、日本のテレビ番組でもシェアリングエコノミーの特集が組まれることが増えたが、そこでもいまだに無理解が目立つ。既存のサービスと比較して便利であるとか、合法か否かといったことに疑義を呈するに留まり、シェアリングエコノミーの全体像を捉えようとしていない。
インターネットと協働型経済
実は、シェアリングエコノミーを理解することは、インターネットそのものを理解することと同義である。インターネットそのものが巨大なシェアリングマシンであり、その表層で営まれる行為の一部だけを取ってきて、既存サービスと比較したところで、議論が近視眼的なものに陥りがちなのだ。
事実、シェアはインターネット登場と同時に行なわれてきた。<シェアリングエコノミー>として括られる以前から、協働・共有を軸としたサービスは数多く存在してきたのだ。その定義について、前述のデロイト(スイス・レポート)は、「コラボレーティブ・エコノミー(協働型経済)の一部である」と綴る。筆者はこの理解で間違っていないと思う。
それはインターネットというインフラそのものがシェアを母胎としているからだ。あなたへのメールは、あなたが契約し、対価を支払っているプロバイダーだけが配信するわけではない。どこかの国や誰かのメールサーバーを経由して届くのだ。相互に乗り入れた回線やハードウェアを経由して、わたしたちはメールをやり取りしている。それは、一国や一企業だけが寡占するインフラではない。同様に、そこで生まれたものの多くは、誰かが開発し、それをオープンにすることで、シェアされたものである確率が高い。あなたの会社のサーバで稼働するソフトウェアの一部は、そのようなシェアリングエコノミーがもたらした果実である。つまり、シェアはインターネットという生態圏における自然発生的な営みでもある。
一方的に消費するだけだった「ユーザー」も、シェアリングエコノミーにおいては絶対者ではない。そこでは供給する「サプライヤー」と同様、評価の対象となることを認識すべきだ。シェアにおいて「お客様は神様」という考え方は通用しない。参加者らは、「ユーザー」でもあり、時に「サプライヤー」となり、それぞれ対等の立場にあるのだ。だからサービスによっては、評価の低いユーザーはサプライヤー側から取引を断られることもある。ひとつの価値をめぐってPeer to Peer(末端と末端)で取引でき、プラットフォーマーはそれを司ることで手数料を得る。そのため、シェアリングエコノミーに属するいくつかのサービスは、寄付や会員の参加費用で活動費が賄われるものもある。また、なかにはコミュニティ化し、地域や嗜好性、同じライフスタイルに根ざすサービスもある。「デマンド・エコノミー」という捉え方だと、そこが漏れてしまうのだ。