2009年に単行本として発売された『フリー』は、その後のWebサービスのあり方に大きな影響を与えた一冊である。その一方で、いまだフリーとの向き合い方を模索している最中のWebサービスも数多く見受けられるのが実情だ。このような混迷する状況を受け、本書は内容もそのままにペーパーバック版として再び刊行された。かつてビジョンを提示した一冊は、混迷を打開する一冊にもなるのか? 新しく書き下ろされた小林 弘人氏の日本語版解説を掲載する。(HONZ編集部)
一世を風靡したソーシャルゲームのほとんどは、フリーミアムを自明のように基本的なビジネスモデルとして採用している。また、われわれが何気なく使うWebサービスはフリーを入口として、その先のプレミアムに誘う。もはや、デジタルコンテンツのほとんどがフリーであることが当り前のこととして捉えられつつあるなか、2009年にハードカバーの単行本として刊行された本書『フリー』が果たした役割は大きい。ここで、著者のクリス・アンダーソンの現況に触れ、彼が本書で語ったフリーを取り巻く現状について見てみよう。
クリス・アンダーソンの三部作
本書執筆当時のクリス・アンダーソンは、米WIRED誌の編集長を務めていた。その後WIREDを去って自身が共同創業者を務める3D Robotics社のCEOに専念すると、この転身劇はメディア業界を驚かせた。同社はUAV(無人航空機)の開発・製造・販売を行う。UAVは今日ではドローンとも呼ばれ、日本でもドローン関連の報道が増えたので、それについての説明は不要だろう。
そんなアンダーソンの、もうひとつ大きな功績といえば、ネット上における新たな経済法則のひとつ、「ロングテール」を提起したことだ。そのことにより、彼の名はネット史に名を刻むこととなった。また、ハードカバー版『フリー』の刊行後には『MAKERS』を上梓。こちらは、デジタル・ファブリケーションツールやオープンソース・ハードウェア(ユーザーによって共創された改変可能なハードウェア)によって力を得た新たな個人の製造業者ら(メイカーズ)の未来像を描き出した。まさに著者自身の転身も含めて、製造業のロングテール化を勇気づけ、世界各地で勃興するメイカームーブメントの手引書となっている。
『ロングテール』から『フリー』、そして『MAKERS』まで、アンダーソンが毎回異なる角度から語るのは、そこに通底するひとつの主題、つまり「大衆文化から超並列文化への移行」についてだ。ここで言う大衆文化とは、インターネット以前のそれを指す。それまでは、製造から流通、コミュニケーションまで含めて、少数のモノや情報を多数の人々に届けることしかできなかった。そのため、ニーズは常に希少性を中心にして存在していた。しかし、インターネットが浸透した現代では、多数のモノを多数の人々に向けて届けることが可能になった。「1:N」ではなく、「N:N」となる超並列社会の誕生である。その中では、生み出されたコンテンツやモノの果てしないリストがロングテール曲線を描く。誰もが送り手になることができ、製造や販売が民主化するに伴い、これまで一部の権益者だけが生みだしていた希少な価値は、次第に潤沢化していくのだ。
「新しい希少を探そう」
では、潤沢なモノに対価を払おうとしない世界において、いかに換金化を目論むのか? その回答が本書となる。中に描かれている具体的な回答の数々は実用的だが、看過してはならないのは、その奥にあるメッセージだ。それは常に経済が孕む問題──今日の希少が明日の潤沢になる──をどうわれわれが理解し、取り組むべきかというものだ。それについてアンダーソンは、「新しい希少を探そう」という重要な示唆を与えている。これは、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のクレイトン・クリステンセン教授の著作『イノベーションへの解』において語られる「魅力保存の法則」にも共通する。つまり、これまで希少性ゆえに価値があったものが潤沢化していく最中でも、次の希少性が準備されているということだ。テクノロジーの激しい進化と国をまたぐ激甚な競争に晒される今こそ、かつての輝きにすがるばかりではなく、新たな希少を発見すべき。そこにリソースを投下し、次代の換金化を構築するのが、企業のみならず、国家やわれわれ個々に突きつけられた今日的な課題でもあるのだ。
今日、「フリーミアム」はWebサービスを起案するスタートアップ企業を中心に、盛大に引用される言葉のひとつとなった。私が大学でフリーミアムについての講義を行なうと、多くの生徒は自身のビジネスアイデアとして「ビジネスモデルはフリーミアム」と記入しがちだ。しかし、換金化について問われると、多くは「将来的には有料課金ユーザーからの収入で賄う、もしくは広告で賄う」と楽観的な回答を返す。確かに、有料課金ユーザー化への誘導(=コンバージョン)においては、まずはその母数となる無料ユーザーの獲得が先とばかりに、宣伝広告費を大量に投下する企業も少なくない。しかし、調達した資金のほとんどを宣伝費として使い、最悪の場合、資金が底をついて、中途半端な数の無料ユーザーを抱えたまま、青色吐息で運営しなければならないという事態に陥りかねない。
フリーをめぐる状況
ソーシャルゲーム業界において、ゲーム・アプリのほとんどがフリーミアムを採用している。英語圏では「Free To Play」とも呼ばれる(対する概念は「Pay To Play」だ)。つまり、無料でアプリをバラまき、その後IAP(アプリ内課金)で収益を賄う。IAPは、ユーザーによる機能追加が収益の柱となる。それによってユーザーはアバターなどの育成や外観の変更、またゲーム内の目標達成などを早めることができる。
HBSのヴィニート・クマール助教授によれば、無料ゲーム・アプリの90%がIAPによって収益を上げているそうだ。ただし、非ゲーム・アプリではその傾向は減少し、IAPによる換金化は26%にしか過ぎない。また、〈キャンディ・クラッシュ〉のような超人気ゲームは、IAPを促すための広告出稿を積極的に行なうが、Facebookのようなプラットフォーマーから敬遠される方向にある。
では、ゲーム・アプリの換金化は、すべてフリーミアムのみだろうか? <Minecraft>は無料の機能限定版が配布されているため、広義にはフリーミアムだが、有料のゲームとして各国のApp Store内で最上位を占めている。さらに総合ランキングでも無料版に混ざって上位にランクされている。同ゲームはPC・マック版からスタートし、今ではあらゆるゲーム機プラットフォームに展開されている。無料版から有料版へのコンバージョン率は実に14.3パーセントを誇り、登録ユーザー数も1億人を突破する(2014年)。
また、昨今では「ペイミアム」といった造語まで登場している。「ペイミアム」は、まず購入時にダウンロード課金を行い、さらにIAPでも収益を生むといった有料課金の理想型だ。<Infinity Blade>のようなゲームがそれにあたる。同ゲームは有料にもかかわらず、IAPが収益の半分を占めるという。つまり、「お金を払ってでもプレイしたい」ユーザーは地上から消滅したわけではないということだ。逆に強力なブランドさえ構築できれば、ユーザーはより多くの対価を支払うことだろう。