『モンスターマザー』長野・丸子実業「いじめ自殺事件」、加害者と被害者が入れ替わるまでの全て

2016年3月4日 印刷向け表示
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モンスターマザー:長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い

作者:福田 ますみ
出版社:新潮社
発売日:2016-02-18
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一晩で一気に読み終えたのだが、背中からは嫌な汗が流れていた。とても、他人事ではいられない。こんなことが起こりうるなら、普通に暮らしている人がある日突然、殺人犯に仕立てられても、全然不思議ではないだろう。自分の中で想定していた、世の中に対する前提条件が、もろくも崩れ去っていくような印象すら受けた。

「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」は、2005年にバレー部に所属していた同校1年生の高山裕太君が自殺した事件である。当初、運動部内でのいじめを苦にしていたことが原因とされており、母親はむせび泣きながら学校の対応不備を訴え、その後、母親側の代理人が校長を殺人罪で告訴するまでに至った。

しかし実態は、まるで違ったのである。2008年に長野地裁が下した判決では自殺の要因がいじめであったと認定されず、逆にバレー部から母親側への「精神的苦痛」に対する提訴については全面的に認める判決が下された。

本書は高山裕太くんが自殺に至るまでのいきさつ、その後、事件が世間に知られていくまでのプロセス、さらに母親側と学校側との間で加害者と被害者の構図が入れ替わっていくまでの全貌を、徹底的な取材に基づいて描き出した一冊である。

自殺をする前に、裕太くんは何度か家出をしている。その原因を母親は、バレー部内での「しごき」や、裕太くんが患っていた軽度の障害に対する「からかい行為」に求めた。そして相手が降参するまで絶対に手を緩めないほどの激しい剣幕で、学校の担任、バレー部員、バレー部員の保護者、顧問らを次々に攻撃していく。自分を正当化するためには手段を選ばず、裕太くんを道具のようにコントロールし、事実でないことでも大げさに吹聴していく様は異様のひと言だ。

この母親の攻撃は、周囲を傷つけると同時に、裕太くんの友人関係における絆を断ち切っていったという意味でも、二重にダメージを与えたことだろう。我が子がますます学校に行きづらい状況を、母親自らが作り上げ、ある日ついに悲劇は起こったのだ。

この事件において、肉体的な暴力はほとんど存在しない。それゆえ、母親側と学校側との戦いの大半は情報戦によるものであったと言えるだろう。世の大前提として「親は子に無償の愛を注ぐもの」として、「教師は聖職に従事するもの」としての一般的な定説がある。だからこそ親が子供を虐待すればそれ自体がニュース性を持つし、教師が体罰を下せば大きな非難を集める。そういった観点から考えると、報道の文脈としての条件は、対等であったはずだ。

にもかからず、事件直後に世論が学校の責任を追求する方向へ一気に傾いた背景には何があったのか? それは一方が相手を陥れようとする明確な意図を持っていたからということに他ならない。母親の虚言に基づき、いとも簡単に「事なかれ主義の学校体質」「悪しき体育会系の風習」といったフレームがはめ込まれ、学校=加害者、母親=可哀想な被害者という図式ができあがる。そこに「熱心な」県議会議員、「人権派」の弁護士、「著名な」ノンフィクションライターたちが加勢し、認識がより一層強固なものになっていった。

被害者の皮を被った加害者とは、ここまで厄介なものかとつくづく思う。巻き込まれたが最後、「自らが潔白であればスルーにかぎる」などとやり過ごしていては、元の状態に戻すことすら困難になってしまう。すぐさまファイティングポーズを取って、全力でやっていないことを証明しなくてはならない。それでも拭い去れぬダメージが残ってしまうのが、濡れ衣の怖さなのだ。

受けて立つ学校サイドには、数々のジレンマがあったものと推察する。生徒や保護者との信頼関係を前提に、性善説で成り立っているのが、学校という組織の宿命である。手荒い手段を行使せずに、教育的な観点から態度を変容させられなければ、負けに等しいという思いもあったことだろう。

だがバレー部員の名誉のことや、何よりも亡くなった裕太くんへの思いが、その種のイデオロギーを超越させる。学校関係者や保護者たちは一丸となって、立ち向かうことを決意するのだ。

一方で、学校側における対応のプロセスからは、公人と私人との間におけるプライバシーの問題をめぐり、今後社会全体が考えていかなければならない課題も見えてくる。それは自らの潔白を証明するために、公が知り得た私の情報を公開することは、どこまで許されるのかという問題である。

この母子の問題は学校のみならず県教委や児童相談所なども、早い段階から把握していたという。だが公務員である彼らの前には、プライバシーの保護と守秘義務の壁が大きく立ちはだかり、追求の矢面に立たされても具体的な答弁ができず、袋叩きになっていたのである。

むろん、やみくもに許されるわけもないのだが、今回のような情報戦において、プライバシー保護の問題が一方に大きな不利を強いた側面は否定できない、また知り得た情報がグレーである場合には、逆にどこまで介入してよいのかという悩ましき問題も存在するだろう。

この事件については、TVや新聞でも数多く報道されてきた。だが、その時その時の途中経過をセンセーショナルに報じたものだけをつなぎあわせただけでは、真実と180度違うものになってしまうケースがあるということは、記憶に留めておきたい。

一つの事件の全容を、きちんと世の中全体に示していくためには、時間も金も労力もかかる。しかも材料が揃った時には、世の中の注目度がすでに低くなっている可能性だって高い。それでも、おかしいと感じたことを、正しく世の中に知らしめていく行為というものは何ものにも代えがたいのだ。ノンフィクションの面目躍如といったこの一冊が、一人でも多くの方に読まれることを切に願う。  

でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 (新潮文庫)

作者:福田 ますみ
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