『CIAの秘密戦争 「テロとの戦い」の知られざる内幕』アメリカの対テロ戦争とCIA監訳者解説 by 小谷 賢

2016年2月24日 印刷向け表示
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CIAの秘密戦争――「テロとの戦い」の知られざる内幕

作者:マーク マゼッティ 翻訳:小谷 賢、池田 美紀
出版社:早川書房
発売日:2016-02-24
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2001年9月の同時多発テロは世界を変えた。少なくとも同テロ以降、アメリカはテロとの戦いに突入し、それは現在も続いている。そしてこのテロとの戦いの最前線に立つのが、国防総省(ペンタゴン)を中心とする米軍と中央情報庁(CIA)なのである。本書は主にCIAに焦点を当て、2001年以降、CIAがテロとの戦いと銘打って世界各国で何を行ってきたのかを、膨大なインタビューに基づいて詳細に描いている。原著(The Way of the Knife)は2013年にアメリカで出版されると同時に大きな反響を呼び、各新聞、雑誌で絶賛された。アメリカ版アマゾンのレビューを見てもかなりの高評価であり、一般にも広く読まれていることがよくわかる。

ただ原書はアメリカ人読者を対象としており、CIAに関する知識がないとやや読みにくいため、 ここで補足説明しておきたい。そもそもCIAは対外情報機関として1947年に設置されているが、 その任務はアメリカの国家安全保障のため、国外でインテリジェンス(諜報)活動を行うことである。 東西冷戦中は数々の失敗を犯しながらも情報収集や分析の任務を遂行し、1989年の冷戦終結を導いた陰の立役者となった。しかし皮肉なことに、冷戦の終結によってソ連という敵がいなくなると、 CIAは予算や人員の大幅な削減に直面することになる。官僚組織にとって予算の削減は最も有難くないことであるが、CIAは1990年代に大幅な予算と人員の削減を強いられたのであった。この人員削減のため、多くの腕利きのオフィサー達はCIAを離れ、民間に流れていったのである。

冷戦後のCIAは、犯罪捜査や外国の民間企業を調査するような任務を請け負いながらも何とか生き延びた。そして2001年にあの9.11同時多発テロが勃発することで、CIAは再び政権から熱い眼差しを浴びるようになる。テロを受けて当時のブッシュ政権は即座にテロとの戦いが始まったことを宣言し、そのためにCIAを含むすべての情報機関に潤沢な予算と、過大ともいえる程の調査 権限を与えたのである。テロからわずか45日後の10月26日には、有名な2001年米国愛国者法が成立している。この法律はテロという「戦時」に対応するために作られており、情報機関に大幅な調査権限の拡大を認めている。さらにCIAは1976年のフォード大統領による大統領行政命令によって暗殺行為を長らく禁じられていたが、そのような制限もテロとの戦いという大義名分の下でなし崩しにされていくことになる。つまり本書内でも繰り返し述べられているように、9.11テロによってCIAは組織の絶頂を迎えることになったのである。

こうして予算と権限を与えられたCIAは、政権が命じるままに世界中でテロリストやその関係者を捕まえ、情報を集め出す。その手法は怪しい人物がいたらとりあえず拘束して収監するというほとんど誘拐に近いものであるが、これには「囚人特例引渡し」というもっともらしい名前が付けられた。 そして拘束された容疑者たちは、悪名高いキューバのグアンタナモ湾収容キャンプを初めとする世界中の収監施設で尋問・拷問を受けることになる。ただし「拷問」という表現は忌避され、「特殊強化尋問(EIT)」という曖昧な言葉が生み出される。こうして「EIT」によって得られた情報は、 CIAの工作部門に伝えられ、最終的にドローンによるテロリスト暗殺が実行されるのである。ここでも「暗殺」という言葉は使用されず、「標的殺害」という戦争中の軍事作戦を想起させるような言葉に置き換えられる。しかしその「軍事作戦」を行うのは、本来、文民のインテリジェンス組織であるCIAなのだ。

他方、このようなCIAの活動はペンタゴンを中心とする米軍との軋轢を呼び込むことになる。ドローンによる標的殺害はまさに軍事作戦であり、それを情報機関であるCIAが行うとなれば当然、米軍、特に特殊作戦軍(SOCOM)との縄張り争いに発展する。ワシントンにおいてCIAとペンタゴンの対立は先鋭化していき、両者間の争いは絶えなくなっていく。これに対抗して米軍の方は自らスパイ組織を立ち上げ、逆にCIAの領域を侵そうとするのである。この経緯については本書内でも詳しく書かれているが、まさに「情報機関が戦争を行ない、軍事組織が現地のインテリジェンスを収集しようとしているのだ」という表現がぴったりである。

そしてアメリカ政府がテロとの戦いに莫大な資金を投じたことで、戦争は一大産業へと発展していく。これはまさに冷戦によって軍産複合体が発展した様相を彷彿とさせる。アメリカの民間企業のみならず、外国の企業までがこの恩恵に浴するために、戦争の片棒を担ぐようになる。その中にはかつてCIAを去ってコンサルタント会社を立ち上げたデュエイン・”デューイ”・クラリッジや、女帝 ミシェル・”アミーラ”・バラリンなど、海千山千の人物が含まれている。もはや戦争の最前線では米軍、CIAに加え、民間企業の社員が代理戦争を行う時代となったのである。本書の冒頭で登場するレイモンド・デイヴィスはパキスタン国内で非合法活動を行い、それが基となって収監されているが、彼はただのCIAの契約社員に過ぎないのである。また軍の方もCIAに負けじとUターンのようなIT企業に依頼してネット上での心理作戦を実施しているが、これは逆にCIAの逆鱗に触れることになる。

このような世界各地におけるCIAや米軍の活動は、その後、2011年5月のウサマ・ビンラディンの殺害へと結実していく。このくだりについては2012年の米映画『ゼロ・ダーク・サーテ ィ』でも描かれているが、本書ではCIAがどのようにビンラディンの居所を特定し、殺害作戦を実行したのかが詳細に描かれている。特に映画ではほとんど触れられなかった、パキスタン人医師、シャキル・アフリディについてはあまり知られることがなかったが、彼はビンラディンの居場所を特定するための情報をCIAにもたらしている。この情報に基づき、米海軍の特殊部隊シールズが「海神の槍(Operation Neptune Spear)」と命名されたビンラディン殺害作戦を実行しているが、この作戦はパキスタン政府に無通告で行われたため、CIAとパキスタン情報機関との関係は決裂し、アフリディ医師の方も逮捕される結末となった。

このようにCIAが行ってきた様々な活動は、最終的にビンラディンの殺害として結実し、アメリカ本土も9.11以降は大規模なテロ攻撃を免れているため、CIAの活動もあながち無駄ではなかったともいえる。レオン・パネッタ元CIA長官は、2015年の『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューにおいて、この14年間はCIAの勝利であったと誇らしげに語っているのである。ただし現在もドローンによるテロリストの殺害は行われており、それに巻き込まれた民間人の犠牲も決して少なくはない。一説にはパキスタンだけでもこれまで400回を超えるドローン攻撃が実施されて数千名が死亡し、一般市民の巻き添えは1000名を下らないとも言われている。2015年10月3日にアフガニスタンで国境なき医師団の病院が誤爆されたことはまだ記憶に新しい。

そして現在もテロとの戦いは続いており、その主戦場は中央アジアからイスラム国(ISIL)が跋扈するイラク、シリアにまで拡大しつつある。これに対してISIL側は、パリ、イスタンブール、 ジャカルタなど世界各地で無差別テロを引き起こし続けている。現在のCIA長官、ジョン・ブレナンは、ブッシュ政権時代にドローン攻撃を指揮した人物であり、今後も徹底的にテロとの戦いを遂行していく意志は固いため、まだしばらく世界はテロに怯えることになるのであろう。

本書の著者、マーク・マゼッティ氏はアメリカ出身のジャーナリストで、『エコノミスト』誌や 『ロサンゼルス・タイムズ』紙で政治記者として安全保障問題を中心に取材を行ってきた経歴を持つ。その間イラクやパキスタンでも取材活動を行い、そこでCIAの秘密活動に触れたようである。2008年には「囚人特例引渡し」の実態を世に知らしめ、ピュリッツァー賞の最終候補にまで残り、翌年にはパキスタンとアフガニスタンからの現地取材報告によって、仲間のジャーナリストと栄えあるピュリッツァー賞を共同受賞している。

本書を一読すれば判るように、氏はCIAやペンタゴンに対しては辛辣な姿勢を崩さない。現在でもアメリカ世論の過半数がテロとの戦いを手放しで支持している現状に鑑みれば、マゼッティ氏のように敢えて政権を批判する人物もまた必要になってくる。既述したようにアメリカはテロとの戦いに莫大な税金を投入しており、その使い途が果たして費用対効果に見合うものかどうかについてはほとんど議論されていない。CIAをはじめとするアメリカの情報機関は、通常、行政府の監督下に置かれた上、立法府からは厳格な監視を受けている。しかし場合によっては両者が上手く機能しないこともある。その時、最後の砦となるのが良識あるジャーナリズムであることは言を俟たないであろう。

もちろんマゼッティ氏だけが孤軍奮闘しているというわけではなく、本書執筆の動機や資料的な裏付けなどについては、「ウィキリークス」などの告発サイトに拠るところも大きい。同サイトはアメリカ政府の極秘資料をネット上で暴露しており、2015年7月にはアメリカの情報機関が日本の官公庁や民間企業の通信を秘密裏に傍受していたことも明らかにしている。さらには2013年のスノーデン事件以降、イギリスの『ガーディアン』紙やドイツの『デア・シュピーゲル』誌などは、9.11テロ以降のアメリカのインテリジェンス活動が行き過ぎではないかと度々指摘してきた。こうしてマゼッティ氏を初めとする世界中のジャーナリストによる調査は、アメリカ連邦議会にも影響を与え、その結果2014年末にはCIAが行ってきた「囚人特例引渡し」や「特殊強化尋問」に関する議会報告書が作成されて話題となった。そして翌年には、情報機関の活動に一定の制限をかけるよう な法律が米議会で可決されるに至ったのである。

現在も氏は、『ニューヨーク・タイムズ』紙のために精力的に取材活動を行っており、その対象は 激化するISILとの戦いに向けられている。最近の同紙面上で氏は、米軍がCIAや国防情報局 (DIA)からのインテリジェンスを意図的に歪曲し、事態を楽観視しているという疑惑について繰り返し記事を執筆している。もしそれが本当であれば、米軍はずるずるとISILとの泥沼の戦いに引き込まれる可能性もあり、その場合、アメリカは東アジアに目を向ける余裕がなくなってくるかもしれない。つまり事態は我々にとっても対岸の火事では済まなくなってきているのである。

2016年1月
防衛省防衛研究所戦史研究センター主任研究官 小谷 賢

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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