人間と他の動物とを分けるものとは何か?この問いに対する最大の答えは「文字」ではないだろうか。文字を生み出したことにより、人は人という種がどの様な過去を築いて現代にいたっているかを知ることができる。本書は文字が発明された5000年前から現代までに焦点を絞り、その歴史を「人類5000年史」と定義して一気に読み進めようという冒険的な作品である。
なんといっても5000年にも及ぶ、世界の歴史をわずかニ巻で読み進めようというのだ。その疾走感は半端ではない。例えて言うならば、ドイツにあるような速度無制限のアウトバーンをアクセル全開で走り抜けているような感じだろうか。しかもこの道ときたら、時に東に西にと大きくカーブし、上り坂に下り坂まで存在する。そうかと思えばひたすらアクセル全開で走れる直線が現れる。読者はステアリングがクイックな高性能スポーツカーでこの歴史街道を疾走するのである。
本書に素晴らしい疾走感を与えている二点は道(構成)と高性能スポーツカー(文章)だ。つまり現実の世界であるならば、道を造る作業と車を造る作業を一人の人物が行ったという事になる。プロの歴史家ではない著者がこのような遠大な作業を遂げたのである。「お見事」とつい唸り声をあげてしまう。実際に巻末に書かれている参考文献の数も膨大だ。実業家として第一線で活躍する著者のどこに膨大な読書をこなす時間があるのかと思ってしまうほどだ。
さて、本書をめくり歴史街道を疾走していると、いくつかの特徴的な車窓が目に留まる。そのひとつが世界を「ひとつの世界」としてとらえているという事だ。これは、同時代の横の視点だけでなく過去、未来という縦の視点も含まれている。学校で習う歴史も本で読む歴史も、ひとつの時代や地域、一人の人物に焦点を当てているものが多く、その地域での出来事がいかに他の地域に波及したかという横軸と、それがいかに未来に影響を及ぼしたかという縦軸が欠けていることがしばしばある。
このような視点の歴史書ばかりを読んでいると、歴史というものを静止した絵画のようにしか理解することが出来ない。本書はこのような罠に陥らず、流動的なものとして歴史を描いている。例えば人類の歴史で幾度か行われた軍事革命がどの様な地域で起こり、それがどのように世界に影響を与えていったかといった事が連続したひとつの世界の出来事としてスッと頭の中に入ってくるのである。
もうひとつの特徴がアナール学派の視点を随所に埋め込んでいるという事であろう。人物中心の歴史とは、政治学的視点に立った歴史である。しかし、その政治がどの様な状況で生み出されてきたかというと、それは地球の気候が大きく関係している。例えば一巻の第二章では「知の爆発の時代」という章立てだ。BC500年頃から中国、ギリシャ、インドで時を同じくして偉大な哲学者、思想家、芸術家が多く輩出されているが、これは鉄器の普及のみならず、地球の温暖化が大きく関係しているという。このように温暖化と高度成長が密接にかかわっていたことがよくわかるようになっている。
また別の大きな特徴としてはデータとファクトで考えるという点だ。例えば、日米関係を悪化させ、現代の右派の間でも不平等な条約であったとされることの多い、ワイントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約を読み解く視点だ。
ワシントン海軍軍縮条約では戦艦や空母の保有比率を米英、日、仏伊でそれぞれ、5対3対1.75と定め、後のロンドン海軍軍縮条約では米英対日比率が10対6.97に定められている。当時の国民や現代の一部の右派の人々にすこぶる不評判なこの条約だが、当時のアメリカの国力が日本の10倍以上あった点を考えれば、これはむしろアメリカの艦艇数を規制する条約である事がわかると著者は斬り捨てる。数字と事実をしっかりと読み解き、それらを基に理論を構築していくことの大切さが本書には随所に散りばめられているのである。
他にも本書には様々な楽しみ方がある。見慣れない車窓が流れたときにはアクセルを緩めてみるのもひとつの楽しみ方であろう。日本人に馴染の薄い、中央アジアやイスラム世界にはまだまだ私たちの知らない、英雄豪傑を見つける事ができる。本書を読んで、わたし個人としてはティムールに非常に大きな興味を持つことができた。今度、彼の関連書籍を読んで見ようと思っている。
その他にも現代を生きる上でヒントになる話も満載だ。従来では、野蛮な暗黒政治としてのイメージが強かった大元ウルスだが、徹底したダイバーシティであったクビライは思想や宗教にこだわらず、経済のグローバル化にまい進し、世界を繁栄に導いたという。従来のイメージを覆す彼の生き様は、グローバル化が進む現代社会を生きる私たちに大いなるヒントを与えてくれる。
また現代では不寛容な宗教と思われがちなイスラム教は元来、寛容で合理的な宗教であったことなど、興味深い逸話が次々とテンポよく流れていく。膨大な時間と空間を縦横無尽に旅する本書は、私たちがより良い人生を生きていくための知の起点を与えてくれる。「さあ皆、この本を手にとり、歴史街道をドライブしようではないか」周りの人々にそう語りかけたくなる一冊だ。