2004年に北海道警察の裏金問題で告発を行った中心人物である、原田宏二氏が警察捜査の実態を解説した1冊だ。捜査の根拠となる法律はどのようなものなのか、それらは実際どれほど機能しているのか、なぜ権力の濫用が起きてしまうのか。ノンキャリアとしては最高のポストまで登りつめて退官した経験をもとに、著者は取り締まる側の視点から語っていく。冤罪事件から身近な取り締まりに至るまで、それらの背後にある「事情」を知ることができる。
はじめに、著者のスタンスを紹介しておきたい。
世の中には、警察を正義の味方にしておきたい人もいる。まるで警察を悪の権化のように言うアンチ警察の人もいる。私はいずれにも与しない。
不正を告発した際には北海道警察から「裏切り者」のレッテルを貼られた著者だが、感情的にならず問題点を淡々と指摘することに徹しているので、単なる印象を超えた理解ができる。
著者は刑事訴訟法(以下、刑訴法)や警察官職務執行法など、警察活動の根拠となる法律を参照しながら、実態がどのように乖離しているのか指摘していく。
普段抱くイメージと実際の法律との間にはギャップがある。なんとなく警察に権限があるように感じる職質や所持品検査は、あくまで任意である。また、取り調べの録音は可能で、警察は拒否できないというのも意外だ。とはいえ実際には物理的・心理的圧力が加わるから、権利を行使するには非常に勇気がいるのが現実だろう。
「被害等の届けのときに知っておくべきこと」「職務質問を受けたら」「同行を求められたら」「取り調べを受けたら」など、巻末にまとめられたガイドラインをざっと眺めるだけでも、本来私たちに認められている権利の多さに驚くはずだ。
法的根拠がなかったり、そもそも定義されていなかったりすることもある。たとえば写真や指紋については刑訴法に法的な根拠があるが、DNA資料の提出に法的根拠はない。また、「取り調べ」は法的に定義されていない。同じくよく用いられる「事情聴取」や「任意同行」という用語も刑訴法上に存在しない。相手の無知を利用することで法的にはグレーな捜査を進めていった例が、本書では数えきれないほど挙げられる。
著者は現状を指摘するだけでなく、その背景についても考察していく。最も印象に残ったのは、何でも完璧に取り締まろうとする理想主義がかえって害を生んでいるという点だ。
交通事故を例にとれば、免許や自動車の保有数、道路の距離や構造、気象条件、経済活動、運転者の行動など、事故の発生には様々な要素が絡んでくる。それでも地域毎の事故の死者数の多寡を競い、現場には数的ノルマが課される。ノルマ達成にとらわれることで、酒酔い運転等の危険運転よりもシートベルトの取締りなど軽微な違反に目が向けられがちになり、さらには警察統計をごまかそうとする動きまで出てくる。ごく最近でも、2013年に愛知県警、2015年に千葉県警で交通事故死者数の過少申告が発覚しているそうだ。
冷静に考えれば、膨大かつ複雑な要素で起きる事象を警察の力で抑えるという発想自体が警察の思い上がりであると著者は言う。現実離れした目標を追い求める取り締まり活動からは、そもそもの目的がごっそり抜け落ちている。
近年はデジタル捜査の進展により新たな問題も生まれてきている。監視カメラやGPSの活用などで捜査網は拡大したが、プライバシーへの影響の大きさはあまり知られていない。アリバイ確認といった基礎捜査を怠るなど、科学捜査の過信による捜査力の低下も起きている。
犯罪捜査の基準となる刑訴法は去年8月に改正案が衆議院を通過し、目下変わろうとしている。改正案には取り調べ可視化の義務が盛り込まれているそうだが、実は対象が裁判員裁判の被疑者など一部に限定されており、警察が調べる被疑者の99%以上は対象外だという。他にも冤罪の危険性が増す司法取引の導入や、監視網の強化につながる通信傍受の対象拡大などの変更が予定されている。いずれも報道での扱いは小さいが、著者に言わせれば「大改正」だ。
捜査の秘匿性と警察の閉鎖性、犯罪の予防とプライバシーの侵害、機密情報の保持と情報統制、事件の素早い収束と冤罪の危険。それらを巡る境界は何度も超えられてきただけでなく、境界そのものが動くこともある。線の引かれ方が曖昧なこともあるし、そもそも引かれていないこともある。
その境目で何が起きてきたのか、背後にはどのような思考や組織体制があるのかが本書には書かれている。マスコミや司法など、周辺ではたらく「作用」にも触れられる。そして、線引きはどうあるべきかについても考えさせられる。
だがそれ以前に、そもそも知らないことが多すぎるというのが一番の感想だ。本書で何より思い知らされたのは、情報格差という最も強固で明確な境界の存在だった。
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