『まっくらやみで見えたもの 光アレルギーの私の奇妙な人生』訳者あとがき

2016年2月10日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
まっくらやみで見えたもの

作者:アンナ・リンジー 翻訳:真田 由美子
出版社:河出書房新社
発売日:2016-02-10
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

闇のきらめき──そんな言葉がぴったりの、みずからの闘病生活を綴った明るく澄んだ、詩情豊かな回想録です。なぜ「闇」なのかといえば、著者が闇でしか生きられない病気に冒されているから。なぜ「きらめき」なのかといえば、暗室で著者のつむぐ言葉が、みずみずしい感性と輝く知性できらめいているからです。

著者は大学を卒業後、国家公務員として仕事に邁進していましたが、2005年、33歳で突然光アレルギーを発症。わずかな光にも肌が焼けるようにひりひり痛むようになり、(病院まで行けないので)専門医の治療を受けることもできず、自宅の暗室で暮らすようになります。

執筆の動機について、あるインタビューで、著者は、2010年の夏、うだるような暗室暮らしの憂さを紛らわせるために、自分の体験を書いてみようと思い立ったと語っています。そして、本書の中で著者は、自分と似た境遇の人の話を(オーディオブックで)聴きたいのに、著作としてきちんと書かれたものがほとんど見当たらず、患者の論文とか記事とか、外から見た記述ばかりで、患者の内面からの生の声を伝えるものがないと、不満も述べています。行動の人アンナ・リンジーは、みずからの心境や日常を正直に語ることが、なかなか治る見込みのない難病や慢性病に苦しむ同胞を励ます社会的行為になると考えたのかもしれません。

アンナの闘病記は、逆境にもへこたれないガッツ、思わずくすっと笑ってしまうような、イギリス人らしいひねりの利いたユーモアにあふれています。澄み切った、心に沁み入る言葉、リズムの美しい文章で綴られる本作は、文学と呼ぶにふさわしい作品です。それは、著者が詩人の心と観察者・哲学者の眼差しの持ち主だから、そして愛のある人だからでしょう。まさしく「病との闘い」の書は、愛の物語でもあるのです。ひとりぼっちだったら、ここまで強くはなれなかったかもしれません。光アレルギー発症当時、アンナのボーイフレンドで、その後、夫となったピートとの夫婦愛を中心に、アンナのお母さん、きょうだいのサムとの家族愛、慢性病患者の電話友達との同胞愛など、さまざまな愛の形も細やかに描かれています。

人間だけではありません。広い世界に開かれていた人生から、暗室に閉じこもり小さな世界で生きるようになった著者の感性は、研ぎ澄まされ、その内面世界は無限に豊かなものとなり、自然や日常の小さなことにも大きな喜びを見出します。万物を愛おしみ、先の見えない、いつ終わりが来るとも知れない人生だからこそ、生を強く愛おしみます。病状に明るい兆しが見え始め、その喜びに著者が心震わせる数々のエピソードは、読んでいて胸に迫るものがあります。

そして著者は、人間の力ではどうにもならない「どうしようもない人生」を生き抜く者の魂を救済するのは、文学や哲学や宗教なのだと語っています。著者の念頭には、本の中でも紹介される闘病記の名作『潜水服は蝶の夢を見る』(ジャン=ドミニック・ボービー著)があったようですが、私には、アンナの闘病記が、同じように閉塞状況に置かれたがゆえに、自由を希求する命の輝きのような作品『アンネの日記』(アンネ・フランク著)を彷彿とさせるようにも感じます。ほかでもないアンナの闘病記そのものが、恵みの書、文芸の力が魂を救済する証の書であるといえましょう。

難病に苦しむ人の話は、健康な人間には一見、縁遠い話のように思えるかもしれませんが、人は誰しも病気だけでなく、いつ事故や災害に巻き込まれ、被害者となり、心に傷を負いながら、人生との闘いを強いられる状況に立たされるかわかりません。アンナの心意気、サバイバル術は、きっと多くの読者に知恵と勇気を与えてくれるものと信じています。一人でも多くの方がこの本を手に取り、著者の人生をたどりながら、あらためて生きることの素晴らしさを再認識してくださればと願っています。

著者の作家としてのデビュー作である本書(原著Girl in the Dark : A Memoir)は、イギリス、アメリカで出版され、各紙誌から絶賛されただけでなく、世界の多くの国々で翻訳される運びであると聞いています。日本の読者の皆様へ、原作の魅力をあますところなくお届けできれば、訳者として望外の喜びです。なお、一連の「闇の中のゲーム」の章に登場する言葉遊びについて、お断りがあります。原文は英語ですので、日本の読者向けに、訳者が日本語の言葉遊びの形に作り変えています。そんなところもお気に召していただければ、幸いです。

著者は依然として病気の身ということですが、新たに小説の執筆を始めたという話も伝えられています。今後、著者の病状が快方へと向かい、気高い魂の持ち主であるアンナ、ピート夫妻に幸多からんことを祈らずにはいられません。

2015年12月 真田由美子 

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!