効果的な利他主義者はその問いを突き詰めて考え、仕事を選択する。寄付先の選択も同様で、たくさんのいいことができる寄付先を選ぶ。例えば、
・ 犬が好きなので、地元の動物シェルターに寄付している
・ 日本人なので、なによりも日本の恵まれない人たちに寄付をする
・ 妻が乳がんで亡くなったので、乳がん研究に寄付している
ということについて、彼らはどのように考えるだろうか。寄付をするもっともらしい理由に思えるが、効果的な利他主義者は、寄付の理由としてこれらを間違っていると考える。
また、寄付に関する著名な実験の一つに、一方のグループに1人の子供の写真を見せて、その名前と年齢を教え、その少女の命を救うには30万ドルをかけて新しい効果な薬を開発するための基金への寄付を依頼する。もう一方のグループには、八人の子供の写真を見せて、名前と年齢を教え、同様の薬の開発で8人全員の命を救うことができると寄付を呼びかけた。結果は一人の写真を見せられたグループのほうが、寄付額が多かった。
数字に敏感で、救える命の一人あたりのコストや、その苦しみが減った年数を重視する効果的な利他主義者からすると、ありえない結果である。この実験のような寄付者の情けに訴えるチャリティではなく、費用対効果の高い方法で命を救い、苦痛を減らすことを証明できるチャリティに寄付を優先して行うべきと考える。そのために、自分に使うお金を削ったり、与えるために稼ぐことができるようなキャリアを選んだり、それ以外の方法で<もっとたくさんのいいこと>を行おうとする。その一部をここでは紹介する。
与えるために稼ぐタイプ
寄付するために稼ぎたい、だから高収入の金融業界に行く人たちだ。 マット・ウェイジは収入の5割を寄付し、イアン・ロスは2006年から現在まで100万ドル以上寄付している。彼らの延長上には、膨大な資産を寄付したバフェットやゲイツがいる。彼らは常々自分の生活と人助けに使うお金のバランスに気を使い、日々悩んでいる。
そして、善いことをしているにも関わらず、多くの反論を浴びる。ヘッジファンドで働いていれば、理想もどこかに行ってしまい、寄付に対する熱意が薄れ、自分を蝕むことはないのだろうか。自分自身を目的ではなく手段として考え、ただの富の再分配マシンになっているのではないか、与えるために稼ぐなんて偽善にすぎない、などあらゆる反論を受けている。
彼らの得ている高収入に嫉妬し、地獄への道は善意で敷き詰められていると皮肉を吐きたくなる気持ちもわからないでもない。しかし、著者は、まるで代理戦争のように、想定される反論にあの手この手の論法や思考実験を駆使して回答している。この問答が本書の読みどころである。もちろん、著者も与えるために稼ぐという生き方は、すべての人に向いているわけではないと認めている。
メタチャリティに取り組むタイプ
メタチャリティとは他のチャリティを評価したり応援したりする存在だ。マッカキャッスルは自分と同程度の収入をある人をあと2人引き込めば、自分が金融業界に行くよりも<たくさんのいいこと>ができると考え、「8万時間」というメタチャリティのサービスを立ち上げた。
他にもギブウェルというサービスがある。彼らが寄付すべき組織として選んだのはたった3つだ。そのうちの一つに、ギブダイレクトリーがある。名前の通り、直接お金を渡すのだ、貧困な人々に。そして、外部評価期間とともにランダム化比較試験を行い、その調査の公開を約束し、自分たちに制約を設けた。直絵送金という手法がベンチマークとして確立すれば、より伝統的なチャリティがコストに見合った価値を提供しているかどうかを寄付者が評価できるようになる。そんな未来の実現を目標に据える。
働いて貢献するタイプ(官僚、研究者、活動家、社会起業家など)
著者の論文「飢餓、富裕、道徳」を読んだゴルビーは、当初世銀で働くことは、自分が助けたいと思っている人たちに害を及ぼすと考えた。しかし、著者は「世銀のゴルバチョフとなって」世銀改革を手助けできると、走り書きをした手紙を送った。今ではゴルビーは世銀でお金持ちになって稼ぐよりもはるかに大きな金額を運用する立場で、高い投資効率のプロジェクトを選定して投資し、変化を生み出している。
他にも研究者となる道がある。高収量穀物を開発し、緑の革命に貢献したノーマン・ボーローグのような道だ。しかし、誰にも見つけられないような重要な発見が生まれる可能性は極めて低い。その中で卓越した研究者が、まだ多く集まってはいない優先度研究を推奨している。どのチャリティ、介入、組織、政策が世界をよくするためにもっとも役立つのかを見極める研究である。まだ、生まれたばかりの研究分野であり、大きな進歩を生み出せるか未知数であるが、重大な結果を生む可能性がある。
身を呈して貢献するタイプ
あるとき、著者の論文を読んだ学生からメールが届いた。
僕は究極の利他主義を実践しました。なにより腎臓を必要としている人に、僕の右の腎臓を匿名で提供したんです。
彼の行動がきっかけで、他に4人が腎臓移植を受けた。しかし、その蛮勇とも言える行為の価値はいくらなのだろうか。ドナーからの移植は5年待ちで、平均すると、移植を待つ人の14人に1人が毎日亡くなっている。腎臓移植を受ければ平均で10年間寿命が延び、生活の質も大幅に改善される。しかし、骨髄バンクなどと違って臓器は再生されることはない。臓器を提供したクランビルスキーは、腎臓提供が原因で死亡する確率は4000分の1だから、腎臓を必要とする人にそれを提供しなければ、自分の命を他人の命より4000倍も重く見ることになり、それは間違いだと言いたかった。さらに、
ギブウェルによると、一人の命を救うのにかかるコストは2500ドルです。ということは、マラリア対策基金に5000ドル寄付する方が、四人に腎臓移植を行うよりもいいことになります。僕がこんな風に説明しても、誰にもわかってもらえません。先生はどう思われますか?
クランビルスキーは理詰めで臓器を提供する理由を説明しても、理解されないのは聞き手側の認知能力が高くないせいだと言う。
他にも魅力的な人物(と言っても大半はエリートや成功者だが)が登場し、とりわけミレニアム世代(1980~2000年生まれ)に多い。彼らは極端かもしれない。数字や抽象的概念に強く、情緒よりも理性を大切にする。その価値観に違和感や嫌悪感を感じる人もいるだろう。
しかし、<いちばんのいいこと>を真剣に考え、行動に移している登場人物たちを否定することは簡単ではない。自分が今いる状況と能力を冷静に考え、明確なロジックと確かなエビデンスをベースに、世界をよりよくしていこうとしていることだ。読後感として残る心の葛藤にこそ価値がある、そう思えてならない。
(訳者解説はこちら)
イデオロギーideology、無知ignorance、惰性inertia、この三つの”I”が政策の失敗や援助の低効果の原因となっている。それを現場で積み重ねたエビデンスで乗り越え、効果的な手法を選り分け、ときに生み出し、貧困の解決を実践している一冊。
臓器移植について、詳しく理解したい人へ。提供者と受け手の間に、一言では言い表せない不思議な関係性が生まれている。レビューはこちら。
真実より真実っぽさ、理性より感情が優る、現代の「ファストライフ」から脱け出すために、必読の本。分厚いが、ユーモアに溢れ、リズミカルで読みやすい。