『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと <効果的な利他主義>のすすめ』訳者解説 by 関 美和

2015年12月21日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

チャリティを、情緒でなく数字で考えたらこうなった! 本書『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと』は、ピーター・シンガーがシリコンバレーから広がる新たなライフスタイルの全貌を描き出した一冊。誰がために金を稼ぎ、何のために金を使うのか? そしてなぜ今「効果的な利他主義」なのか?(HONZ編集部)

あなたが世界のためにできる たったひとつのこと―<効果的な利他主義>のすすめ” src=”https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41XYmINlV%2BL.jpg” title=”あなたが世界のためにできる たったひとつのこと―<効果的な利他主義>のすすめ”></a></p>
<div class=
作者:ピーター・シンガー 翻訳:関 美和
出版社:NHK出版
発売日:2015-12-19
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

こんな場面を思い浮かべて下さい。あなたの目の前に、栄養失調で死にそうな子供が倒れています。そして、あなたの手の中には、分け与える水も食べ物も十分にあります。それを倒れている子供にあげたとしても、あなたが困ることはなにもないとしましょう。あなたは手の中の食べ物を、子供に差し出しますか? たいていの人はおそらく、「差し出す」と答えるでしょう。私たちの大多数は、目の前で倒れている子供を見殺しにできるほど、自分は残酷な人間ではないと思っているはずです。ですが、本当にそうでしょうか?

現在、世界では8億人を超える人々(世界人口のおよそ9人に1人)が飢餓に苦しんでいます。途上国で栄養不良により5歳になる前に命を落とす子供の数は年間500万人にのぼります。ですが、これは避けられる死だと言われます。たとえば、5000円で一人の子供を一年間飢餓から救えます。ですから、仮に毎年日本の人口の4%弱が1日15円を寄付すれば、500万人全員が命をつなぐことができるわけです。現在の私たちは、救える人を見殺しにしている点で、先ほどの倒れている子供に食べ物を与えない残酷な人間と変わらない、と著者のピーター・シンガーは言います。

では、なぜ私たちは救えるはずの命を救っていないのでしょうか? 思いやりがないからでしょうか? シンガーは、その原因を思いやりのなさではなく、理性の欠如だとしています。 自分の家族や友人といった身近な人の命も、遠い場所にいる顔の見えない誰かの命も、同じ重さを持つものとして考えるには、論理的かつ客観的な(そして抽象的な)思考能力が必要になります。それを理性、と言い換えてもいいでしょう。

そして、この理性の欠如が、貧困や飢餓で苦しむ人々を放置することにつながっていると言うのです。シンガーはここからさらに踏み込んで、私たちが払う少しの努力で、世界中の多くの命が救えるのなら、私たちにはそうする義務がある、と主張します。少なくとも、豊かな国に住み物質的に恵まれた生活をする人は、 その収入(やその他のリソース)のかなりの部分を、〈自分にできるいちばんいいこと〉のために使うべきだ、とまで言うのです。

「世界で最も影響力のある現代の哲学者」と言われる著者のピーター・シンガーは、これまでにも著作や講演を通して、私たちが世界をよりよい場所にするために負っている義務について説いてきました。シンガーは、学者の枠に収まらない活動家と言っていいでしょう。極端なポジションをとり、論争を恐れず、具体的な方向性を示し、人々を説得して行動を促してきたのです。

彼が長年唱えていたことが、今ミレニアル世代を中心として広く受け入れられ、「効果的な利他主義」として実践され、急激な拡がりを見せています。本書『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』は、さまざまな効果的な利他主義者の生き方と、彼らが作り出し、世界に影響を与えている新しいムーブメントを描いています。

チャリティにおける「隠れた真実」

慈善活動というと、それだけで敬遠する人は少なくありません。大金持ちならまだしも、自分が世界を救うなんておこがましい、と感じる人もいるでしょう。たいていの人助けは偽善で、 慈善団体なんてどれもなんだか胡散臭いと思っている人も少なくありません。自分の寄付が、 実際に恵まれない人を助けることになっているのかわからないし、どの団体に寄付したらいいのかもわからないという人は多いと思います。その疑問に対して、ピーター・シンガーは、「解決すべき差し迫った問題は何か」ではなくて、「自分がいちばん大きな影響を与えられるのは、どの分野か」を考えなさい、と答えています。それは、投資の世界で言えば「アービトラージの機会」を探せ、ということです。

私は翻訳者になる前、金融業界で働いていました。投資家からお預かりした大切なお金を、 株式に投資するのが私の仕事でした。投資で儲けるコツは、「Buy Low, Sell High」、つまり、 安く買って高く売ることです。この当たり前のことが、難しいのです。健全な市場では、割安な銘柄が買われ、割高な銘柄が売られる結果、価格差はすぐに収斂します。多数の投資家がそれぞれの利益を最大化しようと努力しているために、裁定(アービトラージ)の機会が放置されることは(ほとんど)ありません。

野球の世界でこのアービトラージの機会を見つけたのが、オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMでした。アスレチックスがリーグ最低レベルの年俸総額で、最高の勝率を記録できたのはなぜか、そのストーリーを描いたのが『マネー・ボール』です。ビリー・ビーンが取った手法は、割安な銘柄を見つける投資家と同じ手法です。たとえば、勝率に関連の高い指標として、出塁率があります。ですが打率が高い選手の年俸は高いのに対して、同じ出塁率でも四球やデッドボールの出塁数が多い選手の年俸は比較的低い。とすればここ(選球眼)に、アービトラージの機会が存在するわけです。つまり、同じ価値のもの(出塁率の高い選手)を割安に手に入れられるということです。

シリコンバレーの伝説的投資家と言われるピーター・ティールがその著書『ゼロ・トゥ・ワン』で唱えた「隠れた真実」もまた、同じものを指しているように思います。ティールは、「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」と私たちに問いかけました。そこに、もっとも大きなリターンが生まれる可能性が存在するからです。誰もが「社会のためになること」と見なし、才能と資金が集まってくる代替エネルギーのような分野よりも、重要ながら何十年間も見過ごされてきた栄養学のような分野にこそ、大きなイノベーションと利益のチャンスがある、と言うのです。

本書『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』は、チャリティの分野で「隠れた真実」を追究する人々の物語と見ることもできます。効果的な利他主義者は、同じ金額の寄付で、より〈たくさんのいいこと〉を行おうと目指します。たとえば、盲導犬の育成に400万円を寄付すると一人の視覚障害者の生活を助けることができますが、同じ金額を途上国のトラコーマの治療に充てれば、およそ400人を失明から救うことができます。効果的な利他主義者はここに、より〈たくさんのいいこと〉を行えるアービトラージの機会を見るわけです。つまり投資(寄付)に対してより大きなリターンを求める人々の物語、という意味で、本書はチャリティ版マネーボールとも言えるでしょう。

 

若者たちやシリコンバレーで拡がる効果的利他主義

では、効果的な利他主義者とは、どんな人たちでしょう? たとえば、哲学と数学を専攻してオクスフォードの大学院から奨学金をもらえたのに金融のキャリアを選んだマット・ウェイジ。ウェイジは「寄付するために稼ぐ」若者の代表例です。働き始めてわずか1年で1000万円を超える金額を効果的な慈善活動に寄付し、毎年収入の半分余りを寄付し続けています。

あるいは、不動産で成した4500万ドルの財産のほとんどを慈善活動に寄付して、堅実な暮らしを営むゼル・クラビンスキー。クラビンスキーは善意の第三者として腎臓の提供も行っています。

ホールデン・カーノフスキーとエリー・ハッセンフェルドは、20代の半ばに勤めていたヘッジファンドを辞め、慈善団体の効果を評価する〈ギブウェル〉という組織を立ち上げます。これは効果的な利他主義のムーブメントを大きく後押しするものになりました。

オクスフォードで哲学を学んだトビー・オードは、収入の2/3以上を寄付に回し、そのうえに途上国の貧困撲滅に絞った効果的な組織へ寄付する誓約を促すような、〈私たちにできること〉 という組織を立ち上げました。

寄付するお金のない、学生のクリス・クロイは、自分の腎臓を提供することに決めました。動物と数字を愛するハリッシュ・セスーは、「オタク文化と動物の権利運動が出合う場所」と題した〈カウンティング・アニマルズ〉というサイトを立ち上げています。

彼らのもっとも際立った特徴は、「チャリティを情緒でなく数字で考える」ということです。彼らに共通するのは、自分の寄付によって救える命の数、延びる寿命の年数、減らした苦しみの総量が多ければ多いほどいいという考え方です。また、救う相手の顔が見えるか見えないか、自分の興味や情熱に関係があるかないかにかかわらず、命の価値(または、苦しみの重さ)は同じと考えます。効果的な利他主義者は人助けに情熱を傾け、それを最大化することに大きな喜びを覚えています。彼らはその情熱を数字で表すのです。

読者の皆さんは、本書で紹介されている人たちを、かなり極端な(少々クレイジーな)例だと思われるかもしれません。ですが、こうした生き方を実践している人がかなりの数存在し、その数が拡大していることも事実です。

このムーブメントを支持する人たちの中には、シリコンバレーを代表する起業家たちもいます。先ほど挙げたピーター・ティールは2013年の効果的利他主義サミットで基調講演を行い、慈善分野の「隠れた真実」を探すよう、参加者に呼びかけました。今年(2015年)の夏には、サンフランシスコのグーグルキャンパスで「効果的な利他主義グローバル会議 (Effective Altruism Global)」が開かれ、400名の起業家やエンジニアや活動家が参加しています。講演者として参加したイーロン・マスクは、人工知能と人類滅亡リスクの軽減について熱く語りました(救える命の数を最大化するという点で、人類滅亡を回避することは、最大の効果的利他主義なのです)。

テクノロジーによって人類の可能性を伸ばそうと考え行動するピーター・ティールやイーロン・マスクにとって、エビデンスに基づいて世界をよりよい場所にしようと行動する効果的な利他主義者は、目的を同じくする同志のような存在なのかもしれ ません。マーク・ザッカーバーグが夫妻で保有するフェイスブック株の99パーセント(その時点の時価総額で約450億ドル(約5兆5300億円)に上るそうです)をチャリティに寄付すると先ごろ表明したのも、こうしたシリコンバレーの新しい動きのひとつだと見ることができるでしょう。

日本はチャリティ先進国?

ところでよく、日本にはチャリティの土壌がないと言われますが、それは事実でしょうか? 私は違うと思います。日本は1990年代半ばまで、アメリカをも上回る世界一の援助国でした。国連への分担金、世銀への出資金はアメリカに次いで世界で二番目です。また日本の呼びかけで2002年に始まった世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバル・ファンド)はこれまでに810万人のHIV感染者と1320万人の結核患者を治療し、マラリア予防のため5億張を超える蚊帳を配布してきました。このファンドの支援により1700万人の命が救われたと言われます。

では市民レベルではどうでしょうか? 途上国の子供にワクチンを提供する目的で発行される、ワクチン債の最大の購入者は日本の一般個人投資家です。これまでに1600億円を超える金額が、日本の一般市民から寄せられているのです。これは同プログラムへの日本政府の拠出をはるかに上回る金額です。このプログラムを通して、これまでに2億8000万人を超える子供にワクチン接種が行われ、500万人以上の命が救われたとされています。政府を通した援助にしろ、市民レベルの貢献にしろ、日本は世界最大級のチャリティ国家です。そして、「救った命の数」で考えれば、世界有数の「効果的な利他主義」国家と言えるでしょう。

とはいえ、私自身はバングラデシュに設立されたアジア女子大学支援財団の理事として資金集めを行う中で、日本企業や政府、また個人の寄付への姿勢に壁を感じないわけではありません。日本の大企業は確かに「社会的責任(CSR)」活動に多くのリソースを割いていますが、 そのリソースの大部分は、同じような環境関連の活動や災害援助に向かっているように思います。政府援助に関しては、バイラテラル(二国間支援)が主流です。個人の寄付もまた、すでに多くの寄付が集まっている災害支援のような分野に向かいがちです(これは日本に限らないことですが)。お金の集まるところにさらにお金が集まる構造になっていて、いずれの主体も、 投資に対するリターンをほとんど意識していません(これも日本に限らないことで、まさに本書のテーマのひとつでもあります)。

本書をどう読むかは、読者の皆さんの考え方や生き方によって、それぞれ違うでしょう。「効果的な利他主義」という新しいムーブメントを知るための知識本、とも読めますし、人間が他の人間(や動物)に負っている役割を示す道徳本、とも読めるかもしれません。功利主義をチャリティに当てはめるとどうなるかという思考実験として読んでも面白いでしょう。私自身は、ピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』を翻訳した経験から、この本を慈善分野における「賛成する人がほとんどいない、大切な真実」を探るヒントとして、興味深く読みました。あるいは、ミレニアル世代を中心として着実に拡がっている、充実した人生のための新しいライフスタイルを紹介する本として読むと、また違う面白さがあるように思います。

この訳者あとがきを執筆中にパリでテロ事件が起き、130名を超える方々が亡くなりました。一方で、シリアではこれまでに20万を超える命が失われています。ネット上では「パリの人だけに同情を寄せること」への賛否両論も起きていますが、これもまた、本書のテーマである「身近な人の命も遠くの人の命も同じ重さを持つと感じられるかどうか」という命題を現実世界で試されているように感じます。本書が皆さんそれぞれの考えるきっかけになれば幸いですし、議論や行動のきっかけになれば、翻訳者としてこれほど嬉しいことはありません。

2015年秋  関 美和

あなたが世界のためにできる たったひとつのこと―<効果的な利他主義>のすすめ” src=”https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41XYmINlV%2BL.jpg” title=”あなたが世界のためにできる たったひとつのこと―<効果的な利他主義>のすすめ”></a></p>
<div class=
作者:ピーター・シンガー 翻訳:関 美和
出版社:NHK出版
発売日:2015-12-19
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub
決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!