果たして、英雄に惹きつけられない人がいるだろうか?
といえば、もちろんいるにはいるのだろうが、大抵の場合英雄とは憧れ、理想的な対象として存在している。神話におけるヘラクレス、あるいは仏教におけるブッダ、アーサー王にイエス・キリスト。神話クラスの人間でなくとも数十数百といった年数を語り継がれてきた民間伝承やお伽話には数限りなく人間の弱さを克服し前に進む英雄の姿が描かれている。
個々の作品に対する好悪や、英雄が理想像であるかどうかは人によって様々としても、それらは多くの人間を惹きつけてやまないからこそ生き残り続けてきたのだ。しかしなぜ、どのような理由が人を英雄に惹きつけるのだろう。そこには数式のようにきっちりとしたものではないにしても、普遍コードのような物が存在しているのであろうか。
本書『千の顔を持つ英雄』は、スター・ウォーズの生みの親ジョージ・ルーカスがその著作に影響を受けていることを表明するなど世界中のクリエイターに影響を与えてきた神話学の専門家ジョーゼフ・キャンベルによる代表作である。その内容は、膨大な物語群を通してそこに通底する象徴の在り方、類例を提示し、本人の言を借りれば『あまり難しくない例をたくさん提示して本来の意味が自然とわかるようにし、その上で、私たちのために宗教上の人物や神話に出てくる人物の形に変えられてしまった真実を、明らかにすることである。』ことを目的とした一冊だ。
原書刊行は1949年、日本に翻訳されたのは1984年と翻訳版からも30年以上の月日が経過しているが今回新訳で登場。数千年の時を超えた神話の比較研究という本書の特性上その古さは本書の価値をまったく損ねず、今読んでも各種英雄についての変わらぬ知見を与えてくれる。
まず何が凄いって、その幅の広さが圧巻だ。たとえば、「出立」といって冒険への旅立ちを語る章では、超メジャーなアーサー王物語からドマイナーな北アメリカの民間伝承、聞いたことのない民族の神話、東洋におけるブッダの生涯など縦横無尽に神話が参照される。アーサー王は狩りにでかけた先で見たことも聞いたこともない奇妙な獣に遭遇し、ブッダは庭園に向かう途中で歯が欠け、髪が白く、杖に頼り震えている年寄りや病人に出会う。
有名どころから無名どころまで数々の英雄譚を類例に沿って読んでいくだけでも底抜けに楽しいが、その先には(あるいは、その前や途中には)キャンベルによるまとめが入る。
神話的な旅の第一段階は──ここでは「冒険への召命」と言っているが、運命が英雄を召喚し、精神の重心を自分がいる社会の周辺から未知の領域へ移動させることを意味する。宝と危険の療法がある運命の領域は、さまざまな形で表現される。遠隔の地、森、地下王国、波の下や空の上、秘密の島、そびえたつ山の頂上、そして深い夢の中などだが、それは常に妙に流動的で多様な形になるもの、想像を超える苦難、超人的な行為、あり得ない喜びがある場所である。
アテネにやってきて、ミノタウロスの恐ろしい話を聞いたテセウス、ポセイドンの起こした風で地中海をさまよう羽目になったオデュッセウスなどなど冒険の「出立」だけで膨大な具体例を得ることができる。非常に圧縮して紹介すると、キャンベルがいうところの英雄譚の構造は大きくわければ3つに分けられる。苦難や冒険への導入である「「分離」または「出立」」、試練や恵みを得る「イニシエーションの試練と勝利」、最後に循環へと至る「社会への帰還と再統合」。これらを上部構造として、それぞれに下部構造へと細かく分かれていく。
「出立」といって英雄に下される召命について語られたかと思えば、その次には逃避する為の「召命拒否」を語るサブセクションがあり、使命にとりかかる物へ思いもよらずに訪れる「自然を超越した力の助け」。などなど、多くともサブセクションは6つまでだが、ほとんどの神話がそこに収まってしまう事が具体例と共にあげられていくのでよくわかる。具体例の多さはそれ自体が「神話には類例がある」ことへの説得力になりえる。複雑なロジックを飲み込む必要もなく、ただただ読んで納得していけばいい。自身が言うように、驚くほどわかりやすい本なのだ。
たとえば、最終章となる「帰還」では、何事かを成し遂げ帰還した英雄が最初に直面する問題に『魂が満たされる充足感を味わった後に、つかの間の喜びや悲しみを、この世の陳腐で煩わしい煩雑さを、現実として受け入れなければならないことだ。』と挙げている。こうした一つ一つの文章に、「ああ、これはあの物語に当てはまるな。あれもまた神話の構造を持っていたのか」とこれまで観て、読んできた物語に対して当てはめることによって深い納得を覚えることだろう。
ジョージ・ルーカスは〈スターウォーズ〉三部作を見に来て欲しいとキャンベルを招待するぐらいに師として尊敬している逸話が知られているし、日本の物語作家では冲方丁など多数のクリエイターがキャンベルからの影響を表明しているが、膨大な知識と洗練された語りはもちろんのこと、この直感的なわかりやすさ、納得のしやすさが影響しているのではないかと思う。
もちろん、神話構造をそのまま援用することでスター・ウォーズが作れるわけではないにせよ、人を惹きつけ世界に残り続けている物語の「何か」にあたる部分が無数に取り揃えられている本書は、物語を作る人間からすればバイブルともいえる一冊だ。
いまどき、神話なんて
いまどき、神話について何かを知っている意味があるのだろうかと問いかける人もいるだろう。
しかし、神話はいまだに語り継がれ、構造を受け継いだ物語はメディアを変えながらも世界中に広がり、現実でも裁判官は儀式ばった黒い法服を着込んでいる(象徴を身にまとう。神話に力がないのだとすれば、スーツでも問題はないはずである。)。かつて占星術や神秘が当たり前のように存在していた時代と、物理学が事象に説明をつける現代とでは神話が持つ意味が異なるのは確かだが──世界にはまだ神話が、それを元にした物語が息づいている。
それを知ることは、『いまでは人間そのものが最高の神秘である』と本書が語るように、我々自身を知ることに等しい。本書は英雄譚を読んでいくだけでも楽しく、また物語創作や読解に際しても大いに機能する一冊ではあるが、なぜ人々は英雄に惹きつけられるのかを解き明かす、人体に依然として作用しつづける普遍ルールの探求と発見の書でもあるのだ。
ちなみに、神話が及ぼす現実への影響やその力の話とくれば、ジョーゼフ・キャンベルを語り手に、ビル・モイヤーズを聞き手とした共著『神話の力』も外すことはできまい。モイヤーズがまえがきにて、『キャンベルは千もの物語を語ることのできる人だった。』と語ってみせるがまさにその言葉通りに、本書『千の顔をもつ英雄』とは違って対話篇でありながら次から次へと東洋と西洋、まさかそんなものまでというような民間伝承までが語られていく様は圧巻である。